関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(10)

(連載9:藤原喜明が振り返る、佐山サトルや前田日明らとのスパーリング 新日本の道場にきた道場破りには「すべて勝った」>>)

 プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。

 そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第10回は、アンドレ・ザ・ジャイアントのすごさと、前田日明との"不穏試合"について語った。

【プロレス】前田日明とアンドレの「不穏試合」で藤原喜明が思い...の画像はこちら >>

【会場を沸かせた頭突き】

 新日本プロレスの道場で佐山サトル、前田日明ら後輩レスラーとのスパーリングで関節技を研究し続けていた藤原は、興行では前座や中堅でリングを沸かせていた。卓越した技術の関節技に、ファンの間でも"通"と呼ばれる観客をうならせていた。

 しかし、全国どの会場でも観客を沸かせていた必殺技は「頭突き」だった。相手の髪の毛をつかんで一本足から叩き込む頭突きは、藤原が当時も現在もリング上で見せる"華"の部分だった。

 相手に頭突きを浴びた時には、鉄柱に自ら頭をゴツゴツ激しくぶつけ、不気味にほほ笑む。その姿に、客席から拍手が湧き起こった。頭突きが得意技になった理由を尋ねると、藤原はこう答えた。

「地方に行って高度なテクニックを見せたって、おじいさんやおばあさんのお客さんにはわからないだろ。そんなことばかりやってたら、お客さんは来なくなっちまう。一番簡単なのは、頭を鉄柱にぶつけてガツンガツンってやること。俺らはお客さんがいてナンボだからな。いくら強くたって、お客さんが喜ばなかったら何もならないんだよ」

 お客さんを喜ばせることが第一。

プロレスへの考え方は、23歳でデビューして間もなく備わった。

「プロレスラーは、強いのは当たり前なんだよ。でも、お客さんが会場に来ないと金はもらえないんだ。そういう考えは、すぐにわかったよ。これがわかるかどうかは、センスだな。わからないやつは、永久にわからない」

 一本足での頭突きは、自然に生まれたものだという。

「そんなもん、考えてやるんじゃない。くだらねぇこと聞くんじゃないよ。よく、頭突きを『痛くないんですか?』ってバカなこと聞くやつもいるんだ。そんなもん痛いに決まってるんだよ。だけど、そういう思いをして体を張るから、わずか1試合で高いギャラをもらえるんだ」

【「大巨人」アンドレのリング内外の姿】

 1970年代後半の新日本は、タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセンといった外国人レスラーが、アントニオ猪木が持つ「NWF世界王座」を巡りメインイベントで激しい闘いを展開していた。なかでも、藤原が最も印象に残っている外国人レスラーはアンドレだという。

 身長223cmの巨体で「大巨人」「人間山脈」と呼ばれたフランス出身のアンドレは、18歳の時にデビュー。

1970年に国際プロレスで初来日し、新日本には74年から参戦。猪木といくつもの名勝負をリングに刻み込んだ。

 藤原も、WWWF(現WWE)でトップを獲って全米を沸かせたアンドレと対戦した。

「けた違いにデカくて、すさまじく力強くてな。対戦した時は殺されないように気をつけたよ」

 リング外でも、アンドレのパワーを見せつけられた時があった。

「当時、四国へ行く時に連絡船で渡っていてな。そのフェリーに乗った時に、駐車場に軽トラックがあったから、俺らが『これを持ち上げられるか?』って遊んでいたんだ。手が痛いからタオルを荷台の下にあてて、何回か持ち上げたり、ワイワイ遊んでたんだよ。そこにアンドレが来てな。荷台の上の部分を両手でつまんでヒョイと持ち上げて、ホホホと笑って行っちまったんだ」

 パワーだけでなく、運動神経も高かった。

「走っても速かった。星野(勘太郎)さんと試合をやった時なんか、リングの周りを猛スピードで走って星野さんを追っかけてな(笑)。

あれだけの巨体なのに、運動神経が素晴らしかったよ。

 試合の控室では、ビール、ワインをしこたま飲んでたな。俺らとは、肝臓の大きさが違うんだろうよ(笑)」

【前田との不穏試合で藤原が叫んだこと】

 アンドレといえば、藤原がUWFへ移籍して新日本に参戦していた1986年4月29日に、三重県津市体育館で行なわれた前田日明との"不穏試合"が語り継がれている。

 この試合、アンドレが前田の技を受けつけず、グラウンドで潰しにかかった。しかし前田は窮地を脱し、ローキックを連打するとアンドレが仰向けに倒れ、無効試合となった。試合中、猪木は控室を飛び出してリングサイドに登場したが、藤原もリングサイドに駆け寄って試合を見守った。

「あの試合は、誰かがアンドレを焚きつけたんだろうね。あの頃の前田は生意気だったからな。焚きつけたのは猪木さんではないんだけど、誰かは俺もわからん。もしかすると、アンドレが前田のことを嫌いだったかもしれねぇな。いずれにせよ、どうしてあんな試合になったかは謎だよ」

 藤原は、アンドレが前田を潰しにかかったことがわかった瞬間があったという。

「アンドレが、うつ伏せになった前田にガバッと覆いかぶさって、窒息させようとしたんだよ。

俺は『アッ! やる気だな』と思ったな。幸い前田は、体が柔らかかったから難を逃れたけど、体が硬いヤツなら窒息してたよ」

 アンドレの"やる気"を察した藤原は、リングサイドから「前田、行け!」と声を出した。

「アイツに『重心がかかったほうの膝を正面から蹴れ』って言ったんだ。体の大きいやつは重心を素早く変えることが得意じゃないからな。練習の時からやっていたよ」

 前田の蹴りにアンドレが倒れ、試合は無効試合になった。この一戦は、収録されてテレビ放送を予定していたが、テレビ朝日は"お蔵入り"の判断を下した。

「リングでは何があるかわからない。『やられたらやり返せ』っていうゴッチさんの教えを、前田が守ったってことだったな」

 そう振り返った藤原に、アンドレ以外の印象に残っている外国人レスラーを聞くと、「ダイナマイト・キッドだな」と即答した。

 キッドはイギリス生まれで、17歳でデビュー。1979年に国際プロレスで初来日し、80年から新日本に参戦した。

 身長173cm、カミソリのような鋭い攻撃と、真っ向から相手の技を受ける勇気あふれる果敢なスタイルで"爆弾小僧"と呼ばれた。藤波辰巳、タイガーマスクらジュニアのトップ選手と名勝負を残し、WWF(現WWE)でも活躍した。

「キッドは巧かったな。瞬発力もすさまじかったし、すべてにおいてタイミングが抜群だったよ。これは俺だけじゃなくて、対戦したことがあるやつなら『一番の相手は?』って聞かれたら誰でもキッドの名を挙げると思うよ」

 そんな外国人レスラーと闘っていた藤原だが、1983年、新日本に激震が走る。

(敬称略)

つづく

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

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