プロレス解説者 柴田惣一の「プロレスタイムリープ」(24)

(連載23:棚橋弘至とはどんな男だったのか 長年取材する元東スポ記者が明かす素顔と、新日本で「モテ男」が受け入れられるまで>>)

 1982年に東京スポーツ新聞社(東スポ)に入社後、40年以上にわたってプロレス取材を続けている柴田惣一氏。テレビ朝日のプロレス中継番組『ワールドプロレスリング』では全国のプロレスファンに向けて、取材力を駆使したレスラー情報を発信した。

 そんな柴田氏が、選りすぐりのプロレスエピソードを披露。連載の第24回は前回に続き、2026年1月4日に東京ドームで引退する棚橋弘至。ライバルの中邑真輔、引退試合の相手に決まったオカダ・カズチカへの思いなどを、柴田氏が深掘りする。

【プロレス】元東スポ記者が語る棚橋弘至と中邑真輔、引退試合の...の画像はこちら >>

【新日本を変えた棚橋の思い】

――棚橋選手は2023年12月、新日本プロレスの代表取締役社長に就任しました。

柴田:社長になって、彼を取り巻く環境が変わったそうですよ。さまざまな人と交流するために、銀座で飲む機会が増えたそうです。新しい人脈ができて、刺激を受けて、考え方も変わってきたと話していました。会社では毎日、朝礼で話すネタも一生懸命探しているみたいです(笑)。そういう意味でも、社長になったことは大きかったと感謝しているようですよ。

――「今の新日本はベルトの数が多い」と言われることもありますが、棚橋選手はどう考えているんでしょうか?

柴田:彼は若い頃、「タイトルは多いほうがいい」という考えを持っていました。2005年に、U-30王座のベルトを第2代王者の中邑真輔が封印した時には、「なんでそんなことをしちゃうんだ」と疑問を口にしていました。いろんなタイプの選手がいて、いろんな戦いがあって、いろんなステージがあっていい。社長になって考え方は変わったかもしれないですけど、新日本にベルトが増えたのは、彼の思いが伝わったからかもしれません。

――社長に就任してから、レスラーとしての考え方やスタンスに変化はありましたか?

柴田: 社長になってから、より俯瞰で見るようになったようですね。「誰と誰の試合は面白そう」「この組み合わせにしたらどうかな」とか、いろいろ想像するようになったと。でも最終的には、「今でも俺が一番だ」という結論にいきつくんだそうです。

 その気持ちを保ったまま、2026年1月4日の"1・4(イッテンヨン)"、『WRESTLE KINGDOM 20 in 東京ドーム』での引退試合を迎える。その気持ちがなくなったら、レスラーとしておしまいですよね。レスラーは、彼にとって天職なんでしょう。棚橋は表に出さないけど、ほかのレスラーと同じように、ものすごく負けず嫌いですよ。

――棚橋選手の存在は、新日本という団体そのものにも影響を与えたと思います。

柴田:もちろんです。道場にあったアントニオ猪木さんの等身大パネルを外したことも話題になりましたが、「団体を変えたい」という思いがあったはず。ファンの応援の仕方も、時代によって変化します。今は"推し"の文化。

強いだけじゃなくて、いろんな選手のいろんな個性に惹かれて、ファンが集まってくる。

 猪木さん、藤波辰爾さんや長州力さん、闘魂三銃士、第三世代、棚橋や中邑真輔、オカダ・カズチカや内藤哲也と、さまざまな選手が団体を支えてきましたけど、今の新日本は群雄割拠。辻陽太、上村優也、海野翔太、成田蓮、大岩陵平など、有望な選手がいっぱいいます。「誰も抜きん出てこない」と言われることもありますけど、今の新日本は誰がトップに立つかわからないから面白いし、時代に合っていると棚橋はとらえているはずです。

【棚橋にとって重要だった、中邑とオカダの存在】

――棚橋選手と中邑選手が新日本を牽引していた時期、タイプが違うふたりをどのように見ていましたか?

