市販車をレーシングエンジンのようにしたら普段使いで不便

F1エンジンはもちろんのこと、レーシングエンジンの到達目標は、最高速でいかに相手に勝てるかにある。したがってエンジン諸元のうちで重要なのは、最大トルクではなく最高出力(パワー)だ。



トルクはエンジンの瞬発力と解釈すればいいだろう。

すなわち出足のよさや、力強さだ。人間でいえば、何キロの荷物を持ち上げられるかを想像すればいい。ディーゼルエンジンが象徴的で、低速(低い回転域での)トルクが大きいのはそのためだ。エンジン回転数の高さは関係ない。



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パワーは最高速度に直結し、意味するところは一定時間にどれだけたくさんの力を出せるかにある。すなわち、仕事の効率だ。人間にたとえれば、1時間で何個の荷物を運べるかであり、10個より20個を運べるほうが効率はいい。それは素早く運べることになり、つまり速度に関係する。小さな力でも短時間に繰り返したくさん出せれば、結果として大きな仕事の成果になる。



そこに関わるのがエンジン回転数だ。



エンジン回転を高くするには、ショートストロークといって、ピストンの上下動の距離を短くしなければならない。理由は距離が長くなるとピストン速度が高くなり限界を超え、回転を上げられなくなるからだ。



高性能スポーツカーでも8000回転程度! なぜ市販車にはF1のような1万回転を超えるエンジンを積まないのか



エンジンの内部でピストンは、上死点と下死点では瞬間的に止まり、そこから急加速したらすぐに急減速することを繰り返し、上下動している。



かつて日産自動車でレーシングエンジンの設計・開発に携わり、のちに東海大学で教鞭をとった林義正さんによれば、そのように激しく上下動するレーシングエンジンのピストンの平均速度は、毎秒29mが可能だと述べている。時速に直すと104.4kmに達する。このあたりが、ピストン速度の限界と考えられる。



一方、市販エンジンでは、たとえスポーツカーであっても、レーシングエンジン並みのショートストロークにしたら、発進の際のトルクが足りずエンストを起こしかねない。速さが魅力のスポーツカーとはいえ、日常的には市街地での信号待ちなどで発進・停止を繰り返すから、普段の使い勝手を無視するわけにはいかない。



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そこで、十分なトルクを出しながら最高出力も上げるという両立をはかるため、たとえばホンダNSXは最高出力の出るエンジン回転数を毎分6500~7500回転としている。ポルシェ911カレラSも最高出力の出る回転数は毎分6500回転だ。



では、トルクよりパワー重視のF1などレーシングカーは、なぜエンストせず発進できるのか?



F1は軽自動車並の軽さの上に経年の耐久性を考えなくて済む

トルクよりもパワー重視のレーシングカーがエンストせずに発進できる理由の一つは、市販車はほぼアイドリング回転数から発進するのに対し、エンジン回転数を高め、トルクの小さい分をパワーで補う回転数でクラッチをつなぎ、発進しているという点がある。レースのスタートで、エンジンが唸りをあげるのはそのためだ。また、プロフェッショナルなレーシングドライバーの運転の技量の高さも関係するだろう。そのうえで、レーシングカーは車両重量が軽いので、トルクが必ずしも大きくなくても発進できる側面もある。



2020年のF1規則では、最低重量が746kgと定められている。これは既存の軽自動車ほどだ。たとえば、スズキ・アルトは610~700kgである。それに対し、NSXは1800kg、ポルシェ911カレラSは1590kgとなり、F1の2倍以上の重さになる。



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クルマの燃費が発進の際にもっとも悪化するように、発進のときに一番エンジンの力が必要になる。車両重量の差がトルクの大小に関わって、アルトはわずか60N・mほどあれば発進できるが、NSXやポルシェは500N・m以上のトルクを出すエンジンを搭載している。もちろん発進の実用性だけでなく、スポーツカーとしてそのあとの強烈な発進をもたらすためでもある。



レーシングエンジンは、フランスで開かれるル・マン24時間レースでも走行距離は5000km前後だ。そうした限られた用途のなかで、最高速の高さを目標に開発されるので、ショートストロークでエンジン回転数を高めた設計になる。



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市販車は、10万km以上ほぼ故障なしで走れなければならず、なおかつレーシングカーより重い車体を何度も発進・停止させ、エンストを起こさないで使えなければならないという、性能だけでない耐久性や実用性が求められる。したがって、スポーツカーのエンジンも実用的な乗用車に比べればショートストロークではあるが、ほぼスクェアに近く、ボアよりわずかにストロークの短い程度にとどまり、エンジン回転数を単に高めることを目的にはしていないのである。

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