
「家族が一緒に暮らす権利」は国際人権法上で認められている。しかし、アメリカに限らず日本においても、政府職員によって外国人の親子が引き離される事例が起こってきた。
今回はジャーナリスト・記者の平野雄吾氏の著書『ルポ 入管――絶望の外国人収容施設』(2020年、ちくま新書)から、入管への収容が生じさせる親子分離の問題や、外国人が弁護士を呼び裁判を受ける権利が侵害されている実情について書かれた内容を抜粋して紹介する。
引き離された母子、響く息子の泣き声
入管当局は頻繁(ひんぱん)に片親のみを入管施設に収容、あるいは強制送還も実施し、結果として親子分離を生じさせている。残された子どもはもう片方の親と暮らすが、片親の消失という家庭環境の変化は子どもに大きな影響を及ぼす。入管当局は、外国人の出入国管理は国家主権に関わり、誰を入国させるかは国家が自由に決められるとの説明を繰り返す。一方、人権団体は「個別の事情を考慮し、日本に定着している外国人には在留を許可すべきだ」と訴えている。
2018年1月、東京入管。職員が母の膝の上から5歳の息子を引き離した。泣き叫ぶ息子。取り乱す母……。職員が息子を連れ去ると、母の視界から息子の姿は消え、泣き声だけが響いた。
グエン・ティ・マイ(仮名、46)は、抱いていた息子が連れ去られた衝撃を今も忘れることはない。
群馬県伊勢崎市で夫ファン・バン・クオン(仮名、52)や息子と3人で暮らしていた。正規の在留資格はなく、仮放免だった。就労できないため専業主婦として家族を支え子どもの世話をする。月に一度、仮放免の延長手続きで東京入管に出頭する。そんな毎日を生きていた。
2018年1月30日、毎月の出頭日と同じように、息子を連れて東京入管へ向かう。仮放免の許可が延長されると考えていたが、いつもと様子が違った。「旦那さんを呼んでください」と告げる職員。クオンが数時間後に急いで駆けつけると、投げ掛けられた言葉は「これからあなたは入管に泊まることになります。きょうは自宅には帰れません」。
「気が動転して席を立ってしまった」と振り返るクオンがいなくなると、入管職員は「お子さんとは別の場所になります」と言った。息子の顔は青ざめていた。
「10人ぐらいの職員がいました。男性も女性も。抱いていた息子は膝の上から引き離され、どこかへ引っ張られていきました。私は押さえつけられた後、別の部屋に連れて行かれました」。マイは振り返る。
ベトナム人通訳は「あなたは帰国します」と畳み掛けた。「息子はどこにいるの?」。すがるように尋ねるマイに職員は通訳を通じ「わかりません。私は知りません」と言った。
東京入管では、フィリピン人やタイ人らと6人部屋に収容されたが、8日後の2月7日午後6時半ごろ、別の部屋に移された。
「もうだめだから」と告げる職員。マイに手錠をかけた。車が向かった先は羽田空港で、チャーター機により集団で強制送還させられた。機内では、厳重警備する職員の姿が目に入った。
「離陸すると、手錠は外されました。職員に挟まれるように着席し、トイレに行くときにも職員が付いてきます。ドアを完全に閉めることは許されず、少し開けたままでした」。
マイが機内の様子を語った。解放されたのはベトナムの首都ハノイのノイバイ国際空港だった。
「罪」に見合わない、あまりに重い「処分」
マイには在留資格がなかった。2002年2月、研修生(技能実習生の前身)として来日し、茨城県の縫製工場で働いた。月給は約5万円。うち2万円は強制的に貯金させられた。パスポートも取り上げられた。ベトナムの送り出し機関やブローカーに支払う費用を捻出するため約50万円の借金を抱えており、苦しい日々にも耐えるしかない。だが2003年8月、縫製工場から逃亡した。今で言う失踪技能実習生である。伊勢崎市の食品加工工場で「不法就労」し、生計を立てる。そこで知り合ったのがクオンだった。
クオンは1990年10月に来日、難民と認められ定住者の資格を有する。
2012年12月の長男出産を機に2人は身辺整理を決断する。妹の名前だったためいったん離婚し、マイの本名で在日ベトナム大使館に結婚届を提出した。東京入管にも出頭し非正規滞在であると申告、正規の在留を許可するよう願い出た。