柴田:新日本が「棚橋弘至」というレスラーを一生懸命作り上げて、あっという間に中邑が追いついてきた。棚橋にとっては、中邑がいてよかったと思います。プロレスはライバルの存在が重要。ふたりともベビーフェイスだったから、中邑は「棚橋さんと同じことをやってもしょうがない」と模索した末に、あの「イヤァオ!」のスタイルにしたんでしょう。"太陽"がいたら、"月"になるしかないですからね。

 あの頃、棚橋は契約更改の時に「契約金を中邑よりも1円でも高くしたい」ということにこだわっていました。中邑は後輩ですが、ヤングライオンをやってない、付き人をやってないなど、特別扱いだった。そういう意味でも、負けたくない思いは非常に強かったと思います。

――中邑選手は、その時に作り上げたスタイルでアメリカのWWEでも成功していますね。

柴田:オカダも台頭したから、もう新日本は大丈夫かな、ということで、アメリカで挑戦する決断をしたんでしょうね。現在の活躍ぶりを見ると、中邑の選択は正しかったと思います。

――来年1・4東京ドームの引退試合の相手は、オカダ・カズチカ選手に決まりましたね。11月8日に開催された愛知・安城大会のメインイベント終了後に、オカダ選手が「よかったら僕がやりますよ」と名乗りを上げました。

柴田:いろんな政治的な問題もあるなかで、オカダになったのはベストな選択だと思います。2015年11月15日、天龍源一郎さんの引退試合の相手もオカダでしたね。天龍さんのパワーボムのクラッチが外れ、オカダの後頭部が真っ逆さまに落ちた時は一瞬ヒヤッとしましたけど、オカダは体が強いし、受け身もうまいからケガなく終えられた。さまざまな意味で、棚橋の引退試合の相手にふさわしいと思います。

――相手として、中邑選手を期待するファンも多かったでしょうが、事情もあってということですね

柴田:そうですね。10月のWWE日本大会の前に、棚橋と中邑が会食する機会があったそうですが、ふたりでいろんな話をしたんじゃないでしょうか。オカダも安城大会を大いに盛り上げていましたから、引退試合も期待です。

――オカダ選手といえば、2012年2月12日の大阪大会で棚橋選手を下した"レインメーカー・ショック"の印象が強く残っています。

柴田さんはあの試合の解説をされていましたね。

柴田:まさか、まだ若手のオカダがベルトを獲るとは思わなかったですね。試合が終わったあとに、放送席にいたみんなで長々と話をしたんですよ。ある解説者は「いきなりベルト獲っちゃうなんてあり得ない」と不満げでしたが、僕は「勝ったんだから、もうオカダの時代です。勝利こそが正義なんです」と熱く語った記憶があります。

――棚橋選手の引退によって、中邑選手やオカダ選手との物語も終わりを迎えてしまいそうで、寂しい思いがあります。

柴田:いえいえ。みんな次のステージに行くんですよ。棚橋は新日本で選手を全うしたし、今後は社長に専念する。ある意味、理想的なレスラー人生ですよ。中邑やオカダも、海外での挑戦が続く。プロレスという大きな世界のなかで、物語はまだまだ続いていくでしょう。

【引退試合、"棚橋社長"への期待】

――棚橋さんには引退後、まずは身体をゆっくり休めてほしいですね。

柴田:コンディションが悪すぎますからね。たぶん、ヒザの靱帯などはボロボロだと思います。本当は"生涯現役"でやりたかったでしょうけど、苦渋の決断だったんでしょう。

 ただ、今は社長業の勉強もしているし、また違う形でプロレスを支えてくれるはずです。新たな人脈も作っていますが、「いろんな会社のトップと話をすることは勉強になる」と、忙しい毎日を充実して過ごしているようです。棚橋は自分で"疲れたことがない男"と宣言していますけど、僕は顔を合わすたびに「疲れてない?」と聞くようにしているんです。その答えは、もちろん「疲れていません」。それを言う時に、一段と声が大きくなるんです(笑)。

――東京ドームでの引退試合は、どんな展開になると予想しますか?

柴田:久しぶりに、新日本が東京ドームの外野席を開放しましたね。2階の上のほうまで、たくさんのお客さんで埋め尽くされると思いますが、そこで全部出しきって、全部受けきってほしい。最後は、何も残らないほどに。

悔いなく燃え尽きてほしいです。『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈のように"真っ白な灰"になる感じかな。いや、あそこまでいってはダメか(笑)。しっかりやり抜いて、無事にリングを降りてくれることを願っています。

【プロフィール】

柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として各メディアで記事を掲載。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

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