錦織圭という奇跡【第16回】
玉川裕康の視点(2)
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◆玉川裕康の視点(1)>>ジュニア全国大会3冠「あっさり」達成して驚いた
「おかしな話ですけど、圭がアメリカに行ってからは、圭には負けたくないなって。圭がその道を行くんだったら、自分もストリンガーとして行きたいなって......。
懐かしそうに、そして少しこそばゆそうに、玉川裕康氏が自分の『原点』に思いを馳せた。
玉川氏と錦織圭との出会いは山陰地方、25年ほど時をさかのぼる。かたや島根県松江市出身のテニス少年で、かたや鳥取県鳥取市のテニスクラブでインストラクターとして働く大学生だった。ふたりがともに過ごした数年の間に、錦織少年は小学生の全国タイトルを総ナメにし、中学2年生の秋には、盛田正明テニスファンドの奨学生として海を渡る。一方で玉川氏は、ラケットにストリング(ガット)を張るストリンガーとしての道を、本格的に歩み始めた。
「最初は、テニスコーチとストリンガーを両立させたいなと思っていたんです。でも、時間のバランスがうまく取れなくて、テニスショップを経営しながら、大会でストリンガーをすることにしたんです」
ストリンガーの道一本に絞り、独り立ちする覚悟を決めたのが29歳の時。既存のショップに勤めるのではなく、地元の鳥取に自らの店を構えた。くしくも錦織も、ジュニアから"オトナ"へと移行し、トッププロへの道を歩み始めた頃合いである。
「いきなり自分で店を開いたんです。根拠のない自信があったんですよね。こういう業界の怖さを知っていたら、たぶんできてないです。
でも、それでよかったと思うんですね。変に情報過多にならなかったから、純粋に夢も見られた。余計な情報も、周りからかけられるプレッシャーもあまりない。圭が世界を目指して旅立ったので、そういうものなのかなと思ったから、自分もできた。『いっちょ、やってみるか!』みたい感じで、踏み出せたと思います」
【いつしか錦織のストリング担当へ】
錦織本人はおそらく知る由(よし)もないが、錦織の旅立ちに刺激を受け、その背を密かに追うようにして、玉川氏はストリンガーとしての道を切り開き進んでいった。
その後も玉川氏は錦織の情報を追い、彼が大会出場のために帰国するとなれば、「その大会にストリンガーとしていたい」と願い、実際に叶えてきた。錦織が16歳で京都のATPチャレンジャーに出場した時も、17歳でジャパンオープンに出た時も──。
「圭が向こうに行ってから、ワイルドカードで京都チャレンジャーに出るとなったら、その時は自分もそこにいることが目標になっていましたね」と、玉川氏が回想する。
錦織が強くなるにともない、玉川氏にとっての目標地点も、急ピッチでステージが高くなる。そのたびに、錦織と同じ大会会場にいることで、「よし! ここにいられた」と自身の成長をも確認していった。
「まあ自信というか、そういう励みや指標にはなっていましたね。
かつては、日本一のテニス少年と大学生コーチだったふたりが、立場を変えて国際大会会場で再会する。そんな折、ストリンガーブースで期せずして懐かしい顔を見た錦織は、どのような反応を見せていたのだろうか?
「『えーっ!?』って感じでしたよね、圭は」
いたずらっぽく笑い、玉川氏が述懐する。
「『あれっ、なんでここにいるの?』みたいなリアクションでしたね。会うたびに大会のステージも上がっていくので、毎回毎回『え?』って感じで、それの繰り返しでした。
それがだんだんステップアップしていって、最大の『えっ!?』になったのが、2008年の北京五輪ですよね。でも、これも偶然でした。当時の自分はまだ店を持っていなくて。そんな人がオリンピックのストリンガーに選ばれるのも珍しかったんです。でも、なんとか選んでもらえて、初めてオリンピックに行ったのが北京でした」
再会に驚きつつも、錦織としても当然、知った顔を見れば安心するし、ストリングの張りを頼む。
「まあそういう感じで、『タマガワは圭の担当だよね』ということが周囲にも浸透していきました」
錦織のストリングを玉川氏が張ることは、いつしか暗黙の了解となっていた。
【圭がもっと上に行く時に自分も...】
では玉川氏には、鳥取で出会った少年と世界のトップステージで度々再会することに、驚きを覚えることはなかったのか?
