
かつて大ヒットゲームを世に送り出したにもかかわらず、忽然とゲーム産業界の表舞台から消えたクリエイターたちがいる。彼らは今何をしているのか。
「ぷよぷよ」は世の中の流れに流されているうちに当たっちゃった
株式会社コンパイル元代表取締役社長、仁井谷正充。その名前にピンとくる人はかなりのゲームマニアだろう。1990年代中盤から後半にかけて、全盛期の売り上げは70億円を超えたコンパイル社の創業者である。
「今は年金生活ですが、たまに副収入があります。年金プラス5万から10万円くらい副収入あれば、生活ができるんです。あとは貯金を取り崩しながら……。でも、本業のゲーム開発で稼げるのが理想ですけどね。なかなかそうはいかないですね」

ながされるままと語る仁井谷氏
コンパイルを創業するまでの仁井谷氏は学習塾教師、広島電鉄など、社会人として多くの仕事に就いているが、こうした経験が後のコンパイルの成功に繋がったのだろうか。仁井谷氏は“流れに流されてきた”だけという。
「学生時代は左(※筆者注 左翼)に被れていたんです。要するに、真剣に革命家になろうと思っていたんですよ。
その後、広島で写植(筆者注 写真植字の略:写真の原理を用いて印字する)の仕事していたころ、発売されたばかりのAppleⅡでゲーム作っていたんです。人にこき使われるのはイヤだから、自分で会社を始めようと思いました。でも、最初の1年はメシが食えなくて、友人からの紹介で、ASCIIのMSXソフトの開発プロジェクトと、セガ(SEGA。当時はセガ・エンタープライゼス)のソフト開発に参加したんです」
SEGAでのソフト開発で手掛けた作品が、1983年SG-1000向けソフト「サファリハンティング」、「N-SUB(エヌ-サブ)」の移植などで、これらをきっかけに本人いわく、「ぬめぬめとゲーム業界に入っていくことになった」
「1989年にロールプレイングゲームの『魔導物語』(ディスクステーション収録版)を開発して、周りを見回すと、他社さんのソフトで、『テトリス』が売れて、『コラムス』が売れて、じゃあ、ちょっとウチでも“落ちゲー”を作りたいなと思っていたら、なんとなく『ぷよぷよ』ができて、ヒットしたんですよ。
『ぷよぷよ』は世の中の流れに流されているうちに当たっちゃったって感じです。
まあ、流れに乗っかったというか…例えば学生運動も一つの流れだと思うんです。そっちに乗っていたら、今度はパソコンソフト開発の方に乗っかった。その次はゲームソフト開発に乗っかった。そうしたら売れちゃった、みたいなことですね」
幻の「M計画」、上場計画は失敗、そして倒産へ…
「90年代の後半になると、ゲーム系企業の株式上場が続きまして、ある大手ゲーム企業の社長が僕に囁いたんですよ。『コンパイルさんも上場したら、上場益が数百億円になるよ』と…そのときに、数百億円あったらテーマパークがつくれるなと思ったんです」

「ぷよぷよeスポーツ」のプレイ画面 提供:セガ ぷよぷよeスポーツ ⒸSEGA
このテーマパーク、プロジェクト名は「M計画」と言われていたもので、自社ヒットコンテンツの『魔導物語』になぞらえたものだ。建設予定地は千葉県幕張地区で、ぷよぷよの「ぷよ」を模したドーム型の屋根が特徴的なこともあり、「ぷよぷよランド」とも呼ばれていた。
一説には、破格の1000万円をかけたといわれる「ぷよぷよランド」の完成イメージイラスト(原画)が、ネット検索をするとヒットする。

千葉県松戸市の仁井谷氏の2LDKのアパートで話を聞いた
「あのころのコンパイルは、売り上げ規模が70億円くらいあったと思いますが、そうすると次は100億円がなんとなく、見えてくるんですよ。すると経営者は売り上げを1ケタ上げるにはどうしたらいいかって考えるんです。
そのときに『M計画』(『ぷよぷよランド』)が実現すれば、これで1000億円企業イケる!って思ったわけです。おそらく孫正義さんをはじめとした、世の中の経営者もそう思うはずです。それ自体は間違っていないはず。でも、売り上げを上げるために、極端に人を増やしていったことが間違いでした。
要するに、軍隊でいえば僕は指揮官だけど、その下に部隊長とかがいなかったんじゃないかと思います。目先のことが忙しいから、そのあたりを巻きなおすことができないまま、組織がツギハギだらけになっていたんです。
建物でたとえると簡単なんですよ。平屋を二階建てにするくらいならば、なんとかなったかもしれませんが、それを10階建てのビルにするとなると、構造から何から変えなきゃいけないでしょう。それがどうすればいいかわからなかった。
いまの野望は韓国で自叙伝刊行
「今は自叙伝を書いているんです。本業のゲーム開発では稼げないので、一年前まではバイトで警備員や、介護関係の仕事をしていたのですが、韓国の出版社から自叙伝のオファーがあって、200ページくらいのものを書いています。でも、まだ80ページ分くらいしか書けていない…。
当初、執筆期間は6か月くらいで終える予定だったのですが、もう2年以上かかっています。おそらく入稿は来年の4月ごろで、発売は10月のハロウィーンのころになると思います。僕は体育と物書きが苦手なんですよ」

仁井谷氏の仕事場の様子
なぜ韓国での自叙伝出版かという理由を、仁井谷氏はこう説明する。
「コンパイルは、日本のゲーム会社として初めて韓国に現地法人を設立した会社なんです。
大ヒットした『幻世酔虎伝』(1997年リリース)が、その後、韓国の学校で支給されるパソコンに標準でインストールされたことがきっかけで、『幻世酔虎伝』=『コンパイル』=『仁井谷正充』という図式が出来上がったんですよ」
つまり、韓国側からすると日本ゲーム史の偉人として仁井谷氏をとらえていることが、今回の自叙伝出版計画につながっているという。気になる日本語版はというと、「韓国版が出版されれば日本語版の話も進むのではないか」とのことだった。
実際に、コンパイルのソフトは韓国でいまだに根強い人気があるようで、直近では韓国のゲーム会社「DAEWON MEDIA GAME LAB」(大元メディア)からNintendo Switch版の「幻世酔虎伝プラス」が発売されている。また縦スクロール型のシューティングゲーム「ザナック」の発売も、同じく韓国の「Viccom」(ビッコム社)から12月で決まっている。
それら過去の作品に寄せて、YouTube動画制作や、パッケージへのサインなどの販促活動の協力金をもらっており、それらが仁井谷氏の生活の一助になっているという。
これだけ振れ幅のある人生ついて、仁井谷氏自身はどう思っているのかを改めて聞いてみた。
「今は『にょきにょき』の任天堂Switch版を世に出して、ドカーンと10万本くらい売れたらいいなと思っています。現に韓国をはじめとして、ネットでも僕のことを支援してくれるツイッターのフォロワーさんも7000人くらいいますからね。もし一人になっても、Unity(ユニティ)などの開発ツールを使って、やり続けますよ。そういう意味でも便利な時代になったんです。
僕は過去を振り返らない、過去を振り返って、それを肴にお酒飲むとか、そういうタイプじゃないんです。常に何か新しいことをやってみたいし、人生に悲観することがないんです。任天堂さんあたりが僕に200億円預けてくれたら絶対にヒット作品を作れると思うんですけどね」
写真・文/黒川文雄