この記事をまとめると
■スーパーカー大王として知られる山崎元裕さんのクルマ原体験はダンプカーだった■絶対に乗ってやると憧れたのはスーパーカーが多かった
■憧れた多くのスーパーカーには乗ったがまだ乗れていないモデルもある
国道を走るダンプカーの姿に憧れた
この原稿を書き始める前に、自分とクルマを結びつけた原体験とは何かを改めて考えてみた。それは中学生のときに突如として日本を襲ったスーパーカーブームなのか。いや違う。
編集部の方には画像を探すのも大変かもしれないが、逆にメーカーもモデルも関係ないので、ここで事実を正直に告白しよう。もうすぐ60歳を迎えようかという自分がいままでクルマの世界で生きてきた原体験、すなわち記憶の底にいつまでも残り、その後の人生に大きな影響を与えた幼少期の体験は、ダンプカーを見ることにあった。
当時地方の県庁所在地に住んでいた自分は、家から少し離れた国道を走るダンプカーの姿を見るのが何よりの楽しみだった。時代からして団地やビルなど、この頃は建築ブームの最中にあったのだろう。その国道を通るダンプカーは数えきれないほどで、自分はそれが大きければ大きいほどカッコいい、そしてより大きいダンプを運転できればできるだけ、その人はエラいと考えていたのである。
自分も大きくなったらダンプカーを運転してみたい。その夢ははたして叶ったのだろうか。
結論から話せば、残念ながらこの年になるまで、自分はダンプカーをドライブしたことはない。けれどもメルセデス・ベンツ・ブランドで販売されていた「ウニモグ」のドライブは幸運にもそれを体験することができた。
副変速機のシフトレバーにはHiとLoの表示ではなくウサギとカメが描かれ、それが世界中のどこの市場でも活躍できる「多目的作業用自動車」であることを物語っていた。あのときダンプカーの運転手さんから、チビな幼少期の自分はこのように見えていたのかと感じたこともよく覚えている。
いまだ乗れていない究極の憧れスーパーカーはミウラSVR
原体験であるダンプカーの話はこのくらいにして、少しは現実的な話をしよう。子どもの頃に絶対に乗ると思ったクルマ。それはやはりスーパーカーがほとんどだった。まずは何といってもランボルギーニのミウラとカウンタック。
その限界ともいえる車高の低さと、ミウラでは流麗なボディラインの流れ、一方のカウンタックはまさに未来からいきなり現代に現れたかのような神秘的ともいうべきオーラを放つモデルだった。地方都市ではあまり開催されないスーパーカーショーへ行き、写真を撮り、プラモデルを作る。いったいどれだけのお金をスーパーカーのために注ぎ込んだだろうか。
フェラーリの365GT4BBやディーノ246GT、ランチア・ストラトスなどもまた同様。まあ大人になって何とか自動車メディアの世界に潜り込み、スーパーカーを中心に原稿を執筆できる立場に、つまりこれらのモデルにはすべて乗ることができたのだから、それらのお金は十分に価値ある初期投資といえたのだと思う。
一方、スーパーカー・ブームのときにはあれだけ憧れながら、実際に走りを体験できていないのは、ランボルギーニのミウラ・イオタSVR。
ランボルギーニのクラッシック部門、ポロ・ストリコで美しくレストアされたSVR、いつかそのステアリングを握らせていただける日は訪れるだろうか。こればかりは神に祈るほかはない。

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