
ノンフィクション本の新刊をフックに、書評のような顔をして、そうでもないコラムを藤野眞功が綴る〈ノンフィクション新刊〉よろず帳。今回は、エッセイ付きのレシピ集だと舐めてかかると、火傷必至の1冊『舌の上の階級闘争 「イギリス」を料理する』(コモナーズ・リトルモア)を紹介。
イギリス料理は不味い?
コモナーズ・キッチンは怒っている。
パン屋と農家と大学教授からなるこのユニットのうち、いったい誰が怒っているのかは分からないが、ともかく「舌の上の階級闘争」の著者であるコレクティヴのひとりかふたり、もしくは3人全員が〈常套句〉に怒っている。
〈イギリス料理は不味い。このほとんど病理学的にも聞こえる常套句〉【1】
しかし、現在においてこのフレーズが本当に〈常套句〉なのかは怪しい気がする。個人的には、「イギリスの料理は不味いといわれる。だが、それは間違いである。なぜなら~」までを含めた、一種の書き出しの作法こそが〈常套句〉なのではないかと思う。
その前提を踏まえた上で、たとえば石井理恵子は『英国フード記AtoZ』(三修社)で、こう切り出した。
〈「英国はおいしい」か? 英国はまずくない。英国に私の好物は多い〉【2】
なかなか素敵な言い回しだ。
では、当のイギリス人はどう思っているのか。1972年に邦訳された『イギリス料理』【3】を開いてみよう。
〈イギリス料理にけちをつける外国人もいるが、それは本当のイギリス料理を味わったことがないからである〉【4】
くだくだしい議論を打ち切るには、ぴったり。イギリスの名をフィンランドやコンゴ民主共和国、あるいはミャンマーに挿げ替えても、この構文では反論のしようがないだろう。
仮に自分がイギリス人で、普段食べている食事がひどく不味いものだったとしても「本当のイギリス料理は美味いものなのだ」と言われたならば、「それはまあ、そういうものなのかもしれないな」と、一半は納得してしまうかもしれない。
けれど実際のところ――「舌の上の階級闘争」が指摘する通り――カテゴリーとしての「不味い料理」などというものは存在するのだろうか。調理の手際や味付けに「上手い/下手」という指標があるように、個別的に「不味い一皿」はあっても、カテゴリーとしての「何某料理」に「美味い/不味い」を冠することなどできるのか。
50年以上前の予告
コモナーズ・キッチンは「美味い/不味い」という指標に沿って、本書「舌の上の階級闘争」を作ったのではない。全部で12章、レシピと写真付きで紹介される料理はそれ以上。
ローストビーフやパンに塗るマーマレードといった誰もが知るものから、ジェリードイール(ウナギのゼリー寄せ)やシェパーズパイまで幅広い。
だが、彼らの姿勢はあくまでも厳しい。そうした評言が、コモナーズ・キッチンを称えることになっているのかどうかは分からない上に、彼らの作った料理がいずれも「美味そう」なのも事態をややこしくしている。
しかし、いずれにしても、「美味い/不味いではない」のではなく、「美味い/不味いだけではない」といったところか。コモナーズ・キッチンの拘りは、巻頭に「ベイクドビーンズ」を供する態度に象徴されている。
誰が〝国民食〟を決めるのか
先に引いた概説書『イギリス料理』【3】を書いたのは、生粋のロンドン子を自称したエイドリアン・ベイリーである。父親がホテルを経営していたという記述もあるので、「階級」としては中流以上に属していたと思われる。
今から50年以上も前、1960年代後半の時点において、ベイリーが考える「イギリス料理」は「農民の国」であると同時に「狩猟民の国」であり、「漁師の国」でもある母国が生み、連綿と繋いできたものだと定義付けられていた。そのため、彼の本にはベイクドビーンズは登場しない。ただし、予告はされている。
〈イギリス料理は、侵入してきたさまざまな民族の文化の影響を受けて1000年以上も前に生まれた。しかしその味覚は、今また新しい侵入者によって変えられようとしている。それはかん詰や冷凍食品、袋詰の肉、大量飼育の家禽類、工場生産のパンなどである。現在、イギリスで農業人口は総人口の60分の1で、もはや農業国とはいえないので、イギリス人の味覚を変えるのは都市の環境である〉【4】
半世紀前のイギリス人の見立て通り、「舌の上の階級闘争」で供される料理の幕開けは、(たいていは缶詰が使われる)ベイクドビーンズとなり、第7章の〈イングリッシュブレックファスト〉にもベイクドビーンズが添えられる、という結末になった。
見えない敵
イングリッシュブレックファストは、基本的にフライアップ(すべてをひとつのフライパンで料理する)なので、生のソーセージをボイルせずに焼き、厚切りのベーコンも加える。さらにマッシュルームとトマト、目玉焼きに、トースト。そして、たっぷりのベイクドビーンズ。レシピとともに、これまた美味そうな写真が載っているが、それでもやっぱり、コモナーズ・キッチンは怒る。
〈伝統的なイギリスの朝食と謳われるこのメニューだけれど、その中身を考えてみると伝統をどこまで遡って考えるべきかはなかなか微妙である。朝食をしっかり食べるという習慣自体が一九世紀になってから一般的になったものであり、その一九世紀を通じて起きた産業革命によって階級分断が激しくなった。
しかし、たとえば本書の9章「ロールモップとキッパー」で詳しく述べるように、一九世紀から二〇世紀にかけての時代になっても労働者階級の朝食はパンと紅茶が基本。それに週に一、二度のベーコンかキッパーがあれば上等というものだった。品数もカロリーも豊富なイングリッシュブレックファストを日常的に食べることなどなかったのである(…)
そもそも「イングリッシュ」である。スコティッシュやアイリッシュではない。ブリティッシュとでも言ってくれれば簡単なのだが、そうすると微妙に中身が違ってくるから、そこで差を際立たせることによって、それぞれの食のナショナリズムを主張したい、とでも言うかのようである〉【5】
ちょっと、この本でピンとこないのは、彼らがいったい「誰」に対して、そんなに苛立っているのか、怒っているのかが見えにくいところなのだ。本書の元になったプラットフォームnoteの連載初回の写真には、彼らが参照した資料の背表紙が並んでいる。
その中にも映っている『イギリス料理』の著者ベイリーは、ロンドン子というだけでなく、コモナーズ・キッチンが嫌うナショナリズムの精華たるイギリス軍の広報部隊に属していたこともあった。しかし、その彼の書きぶりでさえ評者の目には十分穏当に映る。
読者は「学ぶ義務がある」か?
