斉藤由貴が『卒業』が若い世代に刺さっていることに「なぜだろう」としか感じられないワケ…「私には残りの時間でどう過ごしていくかのほうがずっと身近なこと」
斉藤由貴が『卒業』が若い世代に刺さっていることに「なぜだろう」としか感じられないワケ…「私には残りの時間でどう過ごしていくかのほうがずっと身近なこと」

「卒業」をリリースした斉藤由貴は、やがて歌手と俳優の両立に悩みながらも、その表現の違いにやりがいを見出してきた。90年代にセルフプロデュースをするようになったこと、昨今のシティポップ再評価で若い世代に楽曲を聴かれていること、そして今「卒業」を歌うことについて話を聞いた。

歌手と俳優の仕事、どちらもあったからここまでやってこれた

――斉藤さんにとって、歌手としての活動と俳優としての活動は、どういった関係を持つものなのでしょうか? 全く異なる表現なのか、それとも何か重なり合う部分があるのか。

斉藤由貴(以下同) 
俳優の仕事っていうのは基本的にひとりではできなくて、たくさんのスタッフさんや他の俳優さんとチームで共同作業していくものですよね。そうすると、社会性も必要とされるし、みんなとコミュニケーションをとりながら作っていくのが前提となるものだと思うんです。

歌の場合にももちろんそういうところはあるけれど、少なくとも、いざステージに立ってしまえば、すべてをひとりで背負うことになります。そうすると、お客さんを目の前にしているとはいえ、ある種とても内向的な世界に入っていく行為でもあるんです。

お芝居は相手役や周囲との化学反応の上で物語を構築していく作業だけど、一方で歌は、3~4分の物語の中で、曲ごとに全くちがうシチュエーションを自分ひとりで担って表現していく。やっぱり、それぞれ違う種類の表現だと思うし、それぞれの素晴らしさ、おもしろさがあります。

けれど、もしかすると、そのどちらかだけをやり続けてきたのなら、どこか満たされない思いを抱くことになってしまっていたんじゃないかなと思います。お互いの活動でお互いの満たされない部分を補うことができたっていう感覚があるし、それはすごくいいことだったと思っています。

――デビューからしばらくは、その2つのお仕事を同時並行しながら、こなしていらっしゃったわけですよね。

そうですね。この年齢になってみると、アイドルをやっていた時代に必死になって自分の歌を積み上げていった経験が宝物になっているのを実感しますね。これは忙しい只中にいたあの頃には思いもよらなかったことです。

いつの間にか毎年クリスマスライブをやるのが恒例になってきたし、いまだに歌番組にも呼んでもらえて、本当にありがたいですね。

――デビューからしばらくすると、ご自身でも歌詞を書かれるようになりますよね。

はい。2枚目のアルバム『ガラスの鼓動』から少しずつ作詞を手掛けるようになりました。小さい頃からイラストやポエムみたいなものを書いていたし、中学校では小説部っていう部活に入っていて、もともと何かを書くのが好きだったんです。それを知っていたディレクターの長岡(和弘)さんが、「由貴ちゃん、せっかくだから自分で歌詞を書いてみない?」と提案してくれました。

「せめて自分だけは本当に大事な物だけを見つめていこう」

――その後、1990年のアルバム『MOON』からは歌詞のみならずセルフプロデュースも手掛けられています。歌手として活動を続けていくうちに、徐々にアーティストとしてのヴィジョンが深化していったということなんでしょうか。

いやいや、それもただ「やってみれば?」って言われたからで……(笑)。『MOON』は私のひとり語りから始まるんですけど、全体の構成を含めて全部自分で考えました。空想の世界が大好きだったから、物語を作ってみたいという気持ちが強くあったんだと思います。ある扉がひとつあって、また別の扉があって、それぞれが迷宮のような世界に通じているイメージですね。全く違う世界観の曲を並べて、異次元と現実を旅行するようなアルバムにまとめてみようと思ったんです。



――その次のアルバム『LOVE』(1991年)は、昨年アナログ化もされましたね。

ねえ。びっくりですね。

――『LOVE』は、若いDJやリスナーの間でもすごく人気が高いんですよ。ご自身の音楽がそうやって世代を超えて聴き継がれていることについてはどう思いますか?

