平野ノラさん

先日の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ)で44歳にして88kmのマラソンランナーを務めたオアシズの大久保佳代子さんや、妊活を経て35歳で無事出産した大島美幸さんなど、アラサー、アラフォーの女性芸人には日々注目が集まっている。

そんな中『5時に夢中!』(TOKYO MX)や『ナカイの窓』(日本テレビ)などに出演し、現在人気急上昇中なのが女性芸人、平野ノラさんだ。

肩パッドの入った真っ赤なボディコンから大きすぎる携帯電話を提げ、ソバージュヘアに太眉のメイクを施して、バブル時代に流行ったフレーズをネタにしている彼女は現在36歳。30歳を超えて芸人の道を進み始めた平野さんに、養成所に通い始めた経緯や、お笑いという夢を叶えた現在について伺った。

お笑いをやりたくて葛藤していた20代、結婚を断って養成所へ

――お笑いの養成所に入るまでの経緯を教えてください。

平野ノラさん(以下、平野):23歳くらいの時からお笑いはやりたいと思っていて、相方が見つからないまま1人でワタナベのライブのオーディションを受けに行きました。そこで凄くダメ出しをされて、勇気も自信もなくして諦めたんです。それから就職したりフリーターをしていたんですけど、何を糧にしたら良いのかわからずただただ生きているという感じでした。

バラエティ番組もまっすぐ見れずに、でもお笑いはやりたいなと想い続けてもやもやしていた20代でした。

その後諦めきれず、30歳の時に思い立って、4年ほど同棲していた彼氏にお笑いをやりたいと告げたんです。彼との結婚も考えていたんですけど、結婚したらもうお笑いはできないと考えていたので思い切って伝えました。そうしたらお笑いを反対されたので、「あ、やっぱりお笑いをやろう!」と思い、その人とはお別れして養成所に入りました。

――当時の養成所には平野さんより10歳以上も年下の同級生がたくさんいましたよね。焦りはありませんでしたか?

平野:焦りは特になかったですね。

やっと「お笑いが学べる!」という喜びでした。同じクラスに30代の方もいたんですけどやっぱり頭が固くて、プライドが邪魔をしているようでした。私はお笑いを学べるのが嬉しくてたまらなかったので、一番前の席で授業を受けて、毎日スポンジのように吸収していてもう青春でした。

若い子達は養成所も真新しくて楽しいから、学校の帰りによく飲みに行くわけですよね。でも30過ぎた女が彼らと一緒に浮かれて「今日ウケたね!」なんて言いながら乾杯できない。当時は「もっと学んで面白いネタを作って世に出たい!」という想いだけで、とにかくお笑いにガツガツしていました。

遠回りでも人生の歩き方が間違っていなかったと思える

――そのガツガツさがデビューへとつながったのですね。その同期の若い子たちは今も残っていますか?

平野:いや、養成所時代の同期はもう2組しかないですね。だいたい100組以上がスクールに通って、10組くらいが事務所に所属できるくらいです。やっぱりノリで始める子は多いんですけど、覚悟を決めた人だけ残っていく世界だなと思います。

私は、高校の同級生を誘って養成所に入ったんですけど、彼女がすぐ辞めたので決まっていたライブに出られなくなったんです。でも初舞台は絶対踏みたいと思って先生に懇願して、なんとかライブに立ちました。

あの時の一歩の勇気は大きかったと思います。逃げ出したい、オーディションも行きたくないという、あの8年前に諦めた時のトラウマがありましたから。とりあえず一歩踏み出すということに尽きるなと思います。

――今の年齢だからこそ、ここまで来たという実感はありますか?

平野:まだまだ成功の途中ですけど、日々面白いと言ってくださる方やメディア露出が増えてくると、本当に「諦めないでよかったな」と感じます。また、この年齢だからこそ、ちゃんとした立ち居振る舞いができるし、テレビのディレクターさんも同世代だから、コミュニケーションが取れるのも大きいです。

若い時はテレビを見ていても「なんでこんなつまんない芸人が出ているんだ」なんて思うほど尖っていたし、考え方も子供でした。

お笑いをやりたかった気持ちを寝かせていたからこそ今は感謝の気持ちも強いし、「私はまだまだこんなもんじゃないぞ!」という意識も強い。早く始めればよかったという話じゃないんだなとしみじみ思います。

>>後編へ続く

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(石狩ジュンコ)