福祉事務所の担当ケースワーカーから、受話器越しに投げつけられた怒声。これは、生活保護を利用し、まさに今、生活の立て直しを図ろうとしていたタカヤさん(30代男性・仮名)に向けられた言葉です。
本来、生活に困窮する人々を支え、自立を助けるはずの生活保護制度。しかし、その現場では、一般には到底理解しがたい「謎ルール」が横行し、最も助けを必要とする人々を更なる苦境へと追い込んでいる実態があるのです。
今回は、生まれて間もなく母を亡くし、乳児院、養護施設を経て父親に引き取られた先で虐待を受け、統合失調症を患いながらも懸命に生きようとするタカヤさんの事例を通して、福祉行政の現場に潜む深刻な問題と、制度の矛盾を浮き彫りにしていきます。(行政書士・三木ひとみ)
「自立を助長する」はずの行政が若者を追い詰める現実
生活保護法は、「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」とともに、「その自立を助長すること」を目的としています(同法1条参照)。しかし、現実には、福祉の窓口でその理念とはかけ離れた扱いに接することがあります。タカヤさん(30歳)は、前述のとおり、統合失調症を患いながら、生活保護を受給しています。彼は、その壮絶な生い立ちを語ってくれました。出産時に母が亡くなり 、双子の兄と共に乳児院へ。6歳で父に引き取られましたが、そこではネグレクトや暴力といった虐待が待っていました。
高校卒業後は工場や清掃、スーパーマーケットの仕事などを一人で懸命にこなし、生計を立ててきました。
しかし、あるとき、友人から『お前、なんかおかしいから一度病院に行った方がいい』と指摘されたことがきっかけで、精神科を受診したところ、統合失調症と診断されました。そして、仕事にも支障をきたすようになり、それを機に生活保護の利用を始めました。
その後、紆余曲折あり、タカヤさんは、部屋を借りようとした際に、生活保護費を搾取される「貧困ビジネス」の被害に遭ってしまいました。
さらに業者が、同じ物件に腕に入れ墨があるような男性2人を入居させ、彼らはタカヤさんを「1000円貸すから5000円にして返せ」などと脅すようになりました。身の危険を感じた彼はその部屋から逃げ出し、ネットカフェでの寝泊まりを余儀なくされるに至ったのです。
本来であれば、彼のような困難を抱える国民を支え、守ることこそが、公的な福祉に課せられた役割のはずです。ところが、実際には福祉に守られるどころか、社会の歪みによってさらに深い淵へと追いやられたのです。
支援を求めた先にあった非情な宣告「保護は廃止にします」
「生活保護費が悪質な業者に搾取されている」タカヤさんが勇気を出して窮状を訴えても、担当ケースワーカーは真摯に相談にのることはありませんでした。支援を求めたにもかかわらず、事態は一向に改善しない。追い詰められたタカヤさんは、自らの判断でその住居を退去せざるを得ませんでした。そして、住む場所を失いました。
生活保護制度には、このような場合に転居のための費用(敷金など)を支給する仕組みがあるにもかかわらず、そうした案内は一切ありませんでした。
参考として例を挙げると、大阪府大阪市では一人暮らしで障害など持たない通常の生活保護受給者の場合、20万8000円が礼金、敷金、火災保険料等の初期費用として支給されます。
ところが、タカヤさんが窮状をケースワーカーに伝えたところ、告げられたのは、支援の言葉ではなく、信じがたい言葉でした。
「では、失踪扱いで保護廃止にします」
住まいを失い、まさに今日明日の生活にも窮する状況にありながら、転居費用の支給どころか、制度そのものを一方的に打ち切ると通告されたのです。
「保護廃止」という言葉の重さに、彼はどれほどの絶望を感じたでしょうか。それでもタカヤさんは、ネットカフェでの生活を続けながら、自力で入居させてくれる不動産会社を探し出し、隣の県で新たな住まいを見つけました。
