この記事をまとめると
■アメリカで大人気となったバギー「メイヤーズ・マンクス」を紹介■日本にも「メイヤーズ・マンクス」をオマージュした「フェロー・バギー」があった
■レースなどが盛んに行われたこともあり、今でもアメリカを中心に愛されている
アメリカでカルト的人気を誇った「メイヤーズ・マンクス」とは
1960年代から1970年代にかけて、いまでは考えられないようなさまざまな種類の日本車がメーカーから正規発売されていた。その一例が、1970年に発売されたダイハツ「フェロー・バギー」だろう。
1960年代半ばまでの軽自動車は商用車が主体だったが、60年代後半になって庶民が乗用車を持つ時代となるなかで、軽自動車の乗用化の流れが一気に高まった。ホンダ、スズキ、富士重工(当時)との競争が激しくなる中、ダイハツは全社一丸となって月販3万台を目指す「三〇作戦」をスタートさせた。
それと同時に、ダイハツはブランドロゴを刷新し、そこには「ダイハツは〈若さ〉を追求します」という文章を盛り込んだ。企業と商品のイメージとして、「ヤングダイハツ」を強調した。その一環として、当時アメリカで若者に人気となっていたバギィを取り入れた。それが「フェロー・バギー」だ。
では、バギーの本家であるアメリカでは、どんなクルマが走っていたのか?
代表的なバギーといえば、「メイヤーズ・マンクス」である。デューン・バギーと呼ばれるカテゴリーに属するクルマだ。デューンとは砂丘を意味する。メイヤーズ・マンクスの製造元は、ロサンゼルスより南側のエリアにあり、こうした南カリフォルニアの内陸部、またはメキシコ国境を超えたバハ・カリフォルニアは砂漠や砂丘が広がっている。
そんな南カリフォルニアの砂丘で1960年代、さまざまなレースが行われるようになる。
メイヤーズ・マンクスはそうしたレース車両として生まれたが、カリフォルニアの若者文化の中で、気軽なレジャーヴィークルとしても人気を博すようになる。エンジンや車体は、当時全米で販売が好調だったフォルクスワーゲン「ビートル」を流用した。RRの車体・エンジンレイアウトが、デューン・バギーとしての走行性能の強みを発揮し、レースでも常勝マシンとなったことで、人気はさらに高まることになる。そうした光景が、テレビや雑誌で世界中に広まっていく。
当時の日本人にとっても、アメリカンライフは憧れの的であり、なかでもカリフォルニアの開放的な若者文化に、日本の若者が熱い視線を注いでいた。ダイハツとしても、ヤングダイハツの象徴として、「フェロー・バギー」で弾みをつけ、その後に登場する「フェローMAX」の販売に結びつけたいという狙いがあったと考えられる。

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