
2024年10月の衆院選で落選した音喜多駿氏(41)。日本維新の会の政調会長の座を失い、党も除籍になった。
落選して無職に。党も除籍
「今はただの政治に詳しい一般人ですよ。本当は陰キャだし」
こう話すのは、ブロガー議員としてもおなじみの元参議院議員・音喜多駿氏。つい3ヶ月ほど前は日本維新の会の政調会長や東京維新の会幹事長を務め、順調な政治家人生を歩んでいたが、2024年10月の衆院選であえなく落選した。
「5年ぶり2度目の落選ですけど、やっぱり落選はするもんじゃないですね……。ただ、自分の選挙が5回目で、応援を含めたら何百と選挙に関わってきたので、勝つ選挙か負ける選挙か、チラシを1時間配ればだいたいわかるんです。
中盤くらいで今回は相当厳しい戦いになると気づき、負けを覚悟して投票日を迎えたので、事務所に誰も呼ばず開票見守り会もやりませんでした。区議会議員の妻も、別の候補者のところに行っちゃって、さびしい落選ですよ」
敗因は何だと考えているのだろうか。
「私自身の至らなさが一番ですが、党としても流れをつかめなかったと思います。維新も、躍進した国民民主と同じく現役世代のための政策を掲げていました。
国民民主は『手取りを増やす』という強い一本のメッセージがありましたよね。一方の維新は『政治改革』『社会保障の抜本改革』『教育無償化』などがあり、メッセージが散漫になってしまった印象です。
私も党の一員として、より的を絞って社会保障制度改革を大テーマとして掲げることを提案していたんですけど、『高齢者をわざわざ敵にまわす必要はない』という慎重意見も多くて。候補者によって若者向き、高齢者向きとメッセージが異なったことで、一枚岩ではない感じが伝わってしまった面もあったのではないかと思っています」
維新からは、落選の時点で党を除籍されたという。一体どういうことなのだろうか?
「維新は特殊な政党で、落選すると党籍がなくなるんです。自民党や立憲民主党は、落選しても一般党員として籍が残るようですが……。2000円の党費を払えば一般党員にはなれますが、なんか悔しいので、今は無所属です。“維新に詳しい人間”という立ち位置ですかね(笑)」
衆院選後は、新宿区にあった事務所は閉鎖。だが、活動費や収入源を確保するため慌ただしく過ごしているという。いちばん悲しかったのは、選挙ポスターをはがす作業で……。
「自分の顔をひたすらはがすわけですよ……つらいですよ。
今は「社会保険料引き下げを実現する会」という新しい政治団体を立ち上げ、すでに政治活動を再開している。とはいえ、現職の議員が国会で戦っている姿を見て「うらやましい」と思うこともあるそうだ。
「議員のときは毎日が戦のようなヒリヒリした日々を過ごしていましたから。いま、いろいろやることがあっても、それに比べると物足りなさを感じるというか……。早く国会に戻りたいという気持ちはあります。衆参同時とか、衆院選も早いかもしれないですし。
「アンチも多くて、炎上の火力も高めです」
国会議員は700人と狭き門で、オリンピックに出場するより難しいと言われているという。そんな難しい世界だからこそ、「二世でも、三世でもなく、ぽっと出のチャラチャラしたヤツが出てきやがって」と、かなり嫌われていると自虐する。
「僕、調子に乗っていると思われがちなんですよね。ブログやSNSで頻繁に発信しているのもあり、変に目立ってしまうというか。『何の努力もせずに、風に乗ってたまたま国会議員になった』と思われているから、『自分たちはちゃんとやっているのに、なんであんなヤツが!』と、たくさんの方に思われているんでしょうね。アンチもだいぶ多くて、炎上の火力も高めです(笑)」
確かに昨年の衆院選の際には、数十人のアンチに取り囲まれ、突き飛ばしや自動車への乗り込み、耳元で叫ばれる……といった過激な選挙妨害に遭っている。
「これ以外にも『オフ会帰りにあいつのところに行って嫌がらせしようぜ!』みたいなノリで事務所や自宅マンションまでやって来られたりもしています。仕切っているのは会ったこともない人なので、個人的な確執もありません。
真面目な話になりますが、選挙妨害については、100歩譲って取り囲むまではいいとしても、肉体的接触は許されないと思っています。正直、『日本はこんな国になってしまったのか……』という悲しい気持ちも大きいです。安倍晋三さんが銃撃されたあたりからタガが外れてきているように感じます。『政治家にならひどいことをしてもいい』というのは間違っていますし、『表現の自由』『政治活動の自由』という誤った認識の人が増えたように感じます」
選挙妨害については、民事訴訟、刑事訴訟ともに準備中だという。
音喜多氏はブロガー議員としてもおなじみで、過去にはたびたび炎上。XやYouTubeの発信も結構な頻度で炎上している。2023年にはこんな事件でSNSを騒がせた。
