ヴィレッジヴァンガードが「マズい」ことになった2つの失敗…メインカルチャー不在時代の今、サブカルはどこへいくのか
ヴィレッジヴァンガードが「マズい」ことになった2つの失敗…メインカルチャー不在時代の今、サブカルはどこへいくのか

2024年には11.4億円もの最終赤字を抱えることとなったヴィレッジヴァンガード。かつては書店にもかかわらず、所狭しと雑貨などが並べられ、サブカル好きから愛された同店はなぜ、「マズい」ことになってしまったのか。

 

チェーンストア研究家の谷頭和希氏がその背景を仔細に分析した『ニセコ化するニッポン』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回の3回目〉

ヴィレッジヴァンガードが「マズい」ことになったワケ

本以外にもさまざまな雑貨や食品がびっしりと並べられ、独特の店内を作っているヴィレッジヴァンガード。少しマニアックな本や漫画、何に使うのだかわからない雑貨や、「まずい」ことが押し出されている海外のお菓子……。

入り組んだ通路と派手な宣伝POPに囲まれたその店を訪れたことがある人も多いだろう。2024年1月、そんなヴィレヴァンについて、一本のニュースが世間で話題になった。

「ヴィレッジヴァンガードがマズいことになっているらしい」

ヴィレヴァンの業績が、きわめて悪く、近年ではその店舗数も大幅に減らしていることを、その理由とともに考察した記事である。これが大きな話題になった。手前味噌だが、この記事を書いたのは私で、その反響が思った以上に大きく、私はその後も立て続けにヴィレヴァンに関する記事を書いた。

まず、ヴィレヴァンがどのようにマズいのか。ヴィレッジヴァンガードの2024年5月期の決算を見ると、売上高は約247・9億円で、前期の約252・8億円から約2%の減少。営業利益は9・15億円の赤字で、11・4億円もの最終赤字となっている。既存店の数もここ数年で減り続けており、それによる単純な減収、そして人件費や物価高の影響もあると見られる。この数字を見ただけで、そのマズさの一端がわかるだろう。



ちなみに、売上高ベースで見ると、2016年5月期が最高収益で、467億5800万円。ただし、そのときも営業赤字は2億円ほど出ている。2007年に買収した中南米雑貨の「チチカカ」が、その経営の足を大きく引っ張っていたようだ。その後も黒字化と赤字転落を繰り返し、経営の足取りはふらついている。

詳細な数字を書いてみたが、赤字が11億円、と聞けば「なかなかマズいのでは」と誰しも思うに違いないだろう。

ヴィレヴァン凋落の原因はズバリこれだ

では、ヴィレヴァンはどうしてここまでマズいことになってしまったのだろう。その理由に、「選択と集中のミス」が絡んでいる。私がヴィレヴァンの凋落について大きな問題だと考えているのが、以下の2点である。

①ショッピングモールへの過剰出店による「ヴィレヴァンらしさ」の低下(=「集中」の低下)

②ヴィレッジヴァンガードが持っていた「サブカル」自体の意味の変容(=時代の移り変わりによる「選択」自体の間違い)

ヴィレヴァンは徹底的に〝サブカル〞な顧客を「選択」していた

まずは①から見ていこう。

そもそも、ヴィレヴァンという店舗を支えていたのは、その店舗空間のこだわり、世界観だった。ヴィレヴァンに入ったことがある人であればわかるだろう。その中は、通路が入り組んで迷宮のようになっていて、一見すると何に使うのだかわからない商品であふれている。

ヴィレヴァンを表す言葉といえば「サブカルチャー」という語に尽きる。決して、すべての大衆に受けるわけではない、ちょっと横道に外れた「サブカルチャー」、これこそヴィレヴァンがその店舗づくりで意識していたことだ。



その創業者である菊地敬一は、従業員に対して次のような言葉を述べたという。

「本というのは特別な消費財なんだ。まず、本を売ることに矜持を持とう。コンビニで本を買うようなセンスの悪い奴は相手にするな」(『ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を』、p.50)

ここからは、ヴィレヴァンがそこにやって来る客層を徹底的に「選択」していたことがわかる。実際、初期のヴィレヴァンで売られていたもののリストを見ると、きわめてアンダーグラウンドな漫画や小説、その他、決して「万人ウケ」するタイプではない商品がずらりと並べられていたようである。

