夢枕獏、 谷口ジローを語る…「“神々の山嶺”の漫画化が決まったその瞬間に“最後のシーンを変えていいですか?”と谷口さんが直ぐ言ったんです」

世界的にも評価が高い漫画家・故谷口ジローさんの回顧展が全国を巡回し、北九州市漫画ミュージアムで最終開催を迎えた。その最終日の前日5月13日に、作家・夢枕獏さんが谷口ジローさんの作品と人となりを語る記念講演会が開催された。

夢枕獏さんと谷口ジローさんのコンビと言えば、「小説すばる」で1994年7月号より1997年6月号まで連載された山岳小説の金字塔『神々の山嶺』の漫画版が真っ先に思い浮かぶ。
圧倒的かつ精細な表現力で描かれたもうひとつの『神々の山嶺』は、原作小説同様に大きな賞賛を浴びた。 その後、『神々の山嶺』は実写映画やフランス製アニメにもなり、今もなお、世界中の多くのファンに支持され続けていることはご存じの通り。ほかにも数々の作品でコンビを組んだ盟友との知られざるエピソードや、名作の誕生秘話を夢枕獏さんが熱く語った。その模様をお届けする。

本日は「描くひと 谷口ジロー展」の会場となっております、こちら北九州市漫画ミュージアムのイベント会場をのぞかせていただきましたが、面白かったですね。



僕ね、SFを除けば小説より漫画の方が好きで、最近は読んでる量は漫画の方が多いんですよ。この頃、小説はなかなか読まなくなって。
小説で未だに読んでいるのは、これは同じ作品を何度もという意味なんですが司馬遼太郎さんですとか、資料としての古典であるとか、過去に読みたかったけれども機会のなかった作品を読むようなケースが多くて、現代作家の小説はあまり読まなくなってしまったんですね。それらを読む機会というのは「これは面白そう」と感じた時と、あとは僕、小説の賞の選考委員をやっておりますので、その時に候補作を読む。これがほぼ現代の小説を読む少ない機会となっています。

現代作家の小説は年間10冊くらい読むかどうかというところなんですが、漫画はバリバリ現役ですよ(笑)。

谷口ジローさんのことでお話ししますと、まずは『青の戦士(ブルー・ファイター)』(1980年~1981年)。谷口ジローさんと僕が知り合ったきっかけは、僕が『青の戦士』を手にしたことが始まりで、そのご縁で後に『餓狼伝』を漫画化することになりました。このタイトルは、ブル(オス牛)ファイターをもじってブルー(青)のファイターとしてるんですけどね。
物語が始まり、もうちょっとのところでコレ(※1)ですよ。こうした表現は絵柄も含めて当時なかなかなかったんです。

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『青の戦士』(1980年~1981年、原作:狩撫麻礼/ビッグコミックスピリッツ/小学館)
元世界チャンピオンだったダンジェロは、強烈な強さを秘めた日本人ボクサー・礼桂(れげ)に魅せられプロモーターとして世界の舞台を目指し…

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『餓狼伝』(1985年~、フタバノベルス)
空手を始めとした、あらゆる格闘技を学ぶ流浪の格闘家・丹波文七を主人公とした本格格闘小説。

38年の年月を経て、未だ続く不朽の名作。2006年以降、タイトルを『新・餓狼伝』に改めた

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※1 『青の戦士』(1980年~1981年)より

ところで、この絵(※2)すごいでしょう。イメージの演出としてジャズマンが音楽を奏でているんですが、戦いの場面で音楽の演奏シーンをいきなり突っ込んでくるなんて、谷口ジローさんがここで初めてやったんじゃないかと思うんですよ。
僕が知らないだけかもしれませんが、多分それまで誰もやったことがない表現型式だと思っています。

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※2 『青の戦士』(1980年~1981年)より

僕も格闘シーンでは変なことをやってるんですよ。どんな変なことをやってるかというと、小説でいきなり関係のない音楽のシーンにしたりしてね。


例えば僕の『東天の獅子 』(2008年~)という物語では、明治時代に講道館柔道と古流柔術が戦うんです。
九州の古流柔術家の中村半助師範と講道館四天王の横山作次郎が戦うシーンがあるのですが、二人が戦っている間に戦いが音楽になってゆくシーンなんか書いてるんですよ。

