東京・下町の名所「夕やけだんだん」絶景がマンションで遮断、なぜ止められない? 物議の声も…地元住民が漏らす“意外な本音”とは
東京都荒川区西日暮里に位置する「夕やけだんだん」。谷中銀座商店街へと続く階段から眺める美しい夕景と、情緒あるたたずまいで知られる、都内屈指の観光スポットだ。

11月下旬、この場所がSNSで大きな注目を集めた。階段のそばに建設中のマンションによって、これまで親しまれてきた夕焼けの眺望が遮られつつあるからだ。ネット上では「あんなにきれいだった夕焼けが見えなくなるのは寂しい」と惜しむ声が相次いでいる。
しかし、夕やけだんだんを「観光」という言葉で説明されることに違和感を覚える地元住民が少なからず存在することは、あまり知られていない。実際に現場を歩き、地域に根を下ろす人々に話を聞いてみると、違う景色が見えてきた。(ライター・末並俊司)

公募によって名付けられた「夕やけだんだん」

JR日暮里駅の西口を出て、御殿坂と名がついた通りをそのまま西に向かって歩くと、数分の場所に今回の現場はある。界隈(かいわい)は寺町で、駅の西側には約10ヘクタールの敷地面積を持つ谷中霊園が広がっている。御殿坂はその北の端をかすめるように通っている。
駅からは緩い上り坂だ。左手に墓地の駐輪場が見える。これを過ぎると、このあたりではたぶんもっとも標高が高い場所に登り着く。ここらは、関東平野に広がる武蔵野台地の東端にある上野台地の一部なのだそうだ。国土地理院の地図で確かめると標高は約20メートルだ。

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地図記号からも寺町であることがわかる(国土地理院(電子国土WEB)より筆者作成)

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日暮里駅から左に向かって急激に下っている(国土地理院(電子国土WEB)より筆者作成)

そこから100メートルほど続く平らな道には、喫茶室ルノアールや、古くからやっている佃煮屋などが並ぶ。やがて、道は緩く下り始める。そのあたりから見えてくるのが「夕やけだんだん」だ。
標高差10メートルほどのこの階段は、1990年に公募によって名付けられた。ここを下りきった先から、荒川区、台東区の両区にまたがる「谷中銀座商店街」が始まる。

「地価は上がるんじゃないか」の声も

夕暮れどき、階段の上に立つと、あかね色に染まっていく西の空を眺めることができる。そうしたところからこの愛称が選ばれたのだろう。
現在、夕やけだんだんには商店街に向かって左側に、2棟のマンションが建設中だ。現場はシートで覆われ、全体を見ることはできないが(2025年12月上旬現在)、完成すると6階と7階建てのマンションが2棟並んで建つことになる。
現場近くの不動産屋に勤める60代の男性は次のように話す。
「昔ながらの風情が好きだからここに住んでいるんだけど、マンションのために視界が遮られるのは寂しい、とおっしゃるお客さんは少なくありませんね。先日も更新の手続きで来店したお客さんがそんなふうに言ってましたよ」
両端と真ん中に手すりのついた、幅3.5~4メートルほどの階段の上からまっすぐ眺めると、谷中銀座商店街の向こうに西の空が見える。標高20メートルとはいえ、凹凸の少ない関東平野にとっては「いい眺め」なのだろう。
しかし現在は、両側にマンションが迫っているので、圧迫感が確かにある。
観光資源とも言える「夕やけだんだん」の景色だが、話題となっている2棟のマンションが建つことで、この場所の価値がどの程度低下するのか、試算するのは難しいだろう。実際「景色は悪くなるけど、地価は上がるんじゃないのかね」と語る住民もいた。「地価が上がると、その分固定資産税も上がるから、わりと面倒だけどね」と、その住民は苦笑する。
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夕やけだんだんそばに建設中のマンション(2025年12月、筆者撮影)

