
「好きな俳優はキムタク(木村拓哉)!」と言い切る。でも、キムタクとも性交したいとは思わない。
恋人を欲しいと思ったことはない
日本の有名私立大学で研究員をしている35歳のシンガポール人のシェリーさん(仮名)は、男性の経験がないということも、
「別に。しなくてもいい」
と、普通に答えている。多くの人と違うからと、無理しているとか、それを負い目に考えているとか、そういう印象はまったく感じられなかった。それが彼女の価値観のなかでは特別ではないことなのだろう。そう考えた時、これまでのインタビューを総合して、私はひとつのことを思いついた。

シンガポール
男性経験をするということは、体の構造上からも、どうしても女性が「受け身」の立場になる。そのことが受け入れられず、イヤだという理由のひとつになっているのではないだろうか。
「(受け身だから)イヤってことはありえますよね。たぶん……」
表情を変えずに、これまで通り私を見つめたまま言った。
多くの女性が経験する男性経験や結婚。それをしないという選択をすれば、自分の産んだ子供に出逢うことがないという生き方になる。それをシェリーさんはどう思っているのだろうか。するとシェリーさんの顔が笑顔に変わった。
「子供はあまり好きじゃないです。うるさいし、研究できなくなるし……」
ちょうど私たちがいるホテルのラウンジで、小さな子供の高い声が上がった。その声は耳に痛いほどだったが、シェリーさんは顔を歪めはしなかった。子供が好きじゃないと言っても、恋愛や男性と同じように、「ないもの」としているだけで、毛嫌いしているわけではないと、私はシェリーさんの優しさを確認した。
親からも「恋人いないの?」と聞かれるが・・・
シンガポールでも、かつては「結婚しなさい」と言われたが、今はあまり言われなくなったという。シェリーさんの家族は? と尋ねると、
「恋人いないの? とは聞いてくるけど、聞こえなーい」
耳を両手で塞ぐ真似をした。勉強、研究で忙しいと言いながらも、シェリーさんにはチャーミングなところがいっぱいある。こうなったら、せめて「恋人」経験くらいさせてあげたいと、親心のようなお節介心が私に生まれてきた。

写真はイメージです
「恋人、欲しいと思ったことない。私は時間ないし。街に行けば、みんな恋人がいて楽しそうで、それはそれでいいんじゃない? 私は研究が楽しいし」
どう質問や見方を変えても、やっぱり研究と勉強に戻ってくる。若い今は研究に力を注いでいるので、1人でいても寂しさを感じないでいられる。もしかしたら年を重ねると、シェリーさんだって誰かと一緒に生きたいと思うことがあるかもしれない。
「でもひとりっ子って、1人でいることをあまり寂しいと思わないし……これからも」
シェリーさんの言葉はよく理解できた。確かに、私もひとりっ子で1人でいることが苦痛でないし、1人で楽しむ方法をいっぱい知っている。だから、「研究の仕事は一生します」と言うシェリーさんの言葉も、信憑性のあるものとして受け止めることができた。シェリーさんは将来のために保険などにも入って準備するつもりではいる。
ひとりっ子ゆえの責任で、シェリーさんもまた研究をすること以外に親を一生支えていかなくてはいけない。だから余計に収入にも関係する研究をやめるわけにはいかない。
「実家への仕送りの他に、実家の光熱費やガソリン代も、私のクレジットカードで支払っています。
シンガポールでは、学校でも「親の面倒を見ること」や「年上の人を尊敬すること」を教えられるそうだ。
「家庭にもよりますけど、富裕層の子供も、就職したら親に毎月お金を送る。これが普通なんです。兄弟がいっぱいいる人は、誰かがやれば、やらなくても大丈夫ですし」
次がない
シェリーさんは現在、東京都内で家賃8万円、収納設備もないワンルームに住み、生活費を切り詰めるため、すべて自炊している。大学から出される奨学金は月30万円。
「すごい!」
このコロナ禍でも? と、私は思わず声を上げてしまったが、シェリーさんは、
「それって多いんですか?」
不思議そうに言った。この奨学金は個人の借金にならず、返済の必要がない。その奨学金のなかから家賃と生活費と仕送りと、研究用の経費を支払う。研究に使う海外の書籍は、1冊数万円もするので、できるだけ図書館の本を利用している。