片っ方がピアノの音で片っ方がヴァイオリンの音でその二つの音がもつれ合いながら青い空を登っていってね。実に気持ちのよいところで、なんともいい音楽が聴こえ「おれたちは天国にいるのか!?」というくらいの心地よさでその音楽を聴いてるんだけど、それが段々音が濁ってくるんです。で、音楽そのものである彼らが、その濁った音に負けて段々重力を取り戻していきます。
天空でお互いセッションしていたはずの音楽が徐々に朽ちてゆき、それで最後には落っこちてくる。
その落ちたところが疲れ切った自分の肉体であった――と僕は書くんです。他にも一緒にお酒を飲んでるシーンを書きながら、それが実は戦いのシーンで、イメージとしてお酒を飲んでるシーンに置き換える、という風にやったりしています。

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『東天の獅子』(2008年~、双葉社)
1882(明治15)年、衰退する柔術界に誕生した講道館柔道。提唱者は文武二道の達人、嘉納治五郎師範。戦う漢たちの壮大な物語

それがね、今考えてみれば、谷口さんの描かれた『青の戦士』の、そのシーンの影響を受けていると思ってるんですよ。
今回見直して分かったんですけど僕はそれにびっくりして、そういうテクニックを発見しちゃったんですね。

だから格闘技シーンにいきなり比喩としての音楽を突っ込んだりする。読者が突然びっくりするような形で分かるようにやってるんですけど、それも楽しくてしようがない。その原因はこのシーンですよ。今回こちらを見直して「おお! これだこれだ」と思って。あらためて驚かされたんです。

そして、このコマ(※3)です。
「あのころ………俺は奴ほどに神秘的(ミステリアス)でセクシーだったか?」というこの台詞がとにかく好きで。演出とか構図だけじゃなく、僕はこの言葉にかなり影響された自覚があります。

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※3

僕の描く格闘技の場面では、更にエグいというかエッチなことを書いてるんですよ。それは関節技を使うシーンに多いんですが、関節技を使う時に、男同士なんですが、すごくセクシーな瞬間瞬間があるんですよね。

半分裸体ですよ。それで相手の身体に絡みついて上になったり下になったりして汗をお互いに擦りつけあったりね。これを意図してエッチなシーンとして表現するんですね。もう性行為そのものと間違えちゃうだろうってくらいネチネチと。それで二人は戦いながらも互いに相手に恋い焦がれてるわけなんです。「もうこいつと戦いたくて戦いたくてしようがない」と考える二人が戦い、お互いに高めあっていく。相手の肉体を貪りあう。そして戦いながら色んな場所にたどり着くんですよ。「お前がいたから俺はここまで来れたんだ」と、戦いながら言うんです。「すごくいいところまで来たなぁ。もうこんな風景は見れない。お前と一緒だから、この風景を見ることが出来るんだ」というようなことを今、僕は自然に書けるようになっちゃったんです。

それは谷口さんによる先ほどのシーン(※3)の、この一言の発展系だろうと今あらためて思ってますね。意識しないうちに、おそらくこの一言が今、僕がやっているそういう発想や演出のファーストインパクトを与えたような気がするんです。

次が『ナックル・ウォーズ』(1982年~1983年)。こちらはひたすらリアルなボクシングの世界観という現実のエピソードが描かれているんですが、まぁ素晴らしいです。特に表現がすごくて。
これはね、格闘技モノの物語の中でもなんて悔しい漫画なんだろうと思ってるんです。というのは主人公であるメキシコ人ボクサーのチコが主人公と戦うほんの少し手前に、自転車に乗ってて突然交通事故で死んじゃうんです(※4)。
この展開にはもう絶対何らかの力が裏で働いたんじゃないかと思って。谷口さんに会った時に「あの物語が途中で終わったのはどうしてですか? 何かあったんですか?」と聞いたら「うーん、あったかなぁ~」みたいなことはおっしゃいましたが、何があったかは聞けなかったんです。でもきっと何かあったんでしょうね。

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『ナックル・ウォーズ』(1982年~1983年、原作:狩撫麻礼/アクションコミックス/秋田書店)

