全国でラーメン店の閉店が相次いでいる。物価高騰に伴う原材料費や水道光熱費の値上げ、人材確保の難しさなどによる経営難が原因とされ、その数は過去最多に上る可能性がある。
火事による突然の閉店
今年の元日、夜8時頃に事件は起こった。
ラーメンの仕込みが終わって、自宅で親戚の集まりをしていた。店主の井原英樹さんがその後、店に戻ったときに、強烈な異臭を感じたという。慌てて店に入ってみると、大火事が起きていた。
煙が立ち込め、広がった火は一向に消える気配はない。消防車を呼び、必死で消火活動を行う。
「私が鍋に火をかけっぱなしだったのが原因です。それが油に引火して燃え広がってしまったんです。正月早々、突然の出来事に放心状態でした」(店主・井原英樹さん)
このお店は東京・昭島にある『麺や 独歩』。JR青梅線・中神駅北口から徒歩4分のところにある人気店。
元日から消防車が5台も集まり、新年早々、たくさんのやじ馬が店の前に集まった。ちょうど1月から新入社員も入り、これからラーメン職人としての道を歩んでもらおうと思っていた矢先に、火事でお店がなくなるという悲劇。新入社員の最初の仕事が火事の瓦礫の掃除になってしまった。
「お店は続けられませんが、何とか雇用を守ろうとスタッフには掃除をしてもらって給料を払いました。父の経営する焼肉屋の厨房を借りてチャーシュー、ワンタン、味玉のテイクアウトや、チャーシュー弁当の販売をし、なんとか売上を守っていました」(井原さん)
火事で一夜にしてお店がなくなってしまったが、店主・井原さんには「やめる」という選択肢はまったくなかった。
火災保険である程度は対応できたものの、支払いはすべて保険が出た後に回してもらい、ギリギリの状態で復帰に向けて動き始めた。
火事で気持ちが切れてしまい、やむなく閉店してしまう店というのは、これまでにもいくつか見てきた。けれど井原さんは違った。井原さんが閉店することを考えなかったことに、大きな理由があったのだ。
ラーメン作りをやめられないたったひとつの理由
「この店は兄から引き継いだ大事なお店なんです。スタッフも10名抱えていますし、やめるという選択肢はまったくありませんでした」(井原さん)
『麺や 独歩』は現店主である井原英樹さんの兄・優樹さんが2010年に創業したお店だ。英樹さんと優樹さん兄弟は幼い頃からラーメンが好きで、父は『昭島大勝軒』(2023年2月閉店)によく連れて行ってくれていた。この味が二人の原点である。スープは煮干しベースで麺量も多く、チャーシューも大きい大盛りが売りの一杯だ。
優樹さんは独学でラーメン作りを学び、両親が営んでいた居酒屋で昼の時間帯に間借りし、ラーメンを提供し始めたのが『独歩』のスタートだ。その後、何度か移転を繰り返し、地元・昭島に店舗を構えて復活する予定だった。
その準備をしていた2018年に事件は起こる。
優樹さんが事故により、頭蓋骨骨折と硬膜下出血の重体となってしまったのである。生存率1%といわれる大事故だったが、何とか一命はとり止めた。しかし、優樹さん自身は厨房に立てなくなり、その後しばらくは両親が代わってお店を切り盛りしていた。
そんなときに、立ち上がったのが弟の英樹さんだった。脱サラをして優樹さんの店を引き継ぐことにした。
料理経験のほとんどなかった英樹さんが『独歩』を復活させるまでには3年の月日がかかった。知人の紹介で高田馬場にある『博多ラーメン でぶちゃん』の店主・甲斐康太さんに出会い、サラリーマンをやりながら土日に『でぶちゃん』でアルバイトする日々が続いた。
『でぶちゃん』は博多ラーメンの名店だが、英樹さんが『独歩』で作りたいラーメンは兄の優樹さんの出していた、いわゆる“中華そば”だ。修業後に作るラーメンのスタイルが決まっている状態で修業するというパターンは大変珍しい。
「『でぶちゃんの弟子がなぜ中華そば?』と多くの人に言われました。ですが『でぶちゃん』では博多ラーメンの作り方よりも、お店作りやマインド面を主に教えてもらいました。また、(とんこつ以外の)限定ラーメンなども出していたので、いろいろなラーメンを通じてその技法を教えてもらったんです」(井原さん)
兄が厨房に戻る日まで
現場で少しずつ学び、2021年3月に『でぶちゃん』を卒業。残っていた兄のレシピをもとにラーメンを作り上げ、「独歩』は復活することになった。開店当初は正直、味の評価はよくなかったが、兄・優樹さんのことを知っていたファンたちや地域の人たちが応援してくれた。
「本当に応援してくださる方々が多かったので、見た目は順調に見えていたかなと思いますが、中身が伴っていませんでした。そこで、師匠である甲斐さんに味の相談をし、さらに地域のほかのラーメン店の人たちがいろいろと教えてくれたおかげで、自信を持って出せるものができるようになってきました」(井原さん)
オープンした頃、兄の優樹さんが試食をしてくれた。当時は納得していなかったようだが、今は「うまい」と言って食べてくれているそうだ。優樹さんはいまもリハビリ中で、現在は単語が少し話せる程度。優樹さんが厨房に立てるようになるまでは店を続けたいと英樹さんは話す。
そんな思いを背負っての、3月1日、火事による突然の閉店からちょうど2か月。『麺や 独歩』は復活を遂げた。
10時のオープンから、少しずつお客さんが集まり、昼時には行列ができた。休業中にワンタン好きの新入社員とともに研究をしたワンタンが看板メニューとして加わった。
「とりあえずホッとしました。常連さんが差し入れを持ってきてくれたり、手伝いに来てくれたり、本当にありがたかったです。初日からたくさんの人が会いに来てくれました。やっと日常に戻ったんだなと実感しています。
この2か月間、スタッフと地元の人たちの思いをとても強く感じることができました。しっかり地に足をつけて、地元の方が集まれる場所にしていきたいと強く思っています」(井原さん)
『独歩』の第3章は、これから始まる。優樹さんが厨房に立てるその日まで、英樹さんは踏ん張ってのれんをつないでいく。
取材・撮影・文/井手隊長