ところが、入管当局はマイに退去強制令書を発付、「帰国しなさい」と圧力をかけるようになる。「せめて子どもが小学校に上がるまでは送還を待ってほしい」。マイは懇願したが、入管当局は集団送還のリストに載せた。正直な申告が馬鹿を見る結果となった。
入管当局は一般乗客の搭乗する航空機での個別送還に加え、チャーター機による集団送還を実施している。入管当局が国会議員に開示した資料によれば、2018年の集団送還でベトナムに送り返された47人のうち、12人は法的な婚姻関係を持つ妻や夫を日本に残している。
日本での在留期間が15年を超えるベトナム人が4人おり、最長は21年5カ月。入管当局は取材に対し、「送還を拒む者の中から、個々人の事情を総合的に判断して選んでいる」とのみ説明し、具体的な選定基準を明らかにしなかった。
NPO法人「移住者と連帯する全国ネットワーク」(東京)の事務局長で、非正規滞在者の人権問題に詳しい山岸素子は「退去強制令書が発付されても長期間、送還に応じないのは日本で暮らすしか生活の見込みが立たないためであって、そうした人たちを家族分離まで強行して、強制送還するのは非人道的と言わざるを得ません。日本社会に根ざして生活している場合は、きちんと在留許可を与えるべきです」と訴える。
入管問題に詳しい児玉晃一も続ける。「家族が一緒に暮らすのは非正規滞在者にも認められた当然の権利であり、自由権規約も保障している。強制退去を含む行政処分は罪の内容と処分の重さのバランスを考慮する『比例原則』に従う必要があります。
例えば、赤信号無視の交通違反では、死刑になりません。入管難民法違反の非正規滞在が家族分断の悲劇に値するのか再考すべきで、政府は家族を離れ離れにする強制送還のあり方を見直す必要があります」
研修生として来日し、理不尽な職場に耐えかねて失踪、不法残留となり強制送還された。その後不法入国し、子どもを養育していた。マイは確かに、入管難民法に違反している。入管当局はその事実にしか着目しないが、その背景には、マイ自身の責任に帰すことのできない事情も存在する。
クオンは伊勢崎市の自宅で父子家庭として暮らす。「専業主婦の妻がいなくなり子どもの送迎、炊事洗濯、料理が始まりました。卵焼きばかりですが」。大きなベッドで長男を挟み川の字で就寝していたと懐かしがる。「長男に『ママがいない』と泣かれると困ってしまいます」。そうつぶやき、肩を落とした。
「妻は確かに法律に違反しました。それは反省しています。けれど、長男には母親が必要だし、家族一緒に暮らしたいんです。ただ、それだけです」
「職務」に忠実な公務員たち
チャーター機による集団送還は親子分離、家族分離のほかにも、国際条約違反、憲法違反の疑いを引き起こしている。入管当局は毎年度、数千万円の予算を計上、当該国の在日大使館と打ち合わせするほか、航空会社とも調整し計画を進める。しかし、予算が計上される以上、実施が至上命題となり、チャーター機を飛ばすために乗客として非正規滞在者を確保する必要に迫られる。強制送還のためにチャーター機を飛ばす制度がチャーター機を飛ばすために強制送還する事態になり、手段と目的の入れ替わる現象が生じる。
入管当局は「効率的に送還ができる」と成果を強調するが、数合わせのために非正規滞在者の個別事情の検討がないがしろにされるとの批判が絶えない。2014年実施の集団送還では、難民として日本に保護を求めていたスリランカ人男性が含まれていた。
2014年12月17日、東京都港区の東京入管。スリランカ人男性、チャンドラ・ラナシンゲ(仮名、44)は仮放免の延長申請で出頭し、不許可を告げられると別の一室へと連行された。
多数の職員に囲まれる中で着席すると、自らが申請していた難民不認定処分の異議申し立てが棄却されたと伝えられる。衝撃の決定に「怖い、怖い」とチャンドラは繰り返す。気が抜けたように椅子から地面へとくずおれた。職員は文書を示しながら説明を続ける。
