連載第75回
杉山茂樹の「看過できない」
1998年フランス大会=グループリーグ最下位。2002年日韓共催大会=ベスト16、2006年ドイツ大会=グループリーグ最下位、2010年南アフリカ大会=ベスト16、2014年ブラジル大会=グループリーグ最下位、2018年ロシア大会と2022年カタール大会=ベスト16。
日本が出場した過去7回のワールドカップを振り返れば、グループリーグ最下位が3回(1998年、2006年、2014年)、ベスト16が4回(2002年、2010年、2018年、2022年)だ。1998年は初出場だったことを考えると失敗とは言いにくいが、2006年、2014年はそうはいかない。
いずれも4年間、監督交代はなかった。トルシエジャパン、第1期森保ジャパンと監督交代がなかった4年間はほかに2度あるのだが、ジーコジャパンとザックジャパンではその弊害が露呈する格好になった。
ジーコジャパンとザックジャパン。日本人選手のレベルが右肩上がりを続けていることを考えれば、より罪深いのは2014年ブラジル大会に臨んだザックジャパンである。
アルベルト・ザッケローニは日本サッカー協会が「攻撃的サッカー」というコンセプトに基づいて招聘した監督だった。協会がサッカーの方向性を全面に打ち出し、それに従って監督探しを行なったことはこれまでなかった。ハンス・オフト、ファルカン、加茂周、岡田武史、フィリップ・トルシエ、イビチャ・オシム、岡田(第2期)、ジーコ......と起用してきた経緯と、ザッケローニを招聘した経緯とはその点で大きく違っていた。当たり前のことが当たり前に行なわれたに過ぎないが、当時の日本サッカー界にとっては画期的な出来事だった。それだけに期待は高まった。前任の岡田ジャパンが攻撃的とは言えないサッカーだったことも期待に拍車をかけた。
ザッケローニが打ち出した基本布陣は4-2-3-1だった。しかし、イタリアでザッケローニを有名にしたのは3-4-3。森保式3-4-2-1やイタリアで当時流行していた3-4-1-2ではない3バックだ。5バックになりにくい「攻撃的」と言うべき特徴のある3-4-3を用いて、イタリアサッカー界で確固たる地位を築いていた。
【ザックジャパンへの疑念】
だがその3-4-3は就任以来、なかなか拝めずにいた。初めて披露されたのは就任の9カ月後、新潟で行なわれた通算12試合目(チャリティーマッチを含む)となるペルー戦(結果は0-0)だった。筆者が違和感を覚えたのは、同様に3-4-3で臨んだ続くチェコ戦(結果は0-0)である。
横浜・日産スタジアムのピッチに立った日本の3FWは、左から岡崎慎司、李忠成、本田圭佑の順で並んだ。ところが0-0で推移する展開に焦れたのか、右ウイングの本田は気がつけば真ん中にポジションを取り、トップ下然と構えたのだ。右ウイングバック、内田篤人は右でひとりになり、自ずと低い位置に留まることになった。右サイドはプレスがかからない状態にあった。
その3-4-3は3-4-1-2同然に映った。先述の通り守備的サッカーの典型的な布陣である。
真ん中にポジションを変える本田を見て想起したのは、岡田ジャパン時代の中村俊輔だった。4-2-3-1の「3」の右というポジションを任せられながら、試合が始まると真ん中に移動しゲームメーカー然と構えた中村と、ザックジャパンの本田の姿は重なって見えたものだ。
中村は2010年南アフリカワールドカップ本番で、主役の座を本田に譲ることになった。岡田監督は最後になって、それではプレスがかからないと考えた。守備的な監督として知られた岡田監督だが、土壇場でプレスという前から守るスタイルに方針を変えた。ベスト16入りはその産物と言えた。
もっとも、ザッケローニに対し看板に偽りありと疑念が膨らんだのはこのチェコ戦が初めてではなかった。
【ザッケローニの本質】