家賃4万6000円のその賃貸物件は、「自治体での生活保護受給が決まった後に最初の家賃を支払う」という条件を不動産会社が特別に受け入れてくれたことで、入居が叶ったものでした。
福祉に見放された彼が、困難な状況の中で必死に掴んだ、一本の蜘蛛の糸でした。
ケースワーカーの怒声と「失踪7日ルール」の謎
タカヤさんから相談を受けた筆者は、タカヤさんを担当する福祉事務所に連絡を入れました。引っ越し先で新たに保護申請をするには、元の自治体での保護が廃止になっていなければなりません。二重申請は違法行為になるからです。そこで、タカヤさんの生活保護が本当に廃止されているのか、事実関係を確認するためです。
しかし、この一本の電話が、事態をさらに奇妙な方向へと導きます。筆者からの連絡を受けたケースワーカーは、タカヤさん本人に対し、怒りを露わにした電話をかけてきたのです。「このまま連絡なく7日過ぎれば、失踪扱いで廃止にできたのに!」
これは、生活保護制度の運用において、一般には到底理解しがたい「謎ルール」が現場にはびこっていることを示す、衝撃的な一言でした。
生活保護法には、住む場所や世帯の状況が変わった際に速やかに届け出る「届出の義務」が定められています。しかし、今回ケースワーカーが口にした「失踪扱いで廃止」という運用は、本来、利用者の生活実態を把握し、自立を支えるという福祉の根幹を揺るがすものです。
そこで、筆者は同じ福祉事務所で働いている旧知のケースワーカーに事情を話して確認したところ、「所在不明になって7日間連絡が取れなくなれば、失踪扱いで保護廃止にできる」というのです。
実施機関(自治体)が保護の変更、停止、または廃止をすることができるのは、被保護者が法に定める義務に違反した場合です(生活保護法62条3項)。しかも、事前に本人に言い分を聞く「弁明の機会」を与えなければなりません(同条4項)。
「7日」という期間で機械的に「失踪扱い」とし、弁明の機会を与えることなく保護を一方的に打ち切る運用は、極めて乱暴で、かつ正規の手続きを無視した違法な運用であると言わざるを得ません。また、重大な運用上の逸脱を伴う可能性もあるでしょう。
さらに不可解なのは、その後の担当者の言動です。
タカヤさんが自らの意思で「辞退届」を提出し、保護の廃止を求めたにもかかわらず 、担当者は「もう連絡があったから廃止にできない!」と息巻いたというのです 。
本来、保護の決定および実施は、要保護者の申請に基づいて行われるのが原則であり(法24条1項参照)、辞退の意思があれば、実施機関はこれを尊重し、速やかに廃止手続きを進めるのが通常です。
それなのに、廃止の手続きを行わないことは、本人の意思や権利を完全に無視しています。また、そもそもケースワーカーの方から「失踪」を理由として保護を廃止にしようと画策していた挙動とも矛盾しています。
住む場所のない人を保護する行政に求められること
この不可解な「7日ルール」について、筆者は自治体に直接問い合わせました。9月17日の夕刻に対応してくれた男性職員は、「7日ルール」の存在は認めたものの、「本人の意思が最優先。本人が自ら引越し先で保護申請をするため、従前の福祉事務所に対して提出した保護の辞退届をもって廃止にできる」という見解を示しました 。最終的に、福祉事務所は「本人の意思」と「居住実態の不存在」を理由に9月18日付けで保護を廃止。翌9月19日、タカヤさんは無事に新しい居住地で新規申請を行うことができました。また、その日に食糧支援も受けることができました。
この時点で、タカヤさんの所持金、総資産は70円ほどでした。取り急ぎ食糧をもらい、週明け月曜には追加の食糧と、初回の保護費が支給されるまでの賃借金も受けられることになりました。
この一連の出来事から透けてみえるのは、一部の福祉事務所の歪んだ実態です。
本来、統合失調症などの障害を抱えるタカヤさんのような人には、個別具体的な事情に寄り添った丁寧な支援が求められます。