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※4

原作の狩撫麻礼(かりぶ・まれい)さんもそうだったと思うんですけど、なんて酷く悲しいシーンなんだろうと思ってね。それで僕はこういうシーンを見た時にね、長編では絶対に悲しい場面は書くまいと思いましたよ。多分色んなご事情があったとは思うんですが、僕はとても悲しかったんです。

谷口さんと初めてお会いした時、今はなくなってしまったUWFというプロレス団体の試合を一緒に観に行き、その後、食事をして軽く一杯やったと思うんですが、その時に初めてお話をさせていただきました。もの静かな方でした。
谷口さんのすごいのは、『餓狼伝』を読んでいただけたら分かると思うんですが、『ナックル・ウォーズ』と『青の戦士』のボクサーの肉体とプロレスラーの肉体は全く違うんですね。谷口さんの絵は、作画としてやっぱりプロレスラーはプロレスの身体をしてるんですよ。
ボクサーって減量して減量して減量しまくってるじゃないですか。彼らはそういう肉体なんですが、プロレスラーって競技のために肉体を作るんじゃなくて、見せるために作った肉体なんですね。その見せるためのプロレスラーの肉体を谷口さんはちゃんと描き分けてる。それが谷口さんの優れたところであり、多くの漫画家がなかなか気づかないような技量だとも思うんですね。

『神々の山嶺』(原作:1994年~1997年、コミック:2000年~2003年)の話をするにあたり、お伝えしておきたいことがいくつかあります。
そもそも僕は谷口さんの『K(原作:遠崎史朗)』(1986年)という山岳漫画を読んでいたんですね。これは山の漫画なんですけど、その描写が凄くてですね。

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『神々の山嶺』(原作:1994年~1997年、コミック:2000年~2003年)
カトマンドゥの裏街でカメラマン・深町は古いコダックを手に入れる。そのカメラはジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したのかの、登攀(とうはん)史上最大の謎を解く可能性を秘めていた…。

相当前のことなのですが『神々の山嶺』が柴田錬三郎賞(1998年度受賞)をいただいた時のパーティーがあったんですよ。そこに谷口さんがいらして、お話はしたと思うんですけども、当初は『神々の山嶺』を漫画化するような具体的な話は出来なかったんです。
そこにいたのは、のちに映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年~)シリーズを撮る山崎貴監督、その奥様で同じく映画監督の佐藤嗣麻子さん。

お二人とは以前からの知り合いなので、多分そのご縁でパーティにご招待したのだと思うんですが、佐藤監督が「『神々の山嶺』、漫画化すればいいのに」と僕に言うんですよ。「いや、俺は谷口ジローさんにやっていただきたいんだよ」って言ったら、僕の知らないところでパーティ会場にいた谷口さんのところまで言いに行っちゃったんですね。「あ、谷口さんいたわ!」っていなくなっちゃって。それで戻ってきたら「谷口さんもやりたいって言ってるよ」と言うんです。「ええ? そうなの!?」と。

よくあるでしょ? 僕らの時代の少女漫画の世界ではよくありましたが、中学とか高校の頃はお節介な奴がいて「誰それちゃんが好きだ」って言うと、勝手に〝誰それちゃん〞のところに行って「○○くんが君のことを好きだと言ってたよ」みたいなね。迷惑なことをする奴がいたと思うんですけど(笑)。そういうことを佐藤監督がやってくれてですね。
結果、『神々の山嶺』はその場であらためて『餓狼伝』と同じように僕の方から谷口さんに漫画化のお願いをする形となりました。
でも「なんだ、もっと早く口説けばよかった」と僕は思ったんですけど(笑)、ちょっと勇気が要りますよね。というのは、こういう時って知り合いというのはなかなか言いにくいものなんですよ。何故言いにくいかというと、受けたくない時に断る負担をあちらに与えたくないから。それがお願いする側の立場なんです。「やりたい」と言ってくだされば勿論こっちはOKなんだけど、こっちから「やってくれない?」と言ってしまって、もしも断る場合、その負担を先方に与えちゃいけないというのが、こちらが逡巡する一番大きな理由なんです。
それがあっという間に解決してしまったんですね。
集英社の編集者もいたので、そこで連載する雑誌まで決まったと思うんですけれども、多分そういう経緯だったと思います。
そこで僕はすかさず言ったんです。「谷口さん、ヒマラヤへ行きましょう」と。そうお伝えした時に谷口さんがこう言いました。
「いや……。僕はちょっと苦手なんだよ。高い山へ行って体力を使って登るのが。そうした場所を歩くのもちょっと……」と。
まぁ頂上を目指さなくても、ヒマラヤの辺りを歩くのも確かに大変なんですよね。
通常、エヴェレストのベースキャンプまで行くのに最低2週間は期間がないと無理なんです。まぁざっくりと20日間くらい。ゆとりを持って日本を発って向こうに行き、また日本に戻ってのドア・ツー・ドアで22、23日あればベストなんですけれども。
というのは、そうして時間をかけて高度順応しなければならないので、いくら体力があったとしてもいきなり高度を上げちゃだめなんです。そうしたことは僕の本もお読みになって知っておられたようですので、それで多分、谷口さんは大変だとおっしゃってて。それでも結局行くことになったんですが。
佐藤監督、寺田克也さんも一緒でした。