その結果として、その店内は、どこか猥雑で薄暗いイメージを持つ、まさに現実世界からは遊離した「テーマパーク的」な空間となっていった。この意味でいえば、まさに現在の「ニセコ化」というトレンドをしっかりと押さえていた。「選択と集中」はとても上手くいっていた。だからこそ、初期のヴィレヴァンはその勢力を拡大することができたのだろう。しかし、その拡大方法に問題があった。

ショッピングモールへの大量出店が「ヴィレヴァンらしさ」を失わせた

こうした「サブカルチャー」を求める声が多かったのか、ヴィレヴァンは急速にその出店数を伸ばしていく。特に、2000年代を中心として、全国各地にあるイオンモールの定番のテナントとしてヴィレッジヴァンガードは成長していく。

ちなみに、2024年1月の段階で私が数えたところによると、全国にあるヴィレヴァンのうち、その約半数がイオンモールに入る店舗となっていた。

ショッピングモールは、その多くが郊外立地であり、家族連れが来る場合が多い。

となると、なかなかその店舗に「子どもだけ」で行けることは少ない。必然的に少し「尖り」を減らしたヴィレヴァンがそこに誕生することになる。

そうした意味でヴィレヴァンが初期、強烈に持っていた「毒」(それは「選択」を必然的にしていた)を薄めることになったのではないか。

ショッピングモールへの出店は、店舗を拡大していくときに必要なことではあったものの、ヴィレヴァンが行っていた「選択と集中」の効果を弱める役割を果たしてしまったのではないかとも思えてくる。

「毒」がなくなっていった商品ラインナップ

こうしたヴィレヴァンによる「選択と集中」のミスは、出店戦略以外にも多く見られる。例えば、商品選定。先ほども紹介したように、初期のヴィレヴァンには、決して普通の店では手に入らないような「尖った」商品が数多くあった。

これも、私がヴィレヴァンについての記事を書いたときの反響として多く聞かれた声で、特に2011年あたりから、本社が主導してヴィレヴァンの店内に置かれているアダルト関連の商品が順次、撤去されはじめた。

現在でも、多くの店ではアダルトグッズの取り扱いがなく、ヴィレヴァンのオンラインサイトでの取り扱いがあるのみだ(ちなみに、商品カテゴリは「秘宝館」)。

また、SNSではいわゆる「エロ」だけではなく、「グロ」や「ナンセンス」的な商品についても、その取り扱いがほとんど無くなってしまったことを憂う声が多かった。

例えばカルト宗教の本や、90年代、若者に絶大な人気を集めた『完全自殺マニュアル』など、いわゆる「90年代サブカル」と呼ばれるカルチャーでよく読まれていた書籍の取り扱いもあったらしい。初期のヴィレヴァンに迫った『菊地君の本屋』の定番商品リストには、90年代鬼畜系カルチャーを先導した青山正明が書いた『危ない薬』も書かれている。



こうした商品の代わりに現在、多くのヴィレヴァンで置かれているのは、VTuberやYouTuberとコラボした商品、あるいは他の店でも手に入る漫画などで、かつてに比べれば確かに「毒」が無くなってしまったといえるだろう。

もちろん、時代の流れで、こうした過激なものが置けなくなってしまっている現状はあるものの、冷静に分析すれば、そうした商品ラインナップの変化が、ヴィレヴァンの「選択と集中」を弱めたのは、確かに指摘できるはずだ。

「ヴィレヴァンらしさ」を担保できるキャストも減っている

さらに、ヴィレヴァンの「選択と集中」で考えるべきは、「キャストの問題」だ。つまり、そこで働く人の問題である。

ヴィレヴァンでは、創業当時から、そこへ通う客がヴィレヴァンに勤めていく、という流れがあったという。特に創業者である菊地の本を読むと、菊地が始めた店に来ていた客が自然と店員になり、彼らが独立してまたヴィレヴァンを別の場所に開いて……という風に自然に「ヴィレヴァンらしさ」が継承されてきた。