「椅子に座りますか、そのまま聞きますか」。チャンドラは正気を失っていた。「怖い、怖い……」と繰り返し、視線は宙を泳ぐ。「怖い、怖い……」
「このまま、話しますね」
「怖い、怖い……」
「もうひとつね、ちょっとお話があるんで聞いてください」。通訳が一文一文日本語に直す。
「今日の決定に不服がある場合はですね、裁判所でね、取り消し訴訟をすることができます。訴訟ができる期間があってですね、今日から6カ月以内。決定書とね、裁判のお知らせはね、あなたに差し上げますので」
「怖い、怖い」。チャンドラは職員に向かって言った。「弁護士呼んで、弁護士さん呼んで」
チャンドラはスリランカで野党メンバーとして活動、地方議員も務めたが、暴行や脅迫を受けたほか、自宅も襲撃された。国内各地を転々とした後、1999年4月に来日している。2011年6月に難民申請した。
日本の難民認定制度は二審制で、難民不認定処分を受けた後、不服の場合は異議申し立て(2016年に審査請求に変更)ができる。異議申し立てが棄却されると、その処分の取り消しを求め、裁判所に訴えることができ、チャンドラが職員に告げられたのはこの異議申し立ての棄却だった。
「これで難民の手続きは終わりになります」。一部の職員らはそう告げると立ち去ったが、別の職員が床に腰を下ろし壁にもたれかかるチャンドラに畳みかけるように言った。
「もしあなたが裁判したところでね、デポーテーション・オーダー(退去強制令書)出てるからね、あなたを帰せないわけではないってことは理解してください」
「怖い、帰ったら危ない」「殺される」。チャンドラはすがるように訴える。「高橋ひろみ弁護士どこ、高橋先生呼んで」
職員はチャンドラに携帯電話の使用を認めた。
「自分の電話で電話しなさいよ。一応、弁護士先生だけね」
「ただいま電話に出ることはできません。発信音の後にお名前と用件をお話しください……」。チャンドラは弁護士の高橋ひろみに電話をかけたが、応答したのは無情にも留守番電話のメッセージだった。
「先生助けて、殺される。早く助けて」。そう言い残すのがチャンドラにできる唯一の努力だった。関係者によれば、職員は15分程度、チャンドラに電話の時間を与えている。だが、電話は高橋にはつながらなかった。
5分後であれば電話はつながっていたのに…
チャンドラは自ら訴訟提起の意思を示したが、現実問題として訴状は日本語で記載する必要があるほか、裁判所は直接の手渡しか郵送でなければ訴状を受け付けない。弁護士と連絡が付かなかった以上、入管当局に囚われたチャンドラにできることはもはやなくなっていた。職員は携帯電話を取り上げると電源を切った。「危ない、弁護士呼んで」と食い下がるチャンドラ。職員は「呼ぶのはあなた、私たちは呼ばないさ」と突き放し、明確に伝えた。
「私たちは明日、あなたをスリランカへ送還します。これはもう決定事項です」
「裁判やる、殺される、危ない、先生呼んで」。チャンドラは訴え続ける。「裁判やる、裁判やってる。国帰ると殺される……」
不十分な日本語力の揚げ足を取るかのように職員が応答する。
「あなたが裁判やってるって話は聞いたことはありません」
「弁護士呼んで、裁判やってる」
「私たちの言うことを聞くようにしてください。あなた、荷物とか家に置いてるでしょう」と不意に職員が話題を変えた。
「国帰るできない、裁判やってる」
「その話は後でね、今は荷物の話」
「命危ない。できない」
「わかった? もう決定事項です。あなたが荷物をどうするかってことなんです」
「弁護士呼んで、先生呼んで」かみ合わない会話が続く。
「荷物のことを聞いているの。家まで行かなくていいですか」
「殺される、殺される」
「弁護士さん、もうだめです。さっきチャンス与えましたけど、弁護士先生、連絡付かなかったでしょう。一番いいのは荷物を取りに行くこと。行かないんですね。荷物はもう要りませんね。わかりました」
職員はチャンドラとの会話をさえぎり、規則に従うかのように自宅にある荷物の取り扱いを確認した。床に倒れ込み、過呼吸となってはあはあと息を上げるチャンドラ。「怖い、殺される、裁判、弁護士……」と繰り返す。
