イーロン・マスクが弟と立ち上げた会社にポンと1万ドル投資した母メイの人生哲学…72歳になっても“最高の気分”でいるために必要な鉄則
イーロン・マスクが弟と立ち上げた会社にポンと1万ドル投資した母メイの人生哲学…72歳になっても“最高の気分”でいるために必要な鉄則

イーロン・マスクの母、メイ・マスク。シングルマザーとなって40年。

モデル歴50年以上。3人の子どもを育てるために必死で働いてきた彼女がたどり着いた「最高の気分」でいるための哲学とは。

子どもとの思い出を赤裸々に明かした『72歳、今日が人生最高の日』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち3回目〉

「心配ごとの95パーセントは実際には起こらない」

うちの子は3人とも大学に行ったけれど、それは100パーセント、彼ら自身の選択だった。わたしはトロント大学に在籍していたので、子どもたちが医学か法律を専攻すれば学費が免除された。わたしと暮らせば家賃も食費もかからない。でも、彼らは自力でがんばるほうを選んだ。

イーロンは物理学と経営学、キンバルは経営学、トスカは映画を専攻した。自分で奨学金とローンを申し込み、自分でやりくりしなければならなかったけれど、3人ともちゃんとそれをやってのけた。

子どもたちが独立し、自活の道を選んでくれてうれしかった。きっと、わたしのつくる豆スープにうんざりしていたのだろう。

みんな、わたしが「空の巣症候群」(子どもが独立したときに母親が喪失感を覚えること)に陥るんじゃないかと心配していた。これまでずっと子ども第一で生きてきたのだから。



クライアントにも子どもが家を出てから寂しくてたまらなくなったという人が大勢いた。だから自分もそうなるだろうと思っていた。でも、うれしいことにそうはならなかった! ほかの人の悩みがかならずしも自分の悩みになるとは限らない。前に、90歳の人がこう言っていた。「心配ごとの95パーセントは実際には起こらない」

トスカが出ていったとき、わたしは言った。「こんなに自由だなんて、信じられない」

20年ぶりにひとりきりの生活。いまでは、夜にエクササイズをしてもいいし、家族の食事を心配しなくてもいいし、裸で歩きまわってもいい。もっとも、実際に裸で歩きまわってみたら、Tシャツ姿のほうが過ごしやすいとわかったけれど。

でも、そんな自由を謳歌できたのも本の仕事をもらうまで。依頼を受けたあとは、夜に5時間、週末に12時間ぐらい原稿を書いた。初稿を完成させるのに3カ月かかった。

早く子どもたちに見せたくてしかたがなかった。



月に一度は、子どもたちの誰かに会いに行った。毎月2000ドルを貯め、飛行機代と、子どもたちへのプレゼント代にあてた。節約のためにいちばん安い航空券を買い、シャトルバスではなく市営バスで空港に向かう。航空券を150ドルで買えたこともある。

そうやって浮かせたお金は子どもたちのためのもの。子どもが欲しいと言えば、食べ物でも衣料品でも家具でも、何でも買い与えた。

イーロンに会うときはいつもウォートン(フィラデルフィアにある、ペンシルベニア大学のビジネススクール、ウォートン校)まで行った。「今日は何がしたい?」。あるとき、わたしはきいてみた。

するとイーロンは言った。「ニューヨークに行こう」

わたしたちはニューヨーク行きの電車に乗り、観光客らしくいろいろなところを歩き回った。ロックフェラーセンターで一息ついているとき、わたしはイーロンに書きかけの原稿を渡して読んでもらった。
自分では、カロリーや代謝や必須栄養素といった、すばらしい情報を詰めこんだつもりだった。