「不思議と、それはなかったですね」
玉川氏が、さらりと言う。
「圭は当然のように、一年ごとに上のカテゴリーへと、どんどん、どんどん上がっていく。ワイルドカードでの出場だったものが、翌年には優勝しちゃうとかね。
だから、グランドスラムやオリンピックで再会しても、普通なら『久しぶりー!』と喜んだり、『ここまで来たんだな』みたいな感慨に浸りそうなものですが、そういうのもあまりなかった。『まあ、彼はこれからまだ先もあるし、まあまだ上に行くんだろうなぁ』って思いながら、『自分もがんばらなきゃいけないな。圭がもっと上に行く時に、自分もそこにいたいな』って思っていました。
こうやって振り返ると、圭がいなかったらたぶん、自分はそういう目標を持ってこの道を歩まなかったんだろうなと思いますよね。向こうにはまったく関係ないですし、別に自分も彼を意識的に追っかけてきたというわけでもないんです。『そうなればいいなぁ』くらいの感じで。でも、圭がいてくれたおかげで、行く先が見やすくなったというのはありますよね」
錦織という存在が、かがり火のように日本から世界への順路を照らし、後進たちに道を示す──。そのような現象は、錦織の幼少期のコーチや関係者たちからも、よく聞く話である。玉川氏もまた、錦織という灯りを介し、未来を見ていたひとりだった。
※ ※ ※ ※ ※
錦織圭を10歳の頃から知る玉川氏は、『錦織圭という奇跡』の本質を、どこに見出しているだろうか?
そうですね......と少し考え、それでも迷うことなく「いろいろありますが、基本は本人の資質だと思います」と明言した。
【若い子たちも"圭基準"で見てしまう】
「当然ながら、今も毎年のように日本の各年代のチャンピオンは生まれるわけで、その都度『未来の錦織圭』と呼ばれるわけじゃないですか。うまい子はいっぱいいると思うんですよ、いっぱい。『こんなにいろんなことができるんだ』と驚くほどテクニックに長けている子はいるんです。
でも、うまい子たちのコート外の様子を見たり、周りのものを見ると、『いや、なんか違うんじゃないかな』って思うことがあるんです。うまいかもしれない。強いかもしれない。けれど、そのままいってもどこかで息切れしちゃうんじゃないかな......とか。ここからどういうふうに世界に行くんだろうなぁというのを、"圭基準"で見てしまうところがありますね。
それはテニスのプレーだけではなく、考え方もそうですし。それらすべてにおいて、彼の資質だと思いますよね。
だから圭は、人を惹きつける。2024年のジャパンオープンもそうでしたが、圭が出るとなったら、練習コートにもたくさんの人が押し寄せる。
奇跡は、奇跡だと思います──。
そう言い、玉川氏はまた懐かしそうに笑った。
(つづく)
◆玉川裕康の視点(3)>>注文も細かいけど「圭のラケットを張るのは面白い」
【profile】
玉川裕康(たまがわ・ひろやす)
1976年8月17日生まれ、鳥取県出身。鳥取大学在学中に地元テニスクラブでコーチを始め、29歳でテニスショップを開業。トーナメントストリンガーとして5度のオリンピック(北京、ロンドン、リオ、東京、パリ)をはじめ、全豪オープン、BNPパリバ・オープン(インディアンウェルズ)、上海マスターズ、ジャパンオープンなど国内外で活動。2024年に移転し、ラケットショップ「Frassino racquet works」として現在に至る。



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