元オリックス・福田周平インタビュー(前編)
プロ通算677試合出場。オリックス一筋で、2025年シーズン限りで現役を終えた福田周平は、小兵ながらにも「全力でプレーする」姿で多くのファンに愛された選手だった。
【人間的にも大きく成長できた8年】
── 昨年12月29日、自身のインスタグラムで「現役引退」を表明されました。その時の心境から、お聞かせください。
「オフシーズンになってトークショーなどをしていくなかで、僕のことを気にしてくださるファンの方たちや知人がたくさんいて、やはりどこかで「報告はしなきゃいけない」という思いになりました。野球をするのか、やめるのか......きちんと自身の言葉で報告する形になりました」
── 引退を決めた一番の理由は?
「僕自身はまだユニフォームを着たかったのですが、どこからもオファーがなかった。あきらめざるを得なかったということです」
── 33歳という年齢を考えても、「まだやれる」という思いはあったのですね。
「ありました。体は元気ですし、ケガもないですし......。でも、プロ野球はプロフェッショナルで厳しい世界ですので、僕が「やりたい」と言ったところで、できる世界でもない。需要がなかったというところで、きっぱりとあきらめることはできました」
── 2018年からの8年間を駆け抜けたプロ野球人生は、福田さんにとってどういうものだったのでしょうか。
「これまで味わったことのないほど多くの注目を浴びるなかでプレーし、大きなやりがいを感じた時間でした。
【都市対抗での大活躍が導いたプロ入り】
── プロ野球という世界でプレーできたことは、福田さんの人生にとっても大きなもので、その「プロ」になったこと自体がターニングポイントだったと思います。
「そうですね。アマチュア時代は「プロ」になるためにやっていたと言っても過言ではありませんでした。明治大を経て入社したNTT東日本でプレーした社会人野球時代は、ドラフト解禁年を迎えた大卒2年目(2016年)で指名を受けてプロへ行きたかったのですが、結果的に指名はされず......。そして、翌年17年の3年目にオリックスからドラフトで3位指名を受けた。プロ入りが決まった時は、やはりうれしかったですね」
── NTT東日本での2年目、都市対抗野球大会では11打数6安打7打点でチームのベスト8に貢献。その年でのドラフト指名はありませんでしたが、翌3年目の都市対抗野球大会では20打数11安打で大会最高殊勲選手賞にあたる橋戸賞を獲得し、優勝の立役者となりました。その活躍も大きな決め手となってプロへの扉が開かれました。
「NTT東日本での3年目となった都市対抗野球大会は、いま振り返ってもいい形で運びましたね。あそこまで都市対抗で活躍できていなかったらプロにはなれなかったと思いますので、僕にとって都市対抗野球大会は大きなものになりましたね。
ただ、正直なところ、社会人野球でプレーしているなかで(ドラフト指名に関して)オリックスの話は聞こえてこなかったので、実際に指名された時はサプライズというか、ビックリしました。自分のプレーを「見ていてくれたんや」という思いでしたね」
── 巡り合わせもありながら、オリックス・バファローズに入団したのが2018年。実際に入団したチームは、福田さんにとってどんな球団だったのでしょうか。
「楽しかったですよ。入団当時はチームとしてBクラスが続いていましたし、春季キャンプでもあまりお客さんが少なくて「こんなものか」と思っていましたが、だんだんとチームが強くなっていて人気が出て、お客さんも増えていった。そういうものを間近でずっと見て、チームの成長とともに人気が出る様子を見られたのは、ほんとによかったです」
【挑戦してこそ豊かな野球人生が待っている】
── 福田さんが入団した2018年はリーグ4位、19年、20年は2年連続で6位に沈んでいたチームは、入団4年目の21年に、1996年以来となるパ・リーグ優勝を果たしました。福田さん自身は、その年から出場機会を増やすために内野から外野へ転向して、翌22年の入団5年目にはゴールデングラブ賞を獲得しながら、その後のリーグ3連覇に貢献しました。
「4年目のシーズンを迎える前、チーム状況を考えれば内野は難しいかなという思いがありました。当時はセカンドを守っていましたが、首脳陣やフロントがセカンドでは使ってくれない雰囲気を感じ取ったんです。それなら、幅を広げるために外野に挑戦したい、と。シーズンに入ってみないとわかないところもありましたが、「外野も挑戦させてください」と、GMの福良淳一さんにお願いして外野をやらせてもらいました。もともと外野を守ってみたいという思いがありましたし、チャレンジすることは大事だと思っていました」
── 野球人生で初めて経験する外野のポジションはいかがでしたか?
「フライを捕ったり、長い距離を走って打球を捕ったりすることが楽しかったですね」
── その「チャレンジ」は福田さんにとって大きな決断でもあったと思いますが、プロで戦い続けていくためには、そういったことも大きな要素だったのでしょうか。
「野球がうまくなったり、レベルアップすることを考えた時に、何に対しても挑戦していかないといけないと思っていました。新しいことにチャレンジすることは怖さもありますが、現状維持ではなく挑戦してこそ豊かな野球人生が待っている。そう感じてプレーしていたところはありました」
── その姿勢や思いは、野球人生を通じて福田さんのひとつのテーマでもあったのでしょうか?
「その思いはずっと持っていましたし、年齢を重ねるごとに「チャレンジ」への思いが強くなっていきました」
つづく>>
福田周平(ふくだ・しゅうへい)/1992年8月8日生まれ。大阪府出身。広島・広陵高から明治大、NTT東日本を経て、2017年のドラフトでオリックスから3位指名され入団。1年目のシーズン途中からレギュラーに定着し、113試合に出場。21年は内野から外野に転向するもセンターのポジションを奪取。チーム25年ぶりのリーグ優勝に貢献。翌年はゴールデングラブ賞を獲得するなど、リーグ連覇、日本一の立役者となった。だが23年、チームは3連覇を果たすも、ケガもあり出場数を減らす。25年は23試合に出場にとどまり、シーズン終了後に戦力外通告を受ける。現役続行を希望したがオファーはなく、12月29日に自身のインスタグラムで現役引退を発表した










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