どうやって取材したかというと、飛行機を使ってヒマラヤを遊覧飛行するのがあるんですね。それでエヴェレストの上をガーッとセスナで飛んで、後はエヴェレスト街道を上から見下ろしながら通って。
ほぼ半日でそっちの取材が済んじゃって。残った時間でどうしたかというと、カトマンドゥ周辺の町を僕がご案内する形で行きました。
もうひとつ、エヴェレスト街道を歩く代わりに、谷口さんは動物がすごくお好きだったので、ルンピニー公園に行きましょうということになりました。取材とは直接関係のない、インドとの国境に近いネパールのずーっと南の方で、お釈迦様が生まれたといわれてるがそのルンピニーというところなんです。
そこにルンピニー公園があって、象の背中に乗るツアーがあるので、谷口さんに「行きましょうよ」と言ったら、もう「行きたい行きたい」とおっしゃるんで全員で行きました。
何頭かの象をチャーターするツアーで、我々はそれぞれ背中の上の四角い台の上に乗って進むんです。動物界では自分よりも身体の大きい動物には向かってこないので、サイも虎も象には向かってこないんですね。そのサイなんかを見たりしながら、うろうろうろうろしたんですけどすごく楽しかったですね。それで更に谷口さんとは仲良くなって。
人と仲良くなるのは一緒に海外に行くのが一番いいんですよね。

僕がこの数年、コロナと癌になっちゃって、その癌では暫く入院して色んな状況で四回ほど入退院して手術したりしてたんですね。
これで寿命があるうちに、今準備している物語を全部書き終えることができるのかなぁという気にもなってきて、叶うならば『東天の獅子』にしても漫画化して、谷口さんに心底お描きになってほしかったんです。格闘技漫画にするならあれだけの内容の格闘に特化した小説はないと自分の中では思っていますから。

谷口さんと回数としてはそんなに数多くは会っていなかったんですが、何度かお会いした中で今でも憶えていて惜しいなぁと思っていることがあって、その内容ははっきりと憶えているんです。
「獏さん、今新しい漫画を描こうとしてるんですよ。でもなかなかストーリーが上手く出来ないんですよね」とおっしゃるんです。「どんな漫画ですか?」と伺ったら「江戸時代の日本橋に西洋人が一人立ってるんです。耳をこうやって押さえて。その西洋人というのがゴッホなんです」……こうおっしゃるんです。

夢枕獏、 谷口ジローを語る…「“神々の山嶺”の漫画化が決まったその瞬間に“最後のシーンを変えていいですか?”と谷口さんが直ぐ言ったんです」

谷口ジロー◆たにぐち・じろー 1947年鳥取市生まれ。1971年デビュー。1975年『遠い声』で第14回ビッグコミック賞佳作を受賞。以降、多数の作品で数々の賞を受賞。2011年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章するなど世界で最も人気の高い漫画家。2017年、逝去

夢枕獏◆ゆめまくら・ばく 1951年小田原市生まれ。1989年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞、1998年『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞、『大江戸釣客伝』で2011年泉鏡花文学賞、舟橋聖一文学賞、2012年吉川英治文学賞、2017年菊池寛賞など受賞歴多数。2018年紫綬褒章受章

