この記事をまとめると
■1972年に発売されたマツダ・シャンテはキャロルの後継モデルとして販売された



■ロータリーエンジンを搭載する予定だったが一部からの懸念の声によって計画が変更された



■マツダ独自の軽乗用車はシャンテで一旦途切れてしまった



R360とキャロルに続くマツダ独自の軽自動車

東洋工業(現マツダ)のシャンテは、1972年に発売された軽乗用車だ。すでに、マツダは、軽自動車として1960年にR360クーペ、1962年にはキャロルを開発し、販売していた。シャンテは、軽乗用車の第3弾となる新型だった。



マツダ初の軽自動車であるR360クーペは、軽自動車枠内の4人乗りとはいえ、2+2という座席のつくりで、実質的にはふたり乗りクーペの様子であった。排気量360ccのガソリンエンジンは、4ストロークで、バンク角90度のV型2気筒のアルミエンジンだった。



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しかも、レース車両で採用されるようなドライサンプの潤滑方式を採用した。エンジンは客室後ろに搭載され、後輪を駆動する。技術に凝るマツダらしい軽自動車である。



続くキャロルは、乗用として4人乗りできる普遍的な存在となったが、屋根を後席乗員の後ろまでまっすぐ伸ばすことで客室の空間を確保し、それを外観の造形にも活かした独特な後ろ姿が特徴であった。



本当ならロータリー搭載で登場したハズが幻に! マツダ・シャンテの残念すぎる運命
マツダ・キャロルのフロントまわり



ガソリンエンジンは、同じ4ストロークの排気量360ccでありながら、他社の多くが直列2気筒であったところ、直列4気筒とし、より上級車種的な軽自動車を狙ったといえる。エンジンはこのモデルもやはり客室後ろに搭載し、後輪駆動である。



このキャロルの後継といえるのがシャンテだ。



開発時にはロータリーエンジンを搭載する予定だった

当時、マツダは、1967年にロータリーエンジンを搭載するコスモスポーツを世に出していた。翌年には、2代目ファミリアとなるプレストロータリークーペを売り出し、ロータリーエンジン車の拡大をはかっていた。当初のロータリーエンジンは、10A型の1種類で、排気量は491ccだった。

これをふたつ繋げて2ローターとし、コスモスポーツやプレストロータリークーペに搭載していたのだ。



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マツダ・ファミリアロータリークーぺ(2代目)のフロントまわり



なので、10A型の排気量を調整して1ローターで使えば、軽自動車の360ccに適用できなくもない。そのような構想が、シャンテの開発当初にはあった。ところが、監督官庁や業界他社から懸念の声が上がった。



ロータリーエンジンは、三角おむすび型をしたローターが、1回転する間に、三角形の各辺にある燃焼室により3回の燃焼ができる。これに対し、当時軽自動車で多かった2ストロークエンジンは、1回転で1回の燃焼だ。4ストロークであれば、2回転して1回の燃焼しかできない。当然、ロータリーエンジンは燃焼室の排気量が同じ360ccであっても、より大きな馬力を出せることになる。



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マツダ・ファミリアロータリークーペの10Aエンジン



※写真は2代目ファミリアロータリークーペの10Aエンジン



このため、庶民のクルマとして枠組みが決められた性能に対する制約を、大きく上まわる可能性が出て、懸念が示されたといえる。



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マツダ・シャンテ



そこでエンジンの構想は大きく転換され、シャンテは2ストローク2気筒を採用することになった。



駆動方式はこれまでどおり後輪だが、前後タイヤ間のホイールベースが2m20cmと、R360やキャロルが2m以下であったのに比べて伸ばされ、室内空間を広げたり、直進安定性を高めたりといった利点が生まれた。



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マツダ・シャンテのサイドまわり



今日も、正しい運転姿勢と、それを実現するペダル配置にこだわるマツダだが、ロングホイールベースによる自然なペダル配置は、前輪駆動を採用する当時のほかの軽自動車と比べても、シャンテならではの特徴のひとつといえた。



マツダ独自の軽乗用車は、シャンテまでで一旦途切れ、次に登場するのは、1982年のオートザム・キャロルとなる。

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