読みはじめてすぐにイーロンは言った。「これじゃつまらないよ」

「どういうこと?」

「母さんはどうして毎日25人ものクライアントに会ってるの? クライアントはどういうことを知りたがるの?」

「そうね、食生活についてのアドバイスを求めてくる人がほとんどよ」

「じゃあ、それこそ本に書くべきだ」

若いときからイーロンはとても賢かったから、彼の言うとおりにすることにした。そのときから、わたしはクライアントがやって来るたびに本を書いていると伝え、こう尋ねた。「あなたの名前は出さないので、やりとりを書きとめてもいい?」

書籍刊行、その後の“最高の気分”

クライアントとのやりとりは、大きな助けになった。みんな、食事計画の話だけでなく、自分の見栄えをよくする方法や自信を保つ方法についても知りたがった。

わたしがよく、髪型や服装を変えましょうとか、姿勢よく立ちましょうとか、笑顔でいましょうといったアドバイスをしてきたからだ。

そうしたことすべてを本に書いた。子どもたちに原稿を見せると、前より興味を示してくれた。そしてみんなで手伝ってくれたのだ。キンバルは5カ所のミスを直してくれた。トスカは、「わたしだって6カ所直したわ」と言った。

母が大きな声で原稿を読み上げて、文章の流れを確認してくれたこともある。

助け合える家族がいて、わたしは幸せだった。

出版社はわたしの原稿を受け取ると、『最高の気分(Feel Fantastic)』というタイトルをつけた。読んだあとの感想をそのまま言葉にしたのだという。そして、表紙にわたしの写真を使いたいと言った。撮影費用は出版社が負担するというので、知り合いのカメラマンに依頼し、スタイリングはジュリアが担当した。

そのとき着た赤いパンツスーツは、それまで買ったなかでもっとも高価なスーツだったけれど、結果的にはとてもいい買い物になった。その後の講演でも何度も着ることになったからだ。

当時はSNSなんてまだなかったから、講演のたびに同じスーツを着ていても誰も気がつかなかった。

わたしのキャリアはようやくよい方向に進みはじめた。講演の契約は増え、おかげで本も売れた。この時期、ケロッグの本社で講演を行ったことがある。その講演では、健康な食事と自信について話した。

栄養のある食事をとると、気分がよくなったり、自信を持てるようになったりするからだ。

この講演からすばらしい話がころがり込んできた。ケロッグが出版社に、わたしの本の表紙をスペシャルKシリアルのパッケージに使ってもいいかときいてきたのだ。当時ケロッグが進めていた「女性の自信向上キャンペーン」の一環だった。

わたしは、自身の著書がシリアルの箱に載った初めての栄養士になった。しかも、本の表紙はわたしの写真! まさに最高の気分だった。ケイはスーパーで、わたしの写真が載ったシリアルが棚いっぱいに並んでいるのを見て大感激した。

ケイは通りがかりの人に話しかけた。「これ、わたしの双子の姉なの!」

その人は感激した……なんてことはなく、びっくりして逃げていった。

ケイからこの話を聞いて、わたしたちは大笑い。

わたしは、仕事についても子どもたちについても、さらには自分の著書についても自信に満ちあふれていた。長いあいだ家を借りていたが、46歳にしてようやく新しい挑戦をする準備ができた。
マイホームを持つときがきたのだ。

イーロンとキンバルの事業のために1万ドルを融資

それなりに貯金もしてきた。すると、トロントのわたしの診療所の隣にある2階建ての小さな家がちょうど売りに出されていた。当時、カナダで家を買うときの頭金は総額の5パーセントでよかった。家の価格は20万ドル。わたしの口座には1万ドルあった。人生で初めて貯めたお金だ。

高級ショッピングモールのなかの銀行に行き、ローンを申し込むことにした。支店長は、わたしがそのショッピングモールでモデルをしていたのを知っている。だから、それが役立つだろうと思ったのだ。

いまのわたしにはちゃんと収入があるのだから、当然オーケーが出ると思っていた。でも、2週間過ぎても銀行から連絡がない。しかたなく、銀行にもう一度行ってこう言った。「ローンの件なんですが、1週間前に連絡をくれるはずじゃなかったんですか?」

