【三十三銀行】百五銀行に伍し、さらに独自路線へ|ご当地銀行のM&A

三重県では百五銀行をトップに、三重銀行と第三銀行が追随するような関係が長らく続いた。だが、2021年5月に三重銀行と第三銀行が合併し三十三銀行が発足して以降、トップ行を2地銀が追随するという関係が変わった。

その勢力関係を端的に示すと、「県内メインバンク社数トップは百五銀行で変わらないものの、県内シェアはわずかに低下。二番手の三十三銀行も県内シェアはわずかに低下。代わって台頭してきたのが、桑名三重信金や北伊勢上野信金の信金勢だ。県内メインバンク社数の順位は県内3位、4位と変わらないものの、2信金は社数・シェアとも伸ばしている」という状態である。

では、信金の動向は他に譲るとして、4年前に合併し、現在、二番手と目される三十三銀行の沿革を見ていこう。

県南と県北の両地銀が合併

まず、三重銀行である。三重銀行は1895(明治28)年11月に四日市銀行として設立され、1896年1月に開業している。その後、大正期から昭和初期にかけて、山田銀行、河曲銀行、員弁銀行、津農商銀行、小津銀行、四日市貯蓄銀行とのM&Aを重ね、1939(昭和14)年12月に三重銀行と改称した。

三重銀行となって以降は、1945年に伊賀農商銀行を合併している。県内産業の中心地ともいえる四日市市とその周辺の北勢地域を舞台に躍進してきた地銀である。

一方の第三銀行は1912(大正元)年10月、熊野共融(合資会社)として設立したのがスタートだ。その後大正期に熊野無尽に改称し、昭和初期に三重無尽に業務を継承した。

三重無尽となって以降は三重勧業無尽や共融無尽を合併し、1951(昭和26)年、相互銀行法の制定に伴い第三相互銀行に改称した。

1989(平成元)年に全国で相互銀行の普通銀行への転換が進み、第三相互銀行も第三銀行と普通銀行に転換、改称している。

第三銀行は三重銀行が北勢地域を営業地盤としたのとは対照的に、県南部の東紀州地域から伊勢・志摩、中勢地域へと徐々に無尽組織・相互銀行として地盤を固めてきた。ちなみに第三銀行の本店は中勢地域の松阪市にあった。

なお、三重銀行と第三銀行の合併については、存続会社は第三銀行であるものの、本店および本社機能は三重銀行に集約されている。三十三銀行としては県全域をカバーする体制を構築しての船出だった。

最初に行ったのは業務のスリム化

三十三銀行として合併前の2018年4月、第三銀行と三重銀行は経営統合し、金融持株会社である三十三フィナンシャルグループ<7322>を設立している。両行はその傘下に並列する体制だった。

両行の合併により、規模としては預金が約3兆8000億円、貸出金が約2兆8000億円になった。愛知・岐阜・三重の東海3県の地銀では、当時、あいちフィナンシャルグループ傘下の愛知銀行と中京銀行が合併して「あいち銀行」が発足する前なので、資金規模として愛知銀行や中京銀行などを上回り、5位となった。

M&Aによる規模拡大が取り沙汰される中、三十三銀行が取った合併後の戦略は経営のスリム化だった。2021年の三十三銀行発足当時、渡辺三憲頭取は「M&A(合併・買収)仲介に力を入れ、店舗も減らすなどして3年間で20億円以上の合併効果を出す」と記者会見で述べている。

また三十三銀行は、1つの建物に複数の支店などを集める「店舗内店舗方式」によって総店舗数を削減し、かつ、それぞれの本店などで重複する業務を担っていた行員を他部門に再配置、採用も抑えて行員数を削減する予定だった。

2025年3月期の統合計画書を見ると、この経営のスリム化・業務効率化は、業務粗利益に占める営業経費の比率のコアOHRが72.7%(銀行単体)になるなど着実に成果を上げているようだ。また、M&A仲介も着実に進め、M&Aの支援件数は2025年3月期には313件に上る。

文・菱田秀則(ライター)

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