
中学では勉強もスポーツもよくできた40代男性が突然、家から出られなくなったのは高3の秋だ。動けない理由もわからないまま4年間ひきこもった。
〈前編〉
自分を知る人が誰もいない場所へ
「仕事の関係で半年ほど留守にするので、アパートの留守番に来てくれないか」
北海道の大学を卒業して就職した兄から、こんな誘いが来たとき、高田さんは21歳。ひきこもってから4年近くが経っていた。
「同級生がみんな大学に行ってる4年間、まるまるひきこもってたわけですからね。家族が無理に外に出そうとしなかったのは、ありがたかったですけど、自分でもなんとかしないとヤバいと思いつつ、なんとかする力が湧いてこない……、どうしたらいいんだと焦っていました。
実家の隣は同級生の家だし、ちょっと近所を歩いただけで、『あ、努君、進学もせず、就職もせず、何しているんだろう』みたいな好奇の目にさらされる。だけど、兄のいる北海道なら1人で行けるかなと。兄貴はとても優しい性格なので」
両親は「転地療養のように、ひょっとして何かのきっかけになるかもしれない」と祈るような思いで送り出したという。結果的に、これが功を奏する。
「自分を知っている人が誰もいないっていうのは気楽でしたね。自分がひきこもりから脱出できたきっかけは、環境を変えたことが一番大きいと思います」
高田さんが北海道に来て最初にしたことは、バイクの免許を取ること。家から出ることはできたが、「将来も見えないし、半ばやけくそで、どこかで事故って死んでもしょうがないか」と思いながら、ときに野宿をしながらバイクで走り回ったという。
人と話すのが嫌で選んだ清掃のバイトは面接で落とされてしまった。いくつかのバイトに応募し、そのうちの一つはひきこもっていた過去を話しても、「真面目に働いてくれればいい」と雇ってくれたそうだ。
ひきこもっていたと正直に言うと、どこにも雇ってもらえないという話をよく聞くので、かなりラッキーだったと言える。
「そこで彼女もできたんです。彼女も恋人を亡くしたり、過去に辛い経験をしてたみたいで、ひきこもりとか全然気にしない人でした」
だが、兄の家に居候したままバイト生活をずっと続けるわけにはいかない。やりたいことを考えているうちに思い出したのが、子どものころの夢だ。
消防官を主人公にした漫画が大好きで、表紙を大きくカラーコピーして、机の前に貼っていたほどだ。
「人を助ける仕事ってカッコいいなって、男の子的な単純な憧れですよね。問題は、やっぱり体力です。ひきこもっている間に虚弱体質みたいになってしまっていて、少し走っただけで息があがるし、何をやってもキツイ。俺、こんなに動けなくなっちゃったんだと、最初は苦しいことしかなかったですね。
でも、民間の会社なんて受けたって、条件が不利すぎて正社員にはなれないでしょうし。
消防官の採用試験を受けたが、最初の年は落ちてしまう。当時は今より公務員人気は高く、倍率が20倍近かったそうだ。
翌年、再挑戦して合格。北海道を離れて就職した。
ひきこもりとは対極な救急の現場
消防学校に入ると、さらに厳しい生活が待っていた。
「何年間も人と会うのも嫌だみたいなメンタリティだったので、ちょっと回復してきたとはいえ、慣れるまできつかったですね。数人が同部屋で、みんな一緒に寝て、一緒に起きて、一緒に飯食って、一緒に風呂入って、一緒に走って。1人でも遅れれば全員連帯責任で腕立てとかやらされて。
1人のミスが全員を危険にさらすから、みんなでフォローしあって、自分勝手なことなんてできない。辞める奴は数日で辞めてましたね」
消防学校を卒業した後は消防署に配属された。求められるのは肉体的な強さ、精神的な強さに加えて、現場で即断即決して、連携して動くことだという。詳しく聞けば聞くほど、ひきこもっていたときとは対極な世界だ。
「入った当初は何とか耐えていた感じですけど、現場でいろいろ経験して強くなったと思いますね。
一番辛いのは子どもの現場ですね。
そういう人間の極限状態を何度も見ているうちに、もう些細なことには動じなくなりました。鈍感になったというか、ずるくなりましたよね」
強くなった今の自分の目には、ひきこもっていた当時の自分はどう見えるのか。改めて聞いてみると、高田さんはしばらく考えてこう答える。
「当時は今みたいな強さも要領のよさもなかったから、嫌なことがあっても考えないようにするとか、別なことでストレスを発散するとか、うまくできなくて。
でも、ある程度我慢できちゃったから、自分が傷ついていることにも気付かなくて、いきなり爆発したみたいな感じなんですかね。正直、今でもよくわからないんです」
ひきこもっていた期間は必要な時間だったかと聞くと、「避けて通れなかった」と高田さんは断言する。
「あの繊細なまま社会に出たとしても、どこかで潰れていたでしょうね。でも、ひきこもった過去は黒歴史じゃなくて、そんな繊細でやさしい時期もあったんだなとむしろ誇りに思っているんです。哲学者で作家の中島義道さんが書いた『カイン』という本の受け売りなんですけど」
人の命のはかなさを実感
救命の現場で働き、多くの経験が出来たという高田さん。これからは、当事者だった