支店長は気まずそうに言った。「実は……審査に通りませんでした」

わたしの過去5年間の収入が基準に達していなかったというのだ。わたしは会社の単独経営者なので、融資をするにはリスクが高すぎると判断したようだ。

驚いただけじゃなく、打ちのめされた。わたしはずっとこの銀行のよい顧客で、支店長はわたしがここのモデルになっていたことも知っていたはず。それなのに、審査に通らなかったのだ。

とはいえ、栄養士の仕事はこれまでどおり次々と舞い込むので、落ち込んでいる暇なんてなかった。これはたんに計画が少し遅れただけ、と自分に言い聞かせた。自分のことを認めてもらうために、わたしはもっと貯金しなければならなかった。

わたしがあわただしい日々を送っているあいだ、キンバルもトロントで働いていて、わたしのオフィスの電話で毎日のようにイーロンと話していた。気づけば通話料金が800ドル。

わたしはキンバルに、そんなに話すならカリフォルニア州のパロアルトにいるイーロンのところに行ったら、と言った。

その後、キンバルはシリコンバレーに引っ越し、テクノロジー企業の立ち上げ準備をする。インターネットブームが始まったころだ。

キンバルとイーロンが初めて立ち上げたその会社は〈Zip2〉と名づけられ、地図や、出発地から目的地までの道案内サービスを提供した。世界的に有名な何社かと連携し、そのサービスは生活をよりよくするすばらしいアイディアだった。

彼らをサポートするためなら何でもしたい。そう思ったわたしは、ふたりのもとを6週間ごとに訪ねた。食事を用意し服や家具を買ってやり、印刷費用もわたしが支払った。彼らはアメリカでクレジットカードをつくれなかったので、わたしがカナダでつくったクレジットカードを使って。

資金はほとんど底をついていたが、事業を続けるためには現金が必要だった。幸運なことに、わたしの口座には例の1万ドルが残っていたので、ふたりにそれを渡した。わたしは息子たちを信じていた。

ベンチャー投資家と会う前の晩、キンバルとわたしは〈キンコーズ〉に行き、プレゼンテーション資料をカラー印刷した。料金は1ページ1ドルもしたので、わたしが支払った。かなりの出費だ。

結局、その晩は徹夜。翌朝、わたしたちは疲れ切っていたけれど、もちろんイーロンだけは元気だった。彼は寝なくても大丈夫なのだ。イーロンはいつだって遅くまで起きて、プログラムのためのコードを書いていた。

イーロンとキンバルは、それまでたくさんのベンチャー投資家に会い、何カ月もかけてアイディアを売り込んできた。ついに、その朝会ったふたりの人物が初めて投資を申し出てくれた。わたしたちはすっかり有頂天になった。

その晩、わたしは言った。「街でいちばんのレストランに行きましょう」

「わたしがクレジットカードで支払うのはこれが最後よ」

入ったのはとてもすてきなレストラン。疲れ切った顔をしたわたしたちに、店のスタッフが最高のサービスを提供してくれた。どうしてあんなに感じがよかったのか、いまでもわからない。何を食べたのかさえよくわからなかった。

それまでは〈ジャック・イン・ザ・ボックス〉みたいな、さっと食べられて値段も安い、しかも夜中の2時でも開いているようなファストフード店の料理ばかり食べていたのだから。キンバルも、〈ジャック・イン・ザ・ボックス〉のチキン・ファヒータ・ピタの味をいまでもよく覚えているという。

会計をすませると、わたしはふたりに言った。「わたしがクレジットカードで支払うのはこれが最後よ」

そして、実際そのとおりになった。

私がいいたいのは、「がっかりしすぎるのはやめよう」ということ。何かに失望したときには、別の方向に進もう。クビになったり、仕事が見つからなかったりしたときには、落ち込んでばかりいないで、まずは動いてみよう。ローンの審査に通らなかったのなら、クレジットスコアを稼ぐためにコツコツ働こう。