タカヤさんが統合失調症を患っていること、住居を追われたこと等を考慮すると、行政には個別的かつ具体的な事情に配慮した援助方針と、病状の悪化を防ぐための人道的な対応が求められるはずです。本記事に示されたケースワーカーの対応は、この点で生活保護制度の理念から大きく逸脱しているといえます。
自立支援という目的よりも「いかに保護受給者を減らすか」を考え、事務処理の都合で「失踪扱い」にして、脆弱な立場にある保護受給者の打ち切りを狙ったように見えるその姿勢は、福祉行政の在り方として、根本から問われなければなりません 。
新たな居住地で生活基盤を築こうとするも…
タカヤさんは新たな地で生活を再建しようとしていますが、その基盤は依然として綱渡りの状態にあります。彼は、自力で部屋探しをし、敷金や保証人もない中、不動産会社の厚意だけで入居を許されました。その条件として、最初の保護費を受け取る際には不動産会社の担当者に役所まで同行してもらい、職員の目の前で家賃を手渡すこと(※)を約束しています。
※福祉事務所が本人に代わって大家に直接家賃を振り込む「家賃代理納付」の制度がありますが、手続きが初回支給日に間に合わない場合、役所等での現金受け取りになります。
不動産会社がこのような条件を設けたのは、過去に保護費を家賃として支払わずに姿を消した人がいたためです。
しかし、タカヤさんは本来、これほどの苦労を強いられる必要はなかったはずです。
というのも、タカヤさんのような安定した住居のない要保護者でも住居を確保できるようにするため、通常は「その地域の住宅扶助基準額×3」(大阪市など都市圏は「×4」)の範囲内で、敷金、権利金、礼金、不動産手数料、火災保険料、保証料など、必要な額を認定することが認められています。
また、業者に搾取された結果の退去であったため、住居の確保が必要な「真に必要やむを得ない事情」があったと認められます。したがって、福祉事務所は、住居確保のために敷金や保証料等の初期費用が必要であれば、住宅扶助(一時扶助)として支給を検討する義務があります。
実施機関は本来であれば、生活基盤の確保を支援する立場にあります。タカヤさんに対し、これらの制度について役所から適切な案内を行うべきだったといえます。
恣意的な「謎ルール」がまかり通る背景
そもそも、貧困ビジネスのような業者に保護費を搾取されてしまい、住居を失ってネットカフェに滞在せざるを得ない状況に追い込まれる前に、行政により適切な対応がなされるべきでした。タカヤさんのケースは、生活に困窮し、病を抱える若者が、福祉の現場でさらに苦しめられるという問題を浮き彫りにしました。
生活保護は、利用者に、能力に応じて勤労に励み、生活の維持・向上に努める「生活上の義務」を課しています。一方で、公務員である行政側には、その義務履行を支援し、一人ひとりの事情に即した人道的な運用を行う、より重い責任があるはずです。
「失踪7日ルール」のような、恣意的な「謎ルール」が現場でまかり通る社会にしたのは、誰でしょうか。それは、福祉行政の目的を見失い、事務処理の効率化や受給者削減を優先するあまり、利用者の権利や尊厳、そして真の自立を軽視してきた行政と、社会の硬直した姿勢にほかなりません。
タカヤさんのように、行政の冷たい対応によって精神的に追い詰められる若者は、決して少なくありません。彼らが真に自立するためには、公正で透明性のある制度運用と、人間的な温かさをもって寄り添う公的支援が不可欠です。
タカヤさんのような人が安心して治療に専念し、自立への道を再び歩み始めるために、制度の適切な運用が強く望まれます。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)。官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。著書に『わたし生活保護を受けられますか(2024年改訂版)』(ペンコム)がある。