職員らに取り乱すチャンドラを前にしても感情のぶれはない。そこにあるのは与えられた職務を忠実にこなす冷静な、あるいは冷徹な公務員の姿だった。
翌18日、チャンドラはチャーター機に乗せられ、スリランカへと送還された。身の危険を感じ、現在も国内を転々とする日々を続けている。
実は、職員がチャンドラの携帯を取り上げた数分後、弁護士の高橋ひろみはチャンドラからの留守電に気がつき、折り返しの電話をかけている。
「事務所のあるJR恵比寿駅(東京都渋谷区)周辺を歩いていました。携帯をハンドバッグに入れてマナーモードだったため呼び出し音がわかりませんでした。午前11時50分ごろでしょうか、携帯に何度もチャンドラさんから着信があって留守電を聞いてみると『捕まった。助けて。殺される』と入っているんです」。
当時の驚きを振り返る。午前11時半から11時45分にかけて、着信が相次いでいたという。
不安に駆られた高橋は慌てて折り返すが、すでに電源が切られていた。トラブルに巻き込まれたのか。警察なのか入管なのか。チャンドラの友人に電話すると、東京入管に行ったと知らされる。午後の予定を取りやめ、東京入管に駆けつけたのは午後1時ごろだった。
「面会の受付で事情を説明しましたが、『該当者なし』ということでチャンドラさんには会えませんでした」。高橋に悔しさがこみ上げる。そのころ、チャンドラは同じ建物の中で、翌日の送還を告げられ、絶望の淵に立たされていたのである。
「自分が電話に出ていれば、送還されなかったのではないかという思いはあります。最終的にチャンドラさんがスリランカに帰国後、電話をかけてきてくれて送還の事実を知りました」
ナチスの「一斉射撃」を想起させる集団送還
入管はチャンドラが裁判を受ける権利を侵害した、と駒井弁護士は訴える(Ken Galbraith / PIXTA)
外国人を国外に追放するという絶大な権限を持つ入管当局だが、その権限を事実上行使できない場面が大きく分けて二つある。一つは難民申請者の送還停止措置であり、もう一つは裁判係属中の送還禁止だ。
前者は入管難民法61条2項に定められた規定であり、後者には法的な拘束力はないが、実務上そう運用されている。裁判の結果が出る前に強制送還すれば、日本国憲法が保障する裁判を受ける権利を侵害するためとされている。
こうした状況下で、強引に強制送還を実現しようとする場合、入管当局は空白期間に目を付ける。難民申請の不認定が決定し、新たに再申請するまでの期間、あるいは不認定処分の取り消し訴訟を提起するまでの期間である。
難民申請者ではない上、訴訟の当事者でもない。強制送還から身を守るという外国人側の観点からすれば、無防備な状態だ。チャンドラのケースを振り返ると、入管当局がそうした空白期間を意図的に作り出し、計画的に集団送還の対象者に載せた実態が浮かぶ。
入管当局がチャンドラの難民申請を巡り、異議申し立てを棄却する決定をしたのは2014年11月7日。ところが、入管当局はすぐには連絡せず、同12月17日にその旨通知し、翌18日に送還している。
仮に決定後速やかに伝えていれば、送還までには1カ月以上の時間があり、弁護士と打ち合わせ、訴訟の提起や再度の難民申請も可能だっただろう。通知の時期を意図的に遅らせ、送還予定日の前日に知らせることで、入管当局は訴訟の芽をあらかじめ摘んだとみられている。
チャンドラは2017年10月、憲法32条で保障された裁判を受ける権利を侵害されたとして、国に約500万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。
高橋ひろみとともに、代理人となった弁護士の駒井知会(ちえ)は「損害賠償なので勝ってもおカネだけです。それよりも、こういう送還は許されないのだと裁判所に認めてもらい、二度と起きないようにするための裁判です」と強調した。
難民条約は難民の条件として、母国にいないことを挙げている。つまり、スリランカに送還されたチャンドラには、日本政府に保護を求める資格がなくなった上、日本の裁判所に難民不認定処分を取り消すよう訴えることもできなくなったのである。同じく代理人となった弁護士の髙橋済(わたる)も入管当局の対応を非難した。