ここに挙げたことはすべて、わたしが実際に経験してきたことばかり。結婚や恋愛はうまくいかなかった。たくさんの会社から不採用の連絡を受けた。わたしの人生はレールをはずれ、いくつもの都市や国に移り住むことになった。

恋愛について言えば、昔は男性に捨てられると半年は落ち込んでいた。でも、いつしかそれが3カ月になり、3週間になり、3日になった。

いまとなっては、あんなに落ち込まなければよかったと思う。失意に打ちひしがれている人は魅力的じゃない。まわりの人までイライラさせる。そのままだと、みんながあなたのもとを離れていく。

クライアントが悲しそうな顔でやって来るたびに、わたしはまっすぐに前を見て歩き、笑顔でいるようにと伝えた。クライアントに悲しそうな顔をされると、わたしの1日までもがみじめになってしまうから。彼らは笑い、わたしのアドバイスに感謝してくれた。

お金に余裕がないときにモデルの仕事を逃したとしよう。かつてのわたしなら不安でたまらなくなっていたはず。でも、いまなら平気だ。

さらには、これで犬と遊ぶ時間ができたわ、とまで考えられる。うちの犬はわたしが近くにいるといつもうれしそうだ。年をとることのすばらしさのひとつは、たとえ落ち込んでも、すでにそれを耐えぬいた経験をもっていること。立ち直るのも若いころよりずっと早い。

わたしからのアドバイスは、できるかぎり前向きでいること。あなたの苦しみは、きっと時間が癒やしてくれる。過去のわたしよりも早く、失意から立ち直れるようにがんばってほしい。犬を飼うのもいいかもしれない。

#1 はこちら

文/メイ・マスク

72歳、今日が人生最高の日

メイ・マスク (著)、寺尾 まち子 (翻訳)、三瓶 稀世 (翻訳)
イーロン・マスクが弟と立ち上げた会社にポンと1万ドル投資した母メイの人生哲学…72歳になっても“最高の気分”でいるために必要な鉄則
72歳、今日が人生最高の日
2020/7/152,420円(税込)240ページISBN: 978-4087861297

「爽やかな風が吹き抜けるような70年の軌跡」 齋藤薫さん(美容ジャーナリスト)
「モデルとして、ひとりの女性として、ずっと憧れてきた人からのアドバイスがつまってる」 カーリー・クロスさん(モデル)
「人生は予想できないことの連続だけど、乗り越えて楽しむことができる、と教えてくれる」
ダイアン・フォン・ファステンバーグさん(デザイナー)

31歳で夫のDVから逃れて離婚、シングルマザーとなって40年。メイ・マスクは3人の子どもを育てるために、必死で働いてきた。モデル歴50年以上。通販カタログや母親役など地味な仕事を淡々とこなしてきた。モデル事務所から干されて仕事がなかった時期に、髪を染めるのをやめて白髪のままでいたら、自然体で暮らしを楽しむ姿が、キャスティングディレクターの目にとまり大きな仕事を依頼され始めた。

南アフリカ共和国の大学で勉強した栄養学は、カナダ、アメリカと引っ越す度に現地での資格が必要で勉強をし直した。プロとして他人の食生活をカウンセリングする一方で、自身はストレスでジャンクフードを食べ続け、体重が90キロ以上になった。その後も30キロの増減を繰り返したが、40代にはいり、『お腹がすいたときに、体にいいものを適量食べる』という王道のルールを守り続けて、今の体型に落ち着いた。

長男のイーロン・マスクを含む3人の子どもたちは、子どものころに興味を持ったことを尊重し、口を出さず見守り続けた結果、3人とも自分で学び、会社を興し、夢を実現させた。
現在、72歳のメイはSNSを活用して仕事の幅を広げて続け「今がいちばん楽しい」と断言する。「人生は何度でもやり直せる。あきらめずに挑戦し続ければ、必ず幸せになれる」
(原題:A Woman Makes a Plan)

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