2月17日、ミラノ。ミラノ・コルティナ五輪、フィギュアスケート女子シングルのショートプログラム(SP)後の深夜の取材エリアだった。

17歳の新星、中井亜美に続く2位につけた坂本花織が、朗らかな声で質問に答えていた。

「追いかけるほうが楽なので、最後の最後まで追いかける立場でいさせてくれる亜美ちゃんに感謝です。(日本女子フィギュアスケートの)世代交代? もう安泰ですね!」

 今シーズン限りの現役引退を表明している坂本はそう言ったが、わずかな間に、彼女が背負ってきたものが透けて見えた。

 いまや日本はフィギュアスケート大国である。団体ではアメリカと接戦で銀メダルを勝ち取ったが、SP、フリーを両方滑ってともに1位の坂本は堂々のエースだった。彼女は女子シングルの時代を率いてきたその集大成を見せていた。

 時代を引っ張っていく重圧はとてつもないが、だからこそ、その勇姿は輝くのだ。

「バトンを受け継ぐ」

 それが女子シングルでは通例化し、強大なパワーになっている。

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 坂本は誰からバトンを継いだのか?

 あえて言えば、それは宮原知子だろう。ふたりの輝きは、まさに入れ替わるようなところがあった。宮原が2014年から17年まで全日本選手権で4連覇。坂本は2018年に優勝したあと、波はあったが、2021年から昨年まで5連覇を達成している。

 宮原は全日本で10大会連続6位以上に入っているが、それだけの演技を維持する技量と鍛錬は感服に値する。グランプリ(GP)ファイナルでは2度、2位に入り、世界選手権には5度出場、四大陸選手権では優勝の経験がある。2018年の平昌五輪に出場し、日本選手最高位の4位(坂本も出場して6位入賞)となり、2022年3月、惜しまれつつ現役を退いた。

 宮原は記録以上に「記憶に残る表現者」だった。研ぎ澄まされたスケーティング技術は完璧性を感じさせ、ステップ、スピンはレベル4を連発。世界中から絶賛を受け、"氷上の芸術"の域に達していた。

 宮原はスケート人生に芯が通っていた。流暢な英語を話す国際感覚豊かな才女である一方、江戸時代に厳しくしつけられた上級武士の娘のように、自分を律した言動が特徴的だった。迷いが消えるまで積んだ鍛錬が、たおやかさとなってにじみ出ていたのだ。

【五輪で印象に残る景色】

 そして宮原自身は、浅田真央という太陽のような存在と入れ替わるように、時代のバトンを継いでいた。そこで、彼女の現役時代最後のインタビューで質問したことがあった。

――浅田真央さん以後、日本の女子フィギュアスケートを牽引してきましたが、勝者の愉悦の瞬間をひとつだけ挙げるなら?

 彼女は極めて彼女らしい答えをした。

「なかなかひとつに絞れないですけど、平昌オリンピック後のシーズン、NHK杯で2位だったんです。"オリンピックのあとだから気が抜けた演技はしたくない"と挑んだシーズンだったので、そこでいい練習ができて、しっかりメダルを取れたのは、"自分がつかんだ勝利だったな"って思っています」

 宮原は大きな大会でいくつもタイトルを取った。にもかかわらずGPシリーズ2位の試合を挙げた。彼女が誰かと戦っていたわけではなく、自分のスケートと向き合っていた証拠だろう。スケーターとして"滑ること"を純粋無垢に追求していた。

 それは宮原が受け継いだバトンをリレーした浅田真央も、伊藤みどりも、あるいは先達のレジェンドたちも、同じことが当てはまるのではないか。剣豪が人を斬るためでなく、剣の道と向き合ってたどり着く境地に似ている。そこに通底するのは、純真さと矜持という相克をなすものが、不思議と両立していることだ。

 つまり、宮原は純粋な愛だけをリンクに注いでいた。

――平昌五輪で思い出す景色があるとすれば?

 筆者は宮原にそう訊いたことがあった。 

「自分の場合、"オリンピックっていう本当に出たかった夢の場所に来られたんだ!"っていうことを、オリンピック会場で滑るたびに感じていました。大会前に入っての練習から、公式練習、練習、団体戦、個人戦って。

長い期間中も、私は飽きずに。"オリンピック、楽しい!"っていう印象しかないですね。どれかひとつだけ景色を挙げるなら......ショートもフリーもですが、他の選手と並んでリンクに入ると、観客席の上に五輪マークが見えるんです。そこで、"本当に自分はオリンピックに来たんだな"って実感しました。だから思いつくとしたら、その風景ですね」

 宮原はそう答えていた。それは、中井がミラノでSP後に語っていた答えに近い。中井の場合、リンクにあるオリンピックのマークだったが、上を見るか、下を見るかだ。逆に言えば、オリンピックは"印"でしかない。リンクに立ったら楽しく滑れるか、どんな演技をするか、彼女たちはそれを日々研ぎ澄ましているのだ。

 ミラノ・コルティナ五輪では坂本が銀メダル、中井が銅メダルを勝ち取り、千葉百音も4位に入った。

 上位の選手たちは衝動に駆られたように、お互いの健闘を讃え合っていた。千葉はリーダーズチェア(フリーで暫定1位の選手が座る)からアリサ・リュウの好演に惜しみなく拍手を送り、中井は演技後、メダルを手にしたことがわかったとき、アリサに抱きつかれて歓喜に涙し、坂本はメダルを逃した千葉を強く抱きしめ、千葉も嗚咽を漏らしていた。

 誰が時代を引き継ぐのか。それはわからないが、そこに彼女たちが生きる時代の風景があった。

〈スケートを生きる〉

 そんな境地に達した選手が、次の時代を率いることになるだろう。

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