さばくまで約2年、買いつけは7年以上…魚屋の森さんがIT業界から転職し一人前になるまで「俺なら買わない魚だな」と父親から嫌味を言われ「思い出してもムカつく(笑)」
さばくまで約2年、買いつけは7年以上…魚屋の森さんがIT業界から転職し一人前になるまで「俺なら買わない魚だな」と父親から嫌味を言われ「思い出してもムカつく(笑)」

「魚屋の森さん」こと、寿商店・森朝奈さん。都内のIT会社に勤めていたが、愛知県名古屋市の実家の魚屋に転職。

水産業界に飛び込み、いまでは魚の買いつけから解体ショー、YouTubeでの情報発信までこなす“新時代の魚屋さん”となった。食育に携わっていきたいという彼女のこれからについて聞いた。

農林水産省によると、日本人の魚の消費量は年々減少傾向にあるという。2016年度にはついにピーク時の約半分である年間24.6kgとなり、1960年代前半とほぼ同じ水準にまで下がっている。

そんな中、愛知県名古屋市で、朝5時に市場を巡り、巨大イカをさばいては小学生の前でマグロを解体し、果ては魚を求めて遠くアラスカまで飛ぶ魚屋がいる。

YouTubeチャンネル「魚屋の森さん」で知られる、寿商店(ことぶきしょうてん)常務取締役・森朝奈さんだ。

運営する寿商店では、「魚屋だからできること」をモットーに、魚屋としてはもちろん飲食店事業やマグロ解体ショーなどを手掛けている。まだまだ男社会といえる水産業界において、IT業界で培ったスキルを駆使して活躍する森さんに話を聞いた。

小学生に痛風鍋が人気!?
動画の力を実感した瞬間

――魚屋「寿商店」で常務取締役を務める森さん。“魚屋”として、市場での買いつけやマグロの解体ショーの様子を配信するYouTubeチャンネル「魚屋の森さん」が人気です。

森(以下、同) コロナ禍になる直前の2019年12月に、YouTubeチャンネルで、きまぐれクックさん※とコラボさせていただいたんです。彼がイベントでお店を出店される際、寿商店に運営を依頼していただいたのがきっかけですね。

※魚をさばく動画をメインに活躍するYouTuber

――イベントの際、森さんも店頭に立たれたとか。



お店で出していたのは、白子・牡蠣・あん肝が入った「痛風鍋」なのですが、店を訪れた小学生ぐらいの子どもたちが喜んで食べていたのが印象的で。子どもたちが白子やあん肝をおいしく食べているだけではなく、「これってタラの白子だよね」「精巣なんだよ」と、魚の知識までYouTubeから得ていると知りました。
そんな様子を店頭で見ていて、自分もYouTubeで情報発信してみようと思い立ったんです。
 

――水産業界のなかでYouTube配信をされている方は珍しいですよね?

各地の市場や漁港に行って漁師さんと話をする際、多くの方にYouTubeみたよと話しかけてもらえます。業界としてはまだまだアナログですが、働く人たちにはデジタルツールを介した発信がちゃんと届いているので、もっといろいろな角度で情報を発信できたらなと試行錯誤しています。

――森さんのチャンネルは、「魚」をテーマにしつつも、扱う企画は買いつけや解体、調理など多岐にわたります。

反響が大きかった動画はなんでしょうか。

最初はお魚をさばく動画をメインでアップしていたのですが、漁港に行ってカメラを回した動画が好評で驚きました。魚屋としては、漁港の風景は日常の一部なので、これほどまで視聴者の皆さんに刺さるとは思わなかったんです。

各漁港、産地ごとの特色の違いのおもしろさを再認識する出来事でしたね。

さばくまで約2年、買いつけには7年以上
厳しい魚屋修業時代

――IT業界から、父親のおこした会社「寿商店」に転職した森さん。まったくの異業種への転職ということで、苦労したこともあったのでは?

魚のさばきを任せてもらえるようになるまで約2年かかりましたね。父は昔気質な人なので、手取り足取り教えてなんてくれない(笑)。

父や職人さんがやっているのを必死に真似して頑張りました。

でも、仕入れに関してはもっと時間がかかって、一部を任されるようになるまでおよそ7年、やっと最近になって任せてもらえるようになりました。
 

――ごく最近まで任せてはもらえなかったのですね。

いまだにすべては任せてもらえませんし、今日もケンカしてきました。「俺ならこの値段でこの魚は買わないな~」みたいな。いま思い出しても…ムカつく(笑)。



でも私の力不足でもあるんです。やはり長年市場で働いている父に比べると、まだ経験不足ですから。

――確かに公平な値付けができる商材ではないですもんね。魚屋さんでも値段はバラバラですし。

対面販売の小売店にも立っているのですが、そこに来てくださるお客さまとの会話から見えてくるものもあるんです。

「今度、息子が嫁と孫を連れてくる」といった話が出たら、「あのお客さまのお孫さんはカレイが好きだったよな。

今度までに仕入れておこう」と考えますし、いい魚を仕入れ、届けるためにも、人間関係は非常に大事だと思っています。

読者の方で日常的に魚屋さんに足を運ぶ人は少ないかもしれませんが、ぜひ“いい魚屋さん”を見つけてほしい。スーパーの鮮魚コーナーでも構いませんから、まずはお買い物のついでにオススメを聞いてみたりするのもいいかも。

漁業のサスティナビリティ
実現のためにできること

――いまの時期、オススメの魚はありますか?

今年はアジがいい感じに穫れている気がしますね。オススメは体高があって、小顔のコ。アジって大衆魚だと思われていますけど、本当においしいアジに出会うと、イメージが変わると思いますよ。あとは旬でいえば、サワラかな。サワラはカツオと同じく旬が2回ある魚なのですが、春ザワラもおいしい。脂が乗って、あぶりの刺し身にすると最高なんです。

――「旬」も魚の魅力のひとつですよね。

そう、お魚のおもしろみって“旬”なんです。季節によっておいしい魚が異なりますし、食を通じて季節を感じられるのもポイントです。

――今後、魚の魅力をより広く発信するために描いている展望を教えてください。

若い人、特に子どもに魚を楽しんでほしいので、海がない県の幼稚園や小学校で解体ショーをやっていきたいですね。あとは最近、水産資源管理に興味があるんです。ノルウェー、アラスカといった漁業の進んだ国や地域では、TAC(漁獲可能量)を州ごと、漁船ごとといった細かい区画で分け、お魚を貴重な資源として計画的に運用している。

その結果、安定して魚が手に入り、漁師さんの生活も豊かになる。ノルウェーでは現に、子どものなりたい職業ナンバーワンが漁師さんなんですよ。

私も父がつくった会社を次世代に残したいし、水産大国の人間として、未来の子どもたちにもおいしい魚を口にしてほしい。そのために、「漁業先進国の取り組みを学びたい!」とYouTubeで発信し続けていたら、昨年「アラスカシーフード協会」からスペシャルアンバサダーに任命していただきました。

今後も、より多くの人にお魚や漁業の魅力を発信していきたいので、この記事を読んでぜひ、町の魚屋さんに足を運んでくれる人が増えたらうれしいです。

取材・文/結城紫雄
写真/松木宏祐