関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(13)
(連載12:長州力を襲撃した"雪の札幌事件"の真相 「『行け』って言われてやっただけの話」>>)
プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。
そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第13回は、新日本の退団とUWFへの移籍、UWFのスタイルが決まった裏話を語った。
【UWF移籍を決めた理由】
1984年6月、藤原は入門から12年あまり所属していた新日本プロレスを退団し、UWFに電撃移籍した。6月27日に東京・九段下のホテルグランドパレスで行なわれた記者会見に、同じく新日本からUWFに移籍した高田伸彦(現・髙田延彦)とともに出席。そこにUWFのエース、前田日明も駆けつけてふたりの入団を喜んだ。
アントニオ猪木の付き人を務め、野毛道場で技術を磨き、1984年2月に長州力を襲撃してメインイベンターに駆け上がった藤原の退団は、『週刊プロレス』誌が「青天の霹靂」という見出しで報じるなどマット界に衝撃を与えた。
その移籍の背景にあったのは、前年に新日本で起きた「クーデター」だったという。
「クーデターについて、俺はほかのやつらから何も聞かされていなかった。猪木さんを社長のイスから引きずり降ろそうと考えた人間たちは、俺が猪木さんのかばん持ちをやっていて近い人間だと思っていたから、何も知らせなかったんだろう。
しかも、前にも言ったけど(連載11回)、猪木さんには『お前もか!』って疑われてな......だから、『猪木さんにも信用されてないし仲間にも疑われて、俺は新日本には必要ない人間なんだな』ってずっと思っていたんだ」
「雪の札幌事件」でメインイベンターとなって以降も、そのわだかまりは消えなかったという。そんな時、声をかけてきたのがUWFの社長、浦田昇だった。
「俺は執念深いからな、過去のことは全部覚えているんだよ。そんな時に、自宅まで浦田社長が来て、こう言ったんだよ。『UWFに藤原さんが必要なんです』ってな。
でも、人生の分かれ道だからな。気持ちは決まっていたんだけど、あとになって『あの時は失敗したな』と思いたくないから、浦田さんに『一週間だけ時間をください』と返答したんだ。それで考えた末に、『よろしくお願いします』と。誰にも相談なんかしなかったな。なぜかって? 自分の人生は自分で決めるってことだよ。俺は、ただ『必要です』って言ってくれるところで働きたかったんだ」
【退団時に猪木にかけた電話】
そうして藤原が移籍を決めたUWFも、クーデターの余波で誕生した団体だった。1983年夏のクーデターで、猪木は社長を退任し、坂口征二も副社長の座を降りた。さらに専務取締役の新間寿は謹慎処分となったが、大株主で中継局であるテレビ朝日がこの降格人事の撤回を要求。わずか3カ月後に猪木は社長、坂口は副社長に就くことになった。
しかし、新間は退社に追い込まれた。猪木をマネージャーとして支え続けた新間は、自らの人脈を生かして新団体「ユニバーサル・プロレスリング(UWF)」を設立。
旗揚げ前には、フジテレビがゴールデンタイムでの中継を検討している、猪木やタイガーマスクらが入団する、といった情報も出たが、いずれも実現には至らなかった。結果的には、新日本から前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬らが移籍するにとどまった。
4月17日に蔵前国技館で行なわれた旗揚げシリーズの最終戦では、メインイベントに藤原が派遣され、前田と一騎打ちを行なった。このUWF参戦が、2カ月後の電撃移籍につながったのか。
「あの試合は、猪木さんに『行ってこい』って言われただけだよ。裏に何があったかなんて、俺みたいな下っ端が知るわけないだろ。興味もなかったしな。まぁ、あの試合が移籍につながったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは、勝手に考えてくれ」
ともにUWFに移籍した、当時の若手の有望株だった高田に関しては「そうだったっけ? あんまり覚えてねぇな。たぶん彼は、『こっちに来たほうが得だ』と思ったんじゃないの」と語った。ただ、移籍に際し、藤原が若手選手に声をかけたという情報もある。
「そんなもんデタラメだ。俺から声をかけたことは一度もねぇよ。そうやって引っ張ると、誰かの人生を狂わしちまうからな。ただ、UWFに行く前に、合宿所の食卓で箸を持って、若い選手たちの前で『こっちに倒れたら新日本。こっちだったらUWFだ』と言って箸を倒して、『あれ、UWFだな』ってなったのは覚えているよ。
だけど、誰かに『一緒に来い』と言ったことは一度もない。たったひとつ言えることは、他人は誰かの人生の責任を持てないということだよ。俺は自分の人生のために、UWFに移籍したんだ」
デビューから12年。新日本を退団する時は、猪木に電話で報告したという。
「『いろいろお世話になりました。UWFに行きます』と伝えたんだ。そうしたら、あの人は『ほかに誰が一緒に行くんだ?』って言ってな。
【藤原がUWFの先鋭的なスタイルを提案】
UWFは旗揚げシリーズを終え、新間は退社。団体は存続の危機に立たされたが、前田ら選手たちや、浦田を筆頭にしたフロント陣も団結し、運営継続を決断した。そんな状態で藤原が入団し、息を吹き返すことになる。
さらに吉報が続く。引退したタイガーマスクがおよそ1年ぶりに現役復帰。リングネームを「ザ・タイガー」と改め、UWFに参戦することが決まったのだ。
藤原の移籍初戦と、ザ・タイガーの試合は7月23日、24日の後楽園ホールに決まった。「無限大記念日」と名づけられた2日連続興行で、藤原は前田と組み、ザ・タイガー、高田と対戦。試合は藤原がジャーマンスープレックスホールドで高田を沈めて勝利した。
それ以降、UWFはロープワークをほとんど廃し、蹴りや関節技を主体にしたスタイルへと進化を遂げていく。
「俺のなかでは、今までのプロレスと同じことやっても、ジャイアント馬場さんの全日本、猪木さんの新日本には絶対勝てないと思っていた。頭にずっとあったのは、試合前に俺らがスパーリングをやっている時の光景だ。記者連中がリングサイドに座って、それをずっと見ているんだよ。ある日、どこかの記者が『プロレスよりこっちのほうが面白いな』ってつぶやく声が聞こえたんだ。
だから俺は、会議で『俺たちは、そういうスタイルでいこう』って言ったんだ。みんなは『う~ん......』みたいな感じだったけどな。ただ、納得はしていたと思うよ。だからあのスタイルは、練習と同じことをお客さんの前でやってただけなんだよ」
UWFはカール・ゴッチが最高顧問に就任し、さらに新日本から木戸修が加入して戦力は増強した。一方で、ルールの問題、興行形式で選手間に溝が生まれていくことになる。
(敬称略)
つづく
【プロフィール】
藤原喜明(ふじわら・よしあき)
1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。



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