「サウナの更衣室で体重計に乗って、わりと体重が良い感じに落ちていたのでその数字を見せたくて体重計の写真をアップしたんです。そうしたら、まったく気づかなったんですが、体重計に反射した部分に局部が写り込んでしまっていて、めちゃくちゃ炎上しました。
直後に出演したテレビ討論番組にも『局部を出した人間を画面に映すな!』というクレームが入ったみたいで……。
数々のピンチをチャンスに変えてしまうのが音喜多氏。炎上対応のコツをきいてみると……
「大切なのはスピードと的確性。すぐ対応し、余計なことを言わず言うべきことだけを言う。どこが謝るポイントなのか、何に対して謝罪するのかを理解することが大切です。それが的確でないなら謝罪の意味を成しませんから」
『万国乳輪博覧会』というオリジナル曲を作りました
外資系企業勤務から国会議員、数々のテレビ番組にも出演と、一見すると華々しい経歴が並んでいるが、音喜多氏は完全に“陰キャ”側の人間だと自負。
近年、視聴者数が急増している動画メディア「ReHacQ(リハック)」でもすっかり“陰キャ”として多くの視聴者に親しまれている。
「僕は石丸伸二さんや玉木雄一郎さんのような“陽キャ”にはなれませんから、これからも“陰キャ”を貫いていきます。玉木さんと対談したことがありますが、『なんでそんな“陽キャ”なんですか? 子どものころから何でもできたんですか?』と聞いたら、『なんでもできたというか、なんでもやっていましたね』と返ってきました(笑)。たぶんスポーツも勉強もできて、足も速かったんだと思います」
そもそも何をもってして自分は“陰キャ”だと思うのだろう。“ビジネス陰キャ”では?
「最初の要因は小学生時代に背が低くて足が遅かったことにあると考えます。運動ができない、背が低い、足が遅い……これではまったくモテません。
とはいえ、高校時代はバンドを組んでいたという。バンドと言えば陽キャの代名詞のようにきこえるが……
「ラルクやGLAYが流行っていた時期だったんですが、うっかり聖飢魔IIのコピーバンドを組んでしまって……。加えて僕たちは、サブカルチャーの第一線を走っていた筋肉少女帯の大槻ケンヂさんに憧れていたんです。
童貞の主人公が様々な妄想をしながら詞を書いたりして活躍する大槻さんの小説(『グミ・チョコレート・パイン』)を持ち寄って読み、その世界観に影響されて『万国乳輪博覧会』という奇天烈なオリジナル曲を作って歌っていたりしました。タイトルから下品なんですけど(苦笑)。
空耳アワーのように、聴くだけだとよくわからないけれど、歌詞を見ると実はがっつり下ネタになっている歌にしようと、ファミレスで熱く夜な夜なヘンテコな作詞について話し合う……。これを“陰キャ”と呼ばずなんというのでしょう」
常に「モテたい」と思いがあったというが、青春時代に恋人は……?
「いないに決まっているじゃないですか。それでも憧れはあって、勇気を出して仲間3人で当時ナンパスポットだった渋谷のHMV前に行ったんです。ジャンケンで負けた人が女の子に声を掛けるというルールで、まんまと負けた私が女性に声をかけたら、後ろからコワモテの男性が現れて……。一緒にいたはずの仲間たちは脱兎のごとく逃げていたので、ひとりで思い切り説教をされるという怖い思いをしました。
巣鴨のマクドナルドでバイトをしていたときは、同僚のギャルっぽい女の子に少しアプローチしたら、先輩のヤンキーに駐車場で顔の形が変わるまでボコボコにされましたし(苦笑)。陰キャだったので当然、そういう場面で抵抗はできません」
その後、大学デビューになんとか成功し、20歳で初めて彼女ができたという音喜多氏。
政治家になった理由のひとつに「モテたい」があったという噂も……。
「そうでした。もちろん崇高な目的や理由は大事なんですけど、根源的な欲求やシンプルな動機で政治家になる人がいても良いと思うんですよね。
とはいえ、政治家はぜんぜんモテません。もっと偉くなったら違うのかもしれませんが…いや、そもそも僕が玉木さんみたいな陽キャじゃないせいかもしれません(苦笑)。
でも、女性や現役世代が活躍できる社会を創ったという偉大な政治家になれば、歴史の教科書にも載って、先々の人にまで尊敬されてモテるはず。“陰キャからの逆転”を目指して頑張りたいですよね」
とはいえ、現在は結婚して3児の父。今は政治的目標である「社会保険料の引き下げ」を実現すべく、奔走する日々を送っている。
「現役世代の大きな負担となっている社会保険料の引き下げを実現し、持続可能な社会を作っていきたいです」
“陰キャ”炎上議員だが、政治への情熱と「世の中を良くしたい」という思いは誰にも負けていない。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 金子弥生
撮影/村上庄吾