名古屋市西区、円頓寺本町商店街にほど近い場所で、1軒のスナックを見つけました。この場所で、60年以上営業を続ける「ファミリースナックキャシー」。

90歳で現役のスナックママ 「名古屋大空襲はすごくきれいに見...の画像はこちら >>

(中村峰子さん)
「80歳までは働けるよ。でもね、90歳になるとドッとくる」

この店を経営するママ、中村峰子さん90歳。

とても90歳には見えない、キビキビとした身のこなし。今でも長女の純子さんと一緒に週に6日、店のカウンターに立つ、現役のママさんです。

90歳で現役のスナックママ 「名古屋大空襲はすごくきれいに見えた」 娘が1歳の時に離婚 “シングルマザー”という言葉すらない時代に1人で店を経営 激闘の人生と戦後80年
CBC

(常連のお客さん)
「すごく元気」
「逆に元気をもらえる」
「自分が90歳になったときに、ああいうふうに元気でいられるか自信ない」

ことし戦後80年。
激動の時代を生きていた、90歳のスナックママの人生とは。

名古屋大空襲は「花火みたいに明るくて…」

(中村峰子さん)
Q.働いている時は立ちっぱなし?
「そうなの!習慣か知らないけど、私立っててもどうもないんだわ」
Q.全然足は痛くならない?
「ならないの…今んとこね。あしたなるかもしれないよ」

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90歳の峰子さん、幼少期には戦争も経験しました。西区で生まれた峰子さんは、小学4年生のときに名古屋から愛知県大口村、現在の大口町に疎開。そこでは、今でも記憶に焼き付いているという、ある光景が…

(中村峰子さん)
「疎開先から、名古屋大空襲はすごくきれいに見えましたよ。花火みたいに明るくてね、名古屋の方が。空襲の時は、それが普通みたいになってたね。しょっちゅう空襲があったから」

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「何もない…名古屋城の石垣が目の前に」

死者826人。名古屋城も焼け落ちた、1945年5月14日の「名古屋大空襲」。

約20キロ離れた疎開先からでも、その戦火は、はっきりと見えたといいます。

(中村峰子さん)
「終戦になって、西区の実家に戻ったんですけど、うちの一軒隣まで焼けて。焼けてしまって、何もない。商店がぎっしりあったんですよ、それが何にもなくなっちゃって。名古屋城の石垣が、石垣が目の前にあるというのを今でも鮮明に覚えています。それぐらい、何もなかったです」

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シングルマザーという言葉もない時代… 1人で“キャシー”を開店

終戦後、西区に戻った峰子さんは22歳で結婚し、長女を授かりましたが、その翌年に離婚。

(中村峰子さん)
「このスナックをやる前に結婚しまして。娘を1人産んで、その子が1歳の時に離婚してきちゃって。その時代は、女が1人で食べていくというのは大変な時代で…」

「シングルマザー」という言葉すらない時代。長女は元夫に引き取られ、峰子さんは一人で生きていくために、親からの勧めもあって、1959年7月、現在の場所に「キャシー」を開店しました。

90歳で現役のスナックママ 「名古屋大空襲はすごくきれいに見えた」 娘が1歳の時に離婚 “シングルマザー”という言葉すらない時代に1人で店を経営 激闘の人生と戦後80年
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(中村峰子さん)
「水商売はその時代に、すごく卑下されて。うちの母親は『水商売と言われるだろうけど、人よりも2倍も3倍も努力すればみんな認めてくれるから、頑張りゃあな』と」

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「母親には勝てませんわ」お店は母と娘の二人三脚で

世間からの偏見や、娘に会えないさみしさを抱えながらも、親からの言葉を胸にがむしゃらに働き続けた峰子さん。

時代は、高度経済成長の真っただ中。戦火で消失し、再建された名古屋城に真新しい金シャチがのせられたのも、この1959年でした。

90歳で現役のスナックママ 「名古屋大空襲はすごくきれいに見えた」 娘が1歳の時に離婚 “シングルマザー”という言葉すらない時代に1人で店を経営 激闘の人生と戦後80年
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(中村峰子さん)
「時代が変わっちゃって、本当にいい時代になりましたよ」

さらに時は流れ、15歳になった長女の純子さんは、自らの意思で峰子さんのもとへ。45年前からは一緒に店のカウンターに立ち、店の名前も家族で営むという意味も込めて「“ファミリースナック”キャシー」に改めました。

(長女・山田純子さん)
「母親というよりは、どちらかというと仕事人間かなと。66年間お店をやってるから、そこのところは勝てませんわ」

90歳で現役のスナックママ 「名古屋大空襲はすごくきれいに見えた」 娘が1歳の時に離婚 “シングルマザー”という言葉すらない時代に1人で店を経営 激闘の人生と戦後80年
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「こんな良い時代ない、戦争はやっちゃいけない」

昭和、平成、令和と、めまぐるしく変わる時代の中で、ずっと店を守り続けてきた峰子さん。ことし戦後80年の節目を迎え、今最も伝えたいことは…

(中村峰子さん)
「いい時代だと思う。私は余計ね、そういう時代に生まれたから。たまたまこうやって、長生きして働けるだけでも幸せだと思うんですけど。こんな良い時代ないから、みんなに大事にしてほしいね。戦争は、やっちゃいけないと思います」

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