例えば、ヴィレヴァンの特徴として、その商品を紹介する黄色いPOPがある。その商品がウィットに富んだ言葉で紹介されているのが特徴だが、このPOPの作り方なども、初期のうちは、自然と伝承されてきた。この意味で「キャストの教育」が自然と行われてきたのだ。

しかし、興味深い話を聞いた。「ヴィレッジヴァンガードを全店まわるひと(ヴィレ全)」として、全国各地のヴィレヴァンをまわる活動をしている人がいる。

私は彼にインタビューをしたことがあるのだが、そのときに彼が述べていたのは、そのような「ヴィレヴァン好き」でヴィレヴァンに入り、かつて菊地が目指していたような店舗づくりを自然と継承できるような人が減ってきたということだ。

実際、ヴィレ全さんが店舗を見ていると、POPの書き方がわからない若い店員が増えているのだという。

さまざまな店員さんから話を聞くうち、そのPOPの書き方を適切に継承する人がいなかったことがわかった、と社員育成の問題を挙げる。「ヴィレヴァンらしさ」を持った人が減少していくのは仕方がない。創業者である菊地が会長となった現在、その姿を直接知り、継承している人は少ないからだ。

しかしそこで適切な教育がなされなかったことで、結果的に、その世界観の「らしさ」を担保する人材が減ってしまった。まさに、これも「選択と集中によるテーマパーク化」の側面が薄くなっていった理由ではないだろうか。

メインカルチャー不在時代の「サブカル」とは

さて、ヴィレヴァンにおいて「選択と集中」がうまく機能しなかった例を見てきた。次は、②ヴィレッジヴァンガードが持っていた「サブカル」自体の意味の変容(=時代の移り変わりによる「選択」自体の間違い)について見ていきたい。

先ほども見てきたように、ヴィレヴァンを支えてきたのは「サブカル」という世界観であることはいうまでもない。

しかし、この「サブカルチャー」という言葉が厄介だ。

サブカルチャーの研究でも知られる劇作家の宮沢章夫が指摘している通り、そもそも「サブカルチャー」は「メインカルチャー」があってこそである。「中心」がないと「サブ=周辺」は存在しない。

しかし、時代が流れ、SNSを通じて人々の好みが多様化した現在、もはや「メイン」や「A級」という考え方自体が、ほぼ消滅してしまった。1990年代ぐらいまで、カルチャーのメインを作っていたのは、マスメディアだったが、ネットの発達以降、マスメディアの影響力も相対的に低下して、そもそも「サブカル」なる言葉の輪郭が曖昧になってしまった。

そうなのだ、そもそも「サブカル」自体が曖昧になってしまっては、いくらそこを「選択と集中」しようとも、その店内は曖昧で、どこかぼんやりしたものになってしまうのだ。

実際、①で指摘した問題のうち、商品構成などは、この「サブカル」自体が曖昧になっていることとも連動していると思う。

たとえば、最近のヴィレヴァンでは、YouTuberやVTuberとのコラボレーション商品も多く並ぶ一方、これまで通りのマイナーな文学作品や同人漫画などの取り扱いもあり、かと思えば売れ筋漫画も置いてあるといった風景で、ターゲティングがあやふやだ。

「サブカル」という言葉の輪郭が曖昧になるにつれて、その空間の演出も曖昧になってしまう。

「選択と集中」における「選択」したもの自体が、時代の流れとともに変容してしまったことが、ヴィレヴァンに必然的に「選択と集中」から遠ざかる道を選ばせたのかもしれない。

このように考えていくと、ヴィレヴァンの凋落の原因は、「選択と集中」の問題に深く関わっているといえるのだ。しかも、それはもはやヴィレヴァン自体の力ではどうしようもない。時代の力も関わっているから、より厄介だ。

ヴィレヴァンが「選択と集中」を適切に取り戻せるときはやってくるのだろうか。

文/谷頭和希 写真/Shutterstock

『ニセコ化するニッポン』

谷頭和希
ヴィレッジヴァンガードが「マズい」ことになった2つの失敗…メインカルチャー不在時代の今、サブカルはどこへいくのか
『ニセコ化するニッポン』
2025/1/301,650円(税込)248ページISBN: 978-4041155127

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第4章 なぜ今、「ニセコ化」が生まれたのか ディズニーとマーケティングが手を結ぶ
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