区からの働きかけも

ともあれ、夕やけだんだんから続く谷中銀座商店街は観光地でもある。私が周辺を歩いた日も、通りはまるで縁日のような賑(にぎ)わいだった。海外からの客も少なくない。こうした観光資源の「景観」が損なわれることに関しては、自治体も問題意識を持っていたようだ。
荒川区議の宮本舜馬氏は次のように語る。
「この場所でのマンション建設計画が持ち上がった際、区からの働きかけもありました。一方のマンションは、当初は8階建ての計画だったのですが、話し合いの結果7階建てに計画が変更されました」(宮本氏)
区からの働きかけとは、具体的にどういったものだったのだろう。
「あの場所では、地上3階以上の建物が建つと、夕やけが見えにくくなるというシミュレーションがありまして、そうした資料をもとに、話し合いが持たれたようです。
そもそも、荒川区にも景観条例が定められており、良好な景観を形成するための指針があります。
こうしたルールの下で景観への配慮が求められるなか、話し合いを通じて最終的に20メートル程度、階数で言えば6~7階建ての計画に変更された、ということです」(宮本氏)
そこまで話したところで、宮本氏は少し間を置いて、こう語った。
「私個人としては、残念ではあるけれど、法律的にはなんら問題がありませんし、(建築業者が)区からの働きかけにも応じてくれたわけですから、計画を止めるわけにはいかないと思っています」(宮本氏)

景観条例で「観光資源」は守れないのか

宮本氏の話にも出て来た「景観条例」とは、景観法に基づき、その地域独自の自然、歴史、文化などを反映した良好な景観を形成・維持することを目的に、地方公共団体が独自に定めているものだ。夕やけだんだんをとりまく荒川区、台東区のいずれにも存在する。
そして、夕やけだんだんのような「観光資源」を守るという目的も、多くの景観条例において「良好な景観の形成」の一環として含まれるものの、「その効力には限界がある」と、不動産の問題に詳しい荒川香遥弁護士(弁護士法人ダーウィン法律事務所代表)は言う。
「景観条例の主な役割は、建物のデザインや色、高さについて『届出』や『協議』を求める『誘導』です。 日本には憲法で保障された『財産権』があり、『自分の土地に何を建てるかは原則自由』という考え方が強いため、公序良俗に反するような極端なケースを除き、私有地での建築を完全に禁止する強力な強制力を持たせることは困難です」
過去の有名な事例として、荒川弁護士は、漫画家の故・楳図かずおさんの自宅(まことちゃんハウス)の外壁をめぐる裁判をあげる。この裁判では、近隣住民が「赤と白で塗られた外壁の撤去」などを請求したが、「景観の利益は、特定の色彩を禁止するほど法的に確立されたものではない」として、住民側の請求が棄却されている。
「自治体が許可しなければいいのでは」という疑問が生じるかもしれないが、行政の権限もまた、法律によって縛られているという。荒川弁護士が続ける。
「建造物を建てるときに自治体(または指定確認検査機関)が行う『建築確認』は、その計画が建築基準法や都市計画法に適合しているかをチェックする事務的な作業です。法的な基準さえ満たしていれば、自治体に『景観が損なわれるから』という理由で不許可(却下)にする権限はありません」
自治体ができるのは、あくまで「住民と話し合ってほしい」という「行政指導(働きかけ)」までということだ。これに強制力はなく、事業者が従わないからといって確認証の交付を不当に遅らせれば、「自治体側が損害賠償を請求されるリスクを負うことになる」と荒川弁護士は指摘する。

「区境」という立地条件が問題を複雑にした?

今回、マンション建設によって夕焼けが遮られつつあることがSNSで話題になると、それを惜しむ声も多く見受けられた。
しかし、荒川弁護士は、「景観を享受する権利(景観権)」を根拠に建設差し止めや損害賠償を請求できる可能性があるのは、主に「その景観を日常的に享受している周辺住民」であり、観光客や遠方のファンは、法的に訴えを起こす主体(原告適格)として認められないのが通例だという。

また日本の裁判例では、周辺住民であっても、単に「夕日が見えなくなった」「富士山が見えなくなった」というだけでは受忍限度(我慢すべき範囲)内と判断されることが多く、「差し止めが認められるハードルは非常に高いのが実情」(荒川弁護士)だ。
なお本件においては、区境という立地条件から問題が複雑化したのではないかとの指摘も一部でなされている。これについて、荒川弁護士も「景観を守るための足並みをそろえづらくした一因である可能性が高い」と考察する。
「区境に位置するエリアでは、道路一本隔てただけで用途地域や高さ制限、景観条例の内容が異なることがあります。一方の区が観光資源として守りたい景観であっても、もう一方の区の土地利用を制限することは法的にできません。
広域的な景観誘導には両区の緊密な連携が必要ですが、開発許可のプロセスは基本的に『敷地単位』で完結するため、一体的な景観保護が後手に回りやすい構造があります」(同前)