写真はイメージです
奨学金をもらうために海外のいろいろな大学にアプローチをし、受け入れてくれるところへ行って、また研究を続けるため、シェリーさんは日本にこれから先、ずっとはいないかもしれない。報酬のない論文を書いたり、あちこちの学会に参加し続けるのは、「名誉と履歴書に載せるキャリアのため」だそうだ。それが、研究生として海外の大学に迎えられるための大切な要素となる。
「だから、いっぱい原稿を書いて出版したり、たくさんの学会に行ったりしないと次がないんです」
次がない──。
この言葉が、いかに研究生の世界が厳しいかを私に想像をさせた。学会に参加する費用も交通費も、すべて自分持ち。自分に投資するようなものだ。日本は物価が高いから、外国人であるシェリーさんが、交通費を捻出するのも大変なことだろう。
今回、シェリーさんが大阪市内で開かれている2日間の学会に参加することを聞き、初日の夜に時間を作ってインタビューに応じてもらえることになった。経費節約のため、シェリーさんはかなり遠くのホテルに宿泊している。
「今日、私、発表したんですよ。締め切りギリギリまでずーっと準備していて……」
研究の話になるとシェリーさんは、パッチリした目をさらに大きくして輝かせる。本当に相当に、よっぽど研究が好きらしい。1人を見てすべてとは言えないが、女性は何かはまっているものがあると、恋や結婚は二の次になりやすいのかもしれないと、私はすこしだけそんな気がしてきた。
たとえ木村拓哉でも……
そんな勉強熱心なシェリーさんでも、テレビドラマを観ることがある。
「好きな俳優はキムタク(木村拓哉)!」

俳優の木村拓哉さん
シェリーさんはそう言って笑った。これまでで一番かわいい笑顔だった。
「もし、もしもよ。そのキムタクがシェリーさんにアプローチしてきたら?」
シェリーさんの庶民的な部分を垣間見ることができたようで嬉しくなった私は、すぐに質問を重ねたが、
「まずは友達としてご飯」
と、シェリーさんらしい返事が冷静な口調で返ってきた。たとえ、木村拓哉さんのようにかっこいい男性でも、
「顔いいね、くらい。景色と一緒。そんなもん」
と、再びバッサリと切られてしまった。やはり、シェリーさんが恋をする日はかなり遠そうだ。では、もし将来、同じ研究者がアプローチしてきたら、シェリーさんはどうするのだろう。私はすこしポジティブな望みを持って尋ねてみた。
「お金が少ない」
その言い方は、特にクールだった。
「研究者はずっと研究しているから他のものに興味が行かないし、自分の世界を大切にするから人と話が合わない」
この言葉は、男性研究者からシェリーさんにそのまま返されても不自然でない気がした。シェリーさんはさらに続けた。
「お金が少ないのはダメですが、お金を持っていても、頭のよくない人もダメです。お金と頭、両方ないとダメ」
シェリーさんの瞳には、一分の揺るぎも見られなかった。最後に、私が不謹慎だが、
「頭と性格はあまりよくなさそうだけど、お金を持ってる人なら日本には大勢いるんだけど……」
と茶化すと、
「年上の……? あ、イヤッ。絶対ダメです」
大きな前歯を見せて笑うシェリーさんが、私にはとても愛らしく思えた。男性を知ることによって、シェリーさんがこれまで頑固に貫いてきたものが、もしかしたら壊れてしまうかもしれない。そんなイメージが浮かんできた。
海外に住んでまで研究に力を注ぎ、頑張っているシェリーさんがステキだから、私は、このまま彼女らしく生き抜いてもらいたい──と、心のなかでエールを送った。
文/家田荘子
『大人処女ーー彼女たちの選択には理由がある』(祥伝社)
家田荘子

2023年8月1日
1,056円
272ページ
978-4-396-11685-9
9者9様のドラマ
不倫、少女売春、風俗、高齢者の性など光の当たっていない世界を取材してきた著者は、池袋の淫靡な雰囲気が漂うバーで、男性経験のない清楚な女性従業員・梓さん(仮名、28歳)に出逢う。5年後、19歳年上のイラン人男性と結婚した彼女と再会し話を聞くと、結婚前も結婚後も夫と肉体関係はないと言う(夫以外ともない)。30歳を過ぎて性経験がない女性、大人処女。彼女たちは、なぜそれを選択したのか。著者は、梓さんを含む9人に寄り添うように取材、すこしずつ聞き出していく。そこには、9者9様のドラマがあった。さまざまな価値観と生き方を伝えるノンフィクション。