2011年1月に開催されたアジアカップだ。延長戦の末に決勝でオーストラリアを下し、優勝を飾った大会と言えば思い出されるだろう。問題はその準決勝・韓国戦だ。延長前半に2-1とリードするとザッケローニは5バックで守る作戦に出た。高い位置から守らずに後ろを固めた。
にもかかわらず、逃げ切りに失敗する。延長後半15分。まさに土壇場で韓国に同点弾を浴びたのだ。その後、韓国戦はPK戦で勝利を収め、決勝ではオーストラリアを倒して優勝を飾ったため、問題が表面化することはなかった。まさに結果オーライの陰に隠れた問題点を追求するメディアはいなかった。だが、筆者の心には黒いシミとなって残った。これはおよそ攻撃的な監督のする采配ではない。
そして迎えた、非攻撃的な3バックとなったチェコ戦である。以来、3-4-3は封印された。粗が目立つことはなかったが、筆者のザッケローニ評はこのふたつの事象で急落した。
ブラジルワールドカップでグループリーグ最下位に沈んだあと、筆者はザッケローニ招聘の中心人物だった原博実技術委員長(当時)にインタビューする機会を得た。
「ザッケローニのサッカーは攻撃的だったと思いますか?」と、ズバリ聞いてみた。
答えは無言だった。ザッケローニの本質を見誤ったことこそが、失敗の原因だった。攻撃的サッカーをコンセプトに監督を探したことはよかった。しかしザッケローニは相応しい人物ではなかった。
何と言ってもザッケローニには、攻撃的サッカーを標榜する監督に不可欠とされるポジションをカバーする概念が希薄だった。相手ボール時の対応を考えていない中途半端な攻撃的サッカーと言ってもいい。
【チュニジア代表監督に就任したラムシ】
話はブラジルワールドカップ本大会に飛ぶ。レシフェで行なわれた初戦のコートジボワール戦だ。4-2-3-1の「3」の左で先発した香川真司は、先述のチェコ戦の本田のように、気がつけば真ん中にポジションを取っていた。コートジボワールに奪われた同点弾、逆転弾はともに、起点は右サイドだった。相手の右SBがチャンスメイクに絡んでいた。対面で構えているべき香川はその時、ポジションを大きく外していた。
「3」の左なのにそこにいない。これは香川のかねてからの癖だった。筆者は幾度となく指摘したが、ザッケローニは手を打たなかった。放置された状態にあった。コートジボワールのサブリ・ラムシ監督がそれを見逃すはずはなかった。
現役時代はモナコ、パルマ、インテルなどで活躍した元フランス代表MF。何の因果か1週間ほど前、ラムシのチュニジア代表監督就任が発表された。森保ジャパンは要警戒だ。
ザックジャパンにとって痛かったのは、香川、本田の二枚看板が上り坂になかったことだ。香川はマンチェスター・ユナイテッドに加わったものの出番が与えられず、本田は2011年に体調を崩してからパフォーマンスを落とすことになった。2010年南アフリカワールドカップの時の本田のような、上り調子の選手がチームにいなかったことが、尻すぼみに終わった原因だ。
ラストスパートがなかったことも関係がある。2013年11月に欧州でオランダ、ベルギーと親善試合を行なったあと、本大会に向けて出発するまで、日本が行なった試合はニュージーランド戦とキプロス戦のわずか2試合に終わる。しかもこの格下の国とのホーム戦にザックジャパンは苦戦した。
キプロスを「仮想ギリシャ」などと報じたメディアにも問題があるだろう。万事が楽観的だった。その4年前、2010年南アフリカ大会に向けて出発した岡田ジャパンの時のような緊張感はゼロだった。最後に"火事場のバカ力"を発揮した岡田ジャパンとは、何から何まで対照的な姿を描いたのがザックジャパンだった。
ワールドカップイヤーの森保ジャパンには、ザックジャパンに近いムードを感じる。見るからに温厚そうな監督に批判を浴びせる人は少ない。ザッケローニを批判するメディア報道も皆無に等しかった。これもまたグループリーグ最下位という最悪の結果を招いた原因のひとつだと考える。

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