観光地型商店街に舵を切った谷中銀座商店街

夕やけだんだんから続く谷中銀座商店街は、終戦後間もない昭和20(1945)年頃、自然発生的に生まれた商店街だ。この界隈は、平成に入ってから、台東区の谷中と、文京区の根津、千駄木をひっくるめて「谷根千(やねせん)」と呼ばれ注目されるようになった。今では「谷根千」イコール「下町情緒のある街」といった認識だ。
谷中銀座商店街もその雰囲気を残している。メンチカツブームの火付け役とも言われる「肉のサトー」や、明治37(1904)年創業の「越後屋酒店」など、老舗の人気店が並ぶ。
しかし、台湾スイーツを扱う店や、しゃれたカフェ、クレープやジェラートなどを看板商品にした新しい店も多い。この地で40年以上の歴史を持つ、ある商店の店主はこう語る。
「この商店街はさ、昔は八百屋、魚屋が並ぶ普通の商店街だったんですよ。
つまり、このあたりで暮らしている住民のための商店街だったんです。でもさ、最近は観光地として名前が売れちゃったから、そっちを意識した店が増えてね。地域の人たちにとっては使いにくい商店街になってしまったんじゃないかな」
商店街の路地を一本入ると、いかにも築年数の長そうな木造住宅が今でも残っている。低層階のアパートや、新築住宅も多い。つまり、住宅街だ。この地で長く暮らす70代の男性はこう話す。
「夕やけだんだんのマンションが話題になってるけど、この街の姿が変わり始めたのは昨日や今日じゃないんですよ。もう20年くらい前かねぇ、どんどん観光地みたいになっちゃって、谷中銀座商店街で買い物をすることはあんまりなくなったね」(70代男性)

スーパーマーケットがなくなってマンションに

生活の場としての機能が失われた決定的な要因は、スーパーマーケットがなくなったことだ。話を聞かせてくれた男性は続ける。
「一昨年までは、商店街の真ん中あたりに『のなかストアー』っていうスーパーマーケットがあってね。便利に使っていたんですけど、閉店しちゃったんですよ(2023年12月8日閉店)。少し歩けば『マルエツプチ』とか『まいばすけっと』があるけど、やっぱり不便になっちゃいましたよね」(70代男性)
のなかストアーの跡地には現在、5階建てのマンションが建築中だ。
もちろん夕やけだんだんに建築中の2棟のマンションとは無関係だ。
「階段(夕やけだんだん)のところで工事してるマンションは、7階建てのほうが分譲で、6階建てのほうが賃貸なんですよ。この6階建てのほうは1階部分にテナントが入る計画らしくてね。スーパーマーケットが入ってくれればうれしいんだけど、って、地元の人たちはそう言ってますよ」(70代男性)
当該マンションの建築会社に問い合わせてみると、以下のような回答だった。
「来年2月(2026年)に完成の予定ですが、テナントに関してはまだ決まっていません。現在募集中です」(建設会社担当者)
私はこれまで複数の商店街を取材してきた。商店街には大きく3つの型があると思っている。ひとつは「駅直結型」。もうひとつは、駅から離れた住宅地の中にある「住宅地型」。そしてもうひとつは浅草の仲見世通りのような「観光地型」だ。
全国的に言えることだが、「住宅地型」は多くが客離れに苦しんでいる。一方「駅直結型」は、それなりに賑わいを保っている例も少なくないが、その分、再開発のターゲットになりやすい。反対運動などで住民間に亀裂が入ることもあったりする。
谷中銀座商店街はJR日暮里駅から歩いて数分の場所にある。直結はしていないが、駅に近い商店街だ。さらに、地元の方々が語るように、観光地型の要素も持っている。
「駅直結型」と「観光地型」のいいとこ取りのようにも見えるが、両方のマイナス面も合わせて持っているように私は感じた。
夕やけだんだんの夕日が見えにくくなるという出来事は、単なる景観の問題ではない。観光地化、地価、住宅供給、生活利便性――ひとつの街が担う役割は複数あり、それぞれの選択肢に、それぞれの事情がある。どこかだけを取り出して論じても正解にはなかなかたどりつけないようだ。
■末並俊司
福岡県生まれ。93年日本大学芸術学部を卒業後、テレビ番組制作会社に所属。09年からライターとして活動開始。両親の自宅介護をきっかけに介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)修了。現在、『週刊ポスト』を中心として取材・執筆を行っている。


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