江戸時代の日本橋にゴッホが耳を押さえて立っている――それ、ゴッホって実際に自分の耳を切っちゃうんですよ。ゴッホってすごい人でしょ? 天才なんだけど身内にいてほしくないというかね。尊敬するけれども一緒に酒を飲みたくないっていう。
何故そうなのかというと、ゴッホって好きになった女性の家までストーカーするんですよ。あまりにしつこいんで、当然ですが家の人が「うちの娘につきまとうんじゃねぇよ」と言って会わせないんです。そうするとゴッホはご両親が出てきた時、自分で持ってきた蠟燭の炎の上に手をかざして「我慢出来る時間だけでも会わせてください」って言うんですよ。
近くにゴッホがいたら嫌でしょ? その「ゴッホが日本橋にいるんです」とおっしゃるんです。いいシーンでしょ? イメージは勿論、見開きを使った大ゴマでしょ。谷口さんだったら日本橋の武士やら町人やら飴売りやら商人やら、人がちょろちょろ行き来しているところもかなり細かくお描きになって、もうそのファーストシーンだけでも見たいじゃないですか。
「えー、描いてくださいよ」と言ったら「いや、この後のストーリーをどうするかが浮かばないんだよ」と。ホントにファーストシーンしか頭にないとおっしゃるんです。そこで俺がやりますよ! と言わなきゃ男じゃないでしょ? 僕は言いましたよ。「やりますよ、それやらしてくださいよ」と。

更に話していたら、谷口さんが萩尾望都さんの原作で漫画を描くことにもなっているとおっしゃるんです。『ポーの一族』(1972年~)の萩尾望都さんですね。「だったらそのゴッホの話は是非、萩尾さんでやってくださいよ」とお伝えしたんです。それは僕がしゃしゃり出るよりは萩尾さんで読みたいじゃないですか。「それは萩尾さんがいいんじゃないですか?」と伺うと「出版社との話では、萩尾さんとやるってことにはなってるんだけど、どの原作でどうするかなどの話は何にもしてないんだよ」と。

ここで、先ほどの佐藤監督の役を僕はやらなきゃと思って、「じゃあ萩尾さんに僕、言いますよ」とね。
そして萩尾さんに会った時に「そのゴッホ話でどうですか?」と伺ったら「面白い!」と。そして片方の拳を握って「やります!」とおっしゃるわけですよ。
勿論それは後日、谷口さんにもお伝えしたんですが、お二人がお忙しかったからなのか、それがいつどこでどうなったのかは全然分からないまんまで、今となってはもうちょっとお節介すれば良かったかなぁと思ってますね。

本当に残念だったなぁ~読みたかったなぁ。でもまぁいずれあの世があれば、行けばいますから(笑)。次の世界があるなら谷口さんはそこで必ず漫画を描いているので、「谷口さん、ちょっと遅ればせながら来たんですけれど、新しい漫画描いていたら見せてくんない?」って言おうと思ってるんです(笑)。萩尾さんにはもうちょっと頑張ってもらって私より後に来ていただいて、萩尾さんも来たら「こっちでやりましょうよ」とお伝えすればいいので(笑)。

『神々の山嶺』の、このラストシーン直前の、このシーン(※5)をご覧ください。

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※5『神々の山嶺』(2000年~2003年)より

イギリスの登山家であるジョージ・マロリー(1924年6月の第3次遠征から75年後の1999年5月1日、エヴェレスト北壁の標高8156メートルの地点で国際探索隊で登山家のコンラッド・アンカーが凍った遺体を発見。同行したアンドリュー・アーヴィンの遺体は見つかっていない)が笑顔でピッケルを持ち上げているシーンなんですけれども、これは僕の小説にはなかったシーンなんですね。僕の小説だとマロリーのカメラは発見されたんだけど、フィルムは発見されなかったという設定で書いたんです。