「訴訟に勝っても、チャンドラさんが日本に戻って来られるわけではありません。だからこそ悪質な事案なんです。強制送還してしまえば、難民認定を求めて訴訟を起こすこともできない。とても不公正なやり方です」
原告側は訴訟で、難民不認定の異議申し立てを棄却した決定の通知から1日の猶予も与えず送還したのは、その後に訴訟を提起するかどうか検討する十分な機会を与えておらず、憲法32条に定める裁判を受ける権利を侵害、国家賠償法上違法だと訴えた。
「取り消し訴訟の訴えができる期間中は強制送還を控えるべきであり、訴えの利益を喪失させたことは適正な手続きを保障した憲法31条にも違反する」と主張した。
一方、国側は「入管難民法上、入管当局には強制退去の対象となった外国人の速やかな送還が義務付けられている」と強調した。
「チャーター機による集団送還では、異議申し立ての棄却決定を一斉に通知し、その翌日に送還するという方法を取っており、事前に察知されて妨害されないようにするための必要かつ合理的な措置である」と主張し、さらに「入管職員は原告に対し、外部との通信を制限しているが、原告の訴訟提起の意思を確認し、合理的な時間を与えるべき職務上の義務は存在しない」とも付け加えている。
2019年12月10日、東京地裁で開かれた最終意見陳述で、弁護士の駒井知会は裁判官を強く見つめながら、こう訴えた。
「原告は腰を抜かし怯えていました。『命危ない、弁護士呼んで』とつたない日本語で哀願しました。入管職員はそれを無視し、踏みにじりました。原告の電話は人生を賭けた運試しのようなものとなりました。21世紀の日本でこんなことが起きているとは。
醜さ、醜悪さに背筋が凍りました。ある映画の中で、ナチス・ドイツの将校がユダヤの人々に『これで生き延びたら殺さないでいてやる。自分の運を試してみろ』と一斉射撃する場面を見たことがありますが、まさにその場面を彷彿とさせる状況です。
原告は運試しに敗れ去ったのです。原告には裁判を受ける権利があり、行使する意思もあるのに、祖国にたたき返されました。いきなりズドンの強制送還の餌食になりました。日本が基本的人権を尊重する国であることを示してほしいと願っています」
東京地裁(下澤良太裁判長)は2020年2月27日、判決を言い渡し、原告の請求を棄却した。判決は「送還停止事由が消滅したときは入管難民法の規定に従い、速やかに送還することが求められている」と指摘し、「出訴期間を待って送還をしなければならないとする法令上の規定はなく、送還を差し控えなければならない義務があるとは言えない」と判断した。
「異議申し立ての棄却決定の通知が送還直前に行われたのは集団送還を安全かつ確実に遂行するための措置だった」とも強調した。駒井の思いは届かず、国側の主張を全面的に認めた形となった。
入管当局は2020年3月10日にも、成田空港からチャーター機を飛ばし、44人を集団送還している。行き先はスリランカだった。入管庁は前日の9日に難民不認定を巡る異議申し立ての棄却決定を告げたケースがあったと明らかにした。チャンドラと同じ悲劇が今も繰り返されている。
■平野雄吾
1981年東京都生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修了。共同通信外信部記者。前橋、神戸、福島、仙台の各支社局、カイロ支局、特別報道室、外信部を経て、2020年8月から24年7月までエルサレム支局長。
近著に『パレスチナ占領』(ちくま新書、2025年9月刊行予定)。
「入管収容施設の実態を明らかにする一連の報道」で2019年平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞。初の単著『ルポ入管』(ちくま新書、2020年)で城山三郎賞など受賞多数。他の著書に『労働再審2』(共著、大月書店、2010年)、『東日本大震災復興への道』(共著、クリエイツかもがわ、2011年)などがある。