本当に大事なこと、伝えたいこと、伝えなくちゃいけないことって、実はそんなに多く存在しないし、昔も今も変わらないような気がします。私が何十年も前に出したアルバムをいいと思ってくれる人がいるんだとしたら、時代が違っても心へシンプルに訴えかけるような何かを表現できていたってことなのかなと思います。



最近、中島みゆきさん関連のお仕事をすることが多いんですけど、彼女の音楽がどうしてずっと支持されているのかといえば、やっぱり中島みゆきさん自身がカッコつけず、惨めさとか悲しさまで全部ひっくるめて表現をしているからだと思うんです。その潔さや覚悟って、これからの世の中それがないとやっていけないものというか、皆がそこへ回帰しなければと、うすうす気付き始めているのだと思います。

――なるほど。

今の若い人たちの周りには、昔に比べてすごくたくさんのものやことが溢れかえっているわけですけど、一方で彼らの中で、それに逐一関わっていたらまずいことになるんじゃないかっていう予感も高まってきている気がします。

そういう中で、せめて自分だけは本当に大事なものだけを見つめていこうっていう、一種の危機感みたいなものがあるんじゃないかしら。

「卒業」はキャリアを重ねることに、自分を重ねるように

――斉藤さんの「卒業」をはじめ、日本のポップス史を振り返ると、いわゆる「卒業ソング」というものがたくさんあって、しかも長く聴き継がれている曲が多い印象です。

それはなぜだと思いますか?

うーん、なんででしょうねえ。やっぱり、別れの美学が私たちの文化の中に根強くあるからなんじゃないでしょうか。今の時代、卒業式で長いお別れをするみたいな感覚は薄いかもしれないけど……。

――卒業式の翌日以降も友人たちと変わらずネットで繋がっていられますからね。

そう。でも、心の奥底にはそういう別れという出来事への深い情感が変わらずにあるんだと思います。だから大勢の人たちに刺さるのかもしれませんね。

――斉藤さんは、デビュー曲の「卒業」を長く歌ってこられて、2021年のアルバム『水響曲』ではアレンジを変えてセルフカバーもされています。今、斉藤さんにとって「卒業」という曲はどんな存在なんでしょうか?

聴いてくれる方の今の気持ちに寄り添うというよりも、その時代の自分を思い出してもらうために歌っているという意識が強いですね。それは私自身もそう。「卒業」を歌っていた当時の若くてたどたどしかった自分を思い出すと同時に、聴いてくれる方にも、例えば、受験生だった自分とか、部活動で頑張っていた自分とかを思い出してもらって、今までの人生を回顧してもらえればと思っているんです。

――一方で、「卒業」は今の若い世代にも刺さる歌だと思いますよ。

私のライブにもときどき20代の若い人が来てくれます。もちろんうれしいんですけど、あんまり彼らを意識しながらは歌ってはいなくて(笑)。シティポップブームで私の曲をいいと言ってくれたりする人もいるんだけど、正直、「なぜだろう」って感じです(笑)。

これくらいの年齢になると、やっぱり先行きのことを考えるんですよね。残りの時間でどう過ごしていくかを考えることのほうが私にとってはずっと身近なことだし、そうすると、自然と過去のことも回顧するようになるんです。

――卒業式を経て、期待と不安を抱えながら今まさに新生活に踏み出そうとしている方も多いと思います。最後に、そういった読者へ向けてメッセージをいただけますか?

結構いろいろなところでも喋っていることなんですけど、私のすごく好きな言葉に「人生は壮大なひまつぶし」っていうのがあって、それを伝えたいですね。

一明源さんの本のタイトルになっている言葉なんですけど。その本で言われているように、節目や大きな変化ということにとらわれすぎないで、自分に起こる変化をおもしろがって、自由に振る舞ってほしいなと思います。

どんな選択をしたとしてもその先になにが起こるかなんて誰にもわからないんだから、どんな決断だってすべて正解なんだし、その中で頑張ってみればいいんだということも書かれていて。すごくらくちんだし、とても素敵な考え方ですよね。

 

取材・文/柴崎祐二