何故僕がそうしたかというと、史実ですとエヴェレストの頂に最初に登頂した(ネパール時間1953年5月29日午前11時30 分)のは、今はエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイの二人となっているんですが、もしもマロリーが一番最初に登ったという風に書くと歴史が覆ってしまうんですね。それで、敢えてそれを日本人の作家がやってしまっていいんだろうか? ということで僕は激しく迷いまして、でもどれが正解なのか結局分からない。
もしかしたらマロリーがエヴェレストで死ぬ前に登ったのかもしれない……という可能性だけを匂わせて結果は敢えて書かないという方を選んだんですよ。
谷口さんが描く前に唯一、僕に聞いてきたのはそのラストシーンなんです。漫画化が決まったその瞬間に「最後のシーンを変えていいですか?」と谷口さんが直ぐ僕に言ったんですね。「最後のシーンって、何ですか?」と聞いたんです。
結果、谷口さんが「実はマロリーは登ってました」というシーンに変えたんですね。

マロリーのカメラの中には当時撮影されたフィルムが入ってて、それはもうエヴェレストで氷漬けになっているので、もしフィルムが発見されれば今でも十分現像出来るんですね。
マロリーとアーヴィンが、ヒラリーとテンジンが登頂する29年も前にエヴェレストの頂上に立っていれば必ず記念写真は撮ってるはずなので、そのカメラのフィルムを現像すれば誰が一番最初にエヴェレストに登頂したかが分かる。……という設定で書いていたので、もしフィルムが見つかっちゃったら僕がその答えを書かなきゃいけない。だから見つからなかったことにしたんです。

でも谷口さんは、ちゃんとカメラにフィルムが入っていて、暗室で現像してると写真が段々と鮮明になってくる、という演出(※6)に変えてそれをラストシーンとして描かれました。
マロリーが右手でピッケルを持ち上げて「おれは頂上に立ったんだぞ!」と言ってる姿を谷口さんが描いてくれたおかげで、僕がずっと「本当にあのラストでよかったのだろうか?」と、うじうじしていた想いを救ってくれたんですよ。

夢枕獏、 谷口ジローを語る…「“神々の山嶺”の漫画化が決まったその瞬間に“最後のシーンを変えていいですか?”と谷口さんが直ぐ言ったんです」

※6

小説版と漫画版のラストが違っていて、しかも漫画のラストでマロリーが頂上に立ったということでね、僕の想うマロリーに対する申し訳がようやく立った。
「マロリー、お前、よかったな」というのをね、谷口さんがやってくださったんです。
本当にこのラストを描いていただいて谷口さんには心から感謝しています。素晴らしいラストだと思います。すごいすごい、最高の最高のシーンです。

夢枕獏、 谷口ジローを語る…「“神々の山嶺”の漫画化が決まったその瞬間に“最後のシーンを変えていいですか?”と谷口さんが直ぐ言ったんです」

ところで僕はフランスでも多少の知名度があるんですよ。向こうに行くと、「お前小説書いてるのか? どんなの書いてるんだよ?」って話になるんで「谷口ジロー知ってるか?」と聞くと「おー、勿論知ってるよ」と。「だったら『神々の山嶺』知ってるか?」と聞くと「読んだよ」と。「その原作が俺だ」と言うと「おおお~」っと言ってもらえるわけなんです(笑)。

フランスで僕に多少の知名度があることとか、それからこういう風に僕がずっと気になってたことを回収して助けてくれたのが他ならぬ谷口さんなんですね。
ここでも改めて感謝を申し上げたいと思います。

滅多に原作に手を入れない方だと思うんですけれども、こういう素晴らしい改変をしてくださり、コミカライズが決まった瞬間に「ラストを変えていいですか?」とおっしゃったのは、すでに谷口さんがこれを読んでいて、心の底から『神々の山嶺』を渾身の力を注いだ漫画にしたいと思ってくださっていたからだろうと想像しますね。その答えは、私もみなさんもよくご存じである、あの素晴らしき結果であったと感じています。それでね、谷口さんの一番すごいのはこんなに原作に忠実にやってるのに完全に、〝谷口ジローの漫画〞になってるところなんですよ。『神々の山嶺』もそう。これは谷口さんの才能であり、ひと味違うところですね。

構成・文・撮影/米澤和幸
©️谷口ジロー ©️狩撫麻礼 ©️PAPIER 協力/北九州市漫画ミュージアム

初出/小説すばる8月号