「週刊文春」が報じた木原誠二官房副長官の妻X子さんの元夫、安田種雄さん(享年28)の不審死事件について、安田さんの遺族3人が警視庁大塚署に再捜査を訴える上申書を提出し、7月20日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見した。種雄さんの父は時折、ハンカチで涙をぬぐいながら「種雄の死の真相はいまだに解明されていません」と訴えた。
近所でも有名な美男美女
種雄さんの遺族や「週刊文春」によると、種雄さんは2006年4月10日午前4時前、東京都文京区の自宅の居間で倒れているのが見つかった。ナイフを頭上から喉元に向かって刺したとみられ、死因は失血死。体内からは、致死量の覚せい剤が検出されたという。
近隣の50代男性は、生前の種雄さんとX子さんの生活ぶりをこう語る。
会見した安田種雄さんの父
「近所でも有名なくらい、容姿の整った夫婦でしたよ。旦那さんは顔がいのはもちろん、ちょっと長髪で身長が高くて、ガタイもよかったですね。奥さんも美人系で、当時流行のファッションをよくしていて、スタイルもよかったです。ただ、あまり仲はよくなかったんだと思います。旦那さんが亡くなる前は、夜になると、ふたりが怒鳴り声でケンカしてるのが聞こえてくるんです。一度や二度なら気にしなかったでしょうけど、2005~06年には頻発していたんですよ。そんななかで旦那さんが亡くなったんです」
かつて種雄さんとX子さんが住んでいた文京区の自宅(撮影/集英社オンライン)
現場の近くに住む60代女性も、種雄さんの遺体が見つかった当時のことを「真夜中にドタバタという足音と、バタンという車のドアを閉める音がたくさんしたから、起きてしまったんです。
種雄さんの死後、この女性はX子さんのこんな様子を目撃した。
「種雄さんが亡くなって1週間後くらいに、X子さんがたくさんの家具をゴミ置き場に捨てていて、まもなく引っ越してしまいました。それ以降、見かけたことはないですね……」
「種雄の無念を晴らす」父の誓いもむなしく、捜査は数カ月で縮小
警察は当初、種雄さんの死を覚せい剤乱用による自殺ではないかと見立てたが、2018年4月、警視庁捜査一課がナイフへの血の付き方などに不審な点を感じ、捜査を再開。しかし12月、警察から種雄さんの父に、捜査の縮小が告げられたという。
種雄さんの父は会見で、やりきれない思いを吐露した。
「種雄が亡くなったときも、まともに捜査されず闇に葬られ、あきらめて生きてきました。それが12年後に再捜査していただけると連絡があったときは心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやると息子に誓いました。しかし、捜査が始まり1年も経たないで捜査の縮小が告げられました。熱い思いで捜査に当たってくれた方々に、もう一度仕事をさせてください。再捜査をお願いします」
大塚警察署(撮影/集英社オンライン)
捜査が縮小した時期は、X子さんの現在の夫である木原氏が自民党情報調査局長に就任した直後だ。
その点に対する考えを問われると、種雄さんの姉は「その辺の真実を私たちも知りたい」と切実な思いを明かし、「犯人がつかまったとしても、弟が戻ってくることはない。ただ真実を知りたい。知っていることがあれば言っていただきたいです」と訴えた。
地元の先輩や後輩にも慕われていたという種雄さん。会見で種雄さんの父は「やんちゃな子でしたが家族想いで、約束は必ず守り、人情に厚く、弱いものいじめだけはしなかった。子どものころは厳しく育ててきましたが、友達に父親である私のことを自慢していたということを聞いた時には、涙がとまりませんでした。種雄は私たちの大切な大切な息子です」と語り、涙を流した。
会見する安田種雄さんの遺族(撮影/集英社オンライン)
1999年に発行されたファッション雑誌には、バイクに腰掛けたり、腕を組んだりしてポーズを決める種雄さんが1ページにわたって特集されていた。
「183cmのバランスのとれた体型とワイルドな顔立ちで、女のコの絶大な支持をゲット!」と、1996年の雑誌の人気投票では1位を獲得したことも紹介されている。
「コワそうな外見とは裏腹に、内面は後輩思い。曲がったことが大キライな男気があふれる兄貴分なのだ」とも書かれており、周囲から頼りにされていた人柄がうかがえる。
そんな種雄さんは、2002年5月、同じく雑誌モデルをしていたX子さんと結婚。X子さんもまた学生時代からファッション雑誌でモデルをしており、メイクや私物が度々掲載され、特集が組まれることもあった
結婚当初は、仲がよかったという種雄さんとX子さん。2人の子どもも生まれたが、2006年には離婚話が出るほどに夫婦関係が悪化。そして、その年の4月に種雄さんは帰らぬ人となった。
岸田首相の中東訪問に同行するとしていた木原氏だが…
時は流れ、種雄さんの死から8年後、銀座でホステスをしていたX子さんが出会い、結婚したのが、客としてX子さんのクラブを訪れていた自民党の木原誠二衆院議員だった。
岸田文雄首相の「最側近」として知られ、2021年からは官房副長官として「新しい資本主義」など岸田政権の看板政策の策定にも携わってきた。その仕事ぶりは「陰の総理」とも言われ、永田町では「総理は松野官房長官よりも、木原副長官に仕事を任せ、相談している」(自民党幹部)と評されている。
木原副長官(写真/共同通信社)
絶大な権力を握る木原氏だが、人望はイマイチのようだ。全国紙政治部記者が語る。
「とにかく相手によって態度を変える人。自分より上の立場の政治家や、ベテラン記者にはぺこぺこ対応する一方、若手記者の前ではスマホを常にいじって、話を聞いていないフリをします。何か重要なメールやニュースをチェックしているのかと思いきや、ホーム画面を横に動かしているだけ。
「週刊文春」が種雄さんの不審死をめぐる疑惑について報じた直後、木原氏は代理人を通じて「事実無根の内容。文藝春秋社に対し、刑事告訴を含め厳正に対応いたします」などとするコメントを発表。その一方、「家族のケアが必要だから」という理由で、記者団の取材には応じていない。また、7月16日からの岸田首相の中東訪問には同行すると記者団に連絡しながら、姿を見せなかった。
20日の会見で、種雄さんの姉は「私たちが今ここにいるのが、すべて。事実無根ではありません。訴えるのではなくて、みんなの前で説明をしてほしい。何もないのであれば、説明できるのではないかと思います」と語った。
遺族の思いを、木原氏はどう受けとめるのだろうか。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班