この記事をまとめると
■フォードはSCCAトランザムレースのホモロゲマシン開発をキャロル・シェルビーに依頼■キャロル・シェルビーがマスタングをベースに作り上げたのがシェルビーGT350だった
■1967年には7リッターV8を搭載するGT500も追加された
マスタングの人気を確固たるものにするためにレース参戦
フォードが1964年に発表したマスタングは、のちにシボレー・カマロやプリマス・バラクーダなどのライバル車を生み出す原動力となった、いわばスペシャルティカーのパイオニア的存在のモデルだった。
マスタングが市場で大きな成功を収めた理由は数々あるが、そのもっとも大きなものは、スポーツイメージを巧みに演出したことだろう。当時のフォードの副社長でありマスタングのプロジェクトを主導したリー・アイアコッカは、そのセールスをさらに好調なものとするべく、マスタングをアメリカのSCCAが主催するモータースポーツの世界に参入させることを決断。
キャロル・シェルビーは、レーシングドライバーとしても華々しいキャリアを残した人物で、たとえば1959年に開催されたル・マン24時間レースでは、アストンマーティンDBR4で優勝を果たしているが、その後心臓病が発覚したことからドライバーを引退。レーシングカーコンストラクターを新たな人生として選択していた。

シェルビーは、まずイギリスのAC社にシャシーの製作を依頼するとともに、フォードに高性能エンジンの供給を打診。その計画は見事に成功し1962年にはACコブラが、また1965年にはACコブラ・デイトナ・クーペがGTクラスのチャンピオンを獲得するに至った。
その成功を聞き及んでいたアイアコッカは、SCCAに参戦するためのレーシングモデルの製作をシェルビーに依頼。1965年に完成したそのモデルには「GT350」の車名が与えられ、516台のストリートモデルとドラッグレース用のGT350Rが36台の合計552台が製作されたとされている。

ちなみにシェルビーはこのホモロゲーションモデルのために、軽量なFRP製ボンネットやレース用のサスペンション、コブラ289 V8と呼ばれた高性能ユニットの搭載などを行っており、トランスミッションもアルミケースに、またキャビンからはリヤシートが省かれるなど徹底した軽量化の作業も行われていた。

フォードとシェルビーは、このGT350でSCCA Bプロダクションクラスの制覇を狙ったが、そのプランどおり1965年シーズン以降、3年間に渡ってGT350はこのクラスを制覇し続けた。
355馬力の7リッターV8エンジン搭載のGT500も追加
一方、ストリート仕様のGT350は、あまりにも騒音や振動が大きかったためにその評価は低く、それに対応してフォードはAT仕様などの、より快適なGT350をリリースしたほどだった。
GT350は最終的に1969年までマイナーチェンジを繰り返しながら生産が継続されるが、レースによるスポーツイメージの向上という点では、たしかにフォードの戦略は間違ってはいなかった。それは現在でもシェルビーGT350の人気が圧倒的なものであることが証明しているのである。

さらにもうひとつ忘れてはならないのは、1967年モデルからシェルビーのシリーズに追加設定された「GT500」の存在だ。

搭載エンジンは428立方インチ(約7リッター)のサンダーバード428 V8。GT350との違いはこのエンジンのみで、355馬力という最高出力は非常に魅力的なものだった。

ちなみに翌1968年モデルでは、GT500はさらに360馬力仕様に、またGT350も315馬力へとパフォーマンスアップが施されている。
そしてさらにマスタングのファンを熱狂させたのが、キング・オブ・ロードを意味するKRの称号を得た、「GT500KR」がラインアップに加わったこと。コブラジェット428 V8エンジンを335馬力のパワースペックで搭載しているが、これは過剰な馬力戦争を避けるための策であったといわれている。

2000年代に入り、再び復活を遂げたGT500とGT350。それはアメリカンマッスルカーの世界が、いつの時代もファンに広く支持されていることを物語る、何よりの証明といえるのではないか。