この記事をまとめると
■デ・トマソ・マングスタはフォード、ギアとのコラボレーションによって生み出された■車両重量は1000kg以下で、フォード製V8をミッドシップに搭載したスーパーカーだ
■デザインはジウジアーロが担当し、その見どころはガルウイング方式のエンジンフードだ
スポーツカーメーカーとなったデ・トマソ
アレッサンドロ・デ・トマソ。彼の出身地がアルゼンチンであることを考えれば、あるいはアレハンドロ・デ・トマソと発音するのが正しいのかもしれない。彼と自動車との関係は、多くの自動車メーカーの創始者がそうであったように、モータースポーツにあった。
ここで彼には運命的な出来事が待っていた。それはアメリカのオスカ・チームでドライバーをしつつも莫大な財産を持つ、イザベル・ハスケルとの結婚だ。彼女の持つ資金を背景に、デ・トマソはイタリアのモデナにデ・トマソ・カー・カンパニーを1959年に設立。その後F1GPにも4回参戦するが、残念ながらポイントを得ることはなく、1970年にレーシングコンストラクターとしての活動を終えている。
そのデ・トマソが次に始めたビジネスは、当然のごとくと表現してもよいだろう、スポーツカーの開発と生産だった。ファーストモデルはフォード製の1.5リッター直列4気筒エンジンをミッドに搭載し、強固なバックボーンフレームを基本構造体とする「ヴァレルンガ1500ベルリネッタ」。

最高出力はスタンダードな仕様で102馬力、チューニング版では135馬力を得ることが可能だったとされた。ボディはフィッソーレ製の魅力的なクーペスタイルで、実際にギアによる生産が行われた時には素材は軽量なFRP製となった。
世にも珍しきガルウイングのエンジンフード
ヴァレルンガの生産は1965年に始まるが、この時すでにデ・トマソの内部では、というよりもヴァレルンガで確立されたデ・トマソ、フォード、ギアのコラボレーションによる、さらに大型なスポーツカーの開発計画が進められていた。
それが1966年のトリノショーで発表された「マングスタ」で、シャシーはヴァレルンガから、さらにサイズを拡大したバックボーンフレームが基本。

ミッドにはフォード製の4728cc 4バレルのV型8気筒OHV。
ちなみにトリノショーの時点では、搭載エンジンは4778ccのフォード製とされ、ウェーバー・キャブレター付きが418馬力、デカルミ製燃料噴射を組み合わせた仕様では、じつに437馬力と506馬力の最高出力を選択できると紹介され、最高速は300km/hに迫ると紹介されたのだから、マングスタはこのショーでのひとつの華となったことは想像に難くない。

ギアに移籍直後にあったジョルジョット・ジウジアーロによるデザインもまた、マングスタでは高評価を得た部分だった。エンジンカバーがガルウイング方式で開くのは、実際にマングスタのエンジンルームの大きさを見れば自然と理解できようともいうべきものだが、それもまたこのマングスタの大きな個性でもある。

マングスタの生産は後継車のパンテーラが1970年にデビューしたことを受けてこの年に終了するが、生産台数はわずかに400台前後だったとされている。
その性能を考えれば、デ・トマソの残した貴重なスーパーカーともいえるマングスタ。それを実際に見るのはなかなか難しいことだ。