〈イギリスの朝食には、とくにスコットランドの影響が強く見られる。スコットランド人は、イングランド人、ウェールズ人、アイルランド人よりもどっさり朝食を食べる。彼らは、冬の朝、たくさんのポリッジ(オートミール)と、バップと呼ばれる朝食用の柔らかなロールパンをいくつも食べ、紅茶を何杯も飲む。
かつてイギリスでは何世紀もの間、朝食の内容は変わらなかった。中世の大金持ちたちは、寝るときはちゃんとナイトシャツに着替えたし、シーツも上下に2枚使い、起きたいときに起きればよかった。彼らの朝食は、上等のパン、ゆでた牛肉と羊の肉、塩漬けのにしん、そしてビールか、ワインだった。ただし、国民全体の食生活がこうだったとはいえない。いつの時代でもイギリスでは、社会的、経済的な階層がはっきりと分かれているため、階層が異なると、食生活の習慣も違った。
貧しい人びとは、わらの上に着のみ着のままで眠り、夜明けとともに起きてありあわせのものを腹に詰めこんだ。パンは欠かさず食べた。ふところに余裕があれば、塩漬けの豚肉かベーコンをひと切れと、ビールの1杯も飲み、金曜日は魚を用意した。この肉とビールを中心にした食事は、500年以上もつづいた〉【4】
ベイリーの記述がどこまで正確なのかは分からないが、極端に資本家的な歴史観でも、ファシスト的な感性でもないような印象だ。「イギリス料理は不味い」という〈常套句〉は文字通り「常套句」なのだから、「貴様らには学ぶ義務がある」とにじり寄るだけでなく、「歴史を喰わせるため」に提示される料理の、そのレシピ開発の過程をこそ見せてほしかった。
言わずと知れたフィッシュ&チップスなどと書くと、また彼らに叱られそうだが――同書のレシピでは、薄力粉とコーンスターチ、それにベーキングパウダーとビールを混ぜた生地に魚を浸けている。
他方、ベイリー『イギリス料理』の生地は小麦粉に卵、牛乳、そしてビール。イギリスに住んでいたこともある料理研究家、大原照子のレシピも同様【6】だ。
頭でっかちの知識として、卵の代わりにベーキングパウダーが使われていることは分かるが、なぜコモナーズ・キッチンは卵を使わなかったのか。同書が繰り返し強調している、ひとりひとりの〈境遇〉や〈気を配らねばならない事柄〉に即して、「レシピの理由」があってもおかしくはないはずだ。
ユニットのひとり、ミシマショウジが作るパンには「ヴィーガン」と冠された商品もあったので、卵や牛乳を使っていないのはそうした理由からなのだろうか。違う気もするが、書かれていないので分からない【7】。コモナーズ・キッチンは、まだ自分たちの魅力を自覚し切れていないのではなかろうか。
文/藤野眞功
【1】「舌の上の階級闘争」より、引用。
【2】「英国フード記AtoZ」より、引用。
【3】エイドリアン・ベイリー『イギリス料理』(日本語版監修:江上トミ/タイム ライフ ブックス)
【4】註3「イギリス料理」より、引用。
【5】「舌の上の階級闘争」より、引用。
〈(…)そもそも「イングリッシュ」である~言うかのようである〉(118頁)と〈伝統的な~食べることなどなかったのである〉(120~121頁)は、前後を転倒させている。
【6】大原照子『私の英国料理』(柴田書店)
【7】「舌の上の階級闘争」には、下記の記述がある。
〈「フィッシュ」の衣には、薄力粉にベーキングパウダーやコーンスターチを加えたものが使われる。日本ではしばしば「魚フライ」と訳されるが、英語の‘fry’が「熱した油で調理する」程度の意味しかないのに対して、カタカナ語としての「フライ」が食材に小麦粉、卵、パン粉を付けて揚げる料理(法)を指す言葉として定着しているという厄介な事情があるため、「フライ」というとあらぬ誤解が生まれてしまう〉
本文のこの記述と整合性をつけるために「卵」を使用しなかったのだろうか。パン粉は分かるが、類書ではおよそ卵が使われているので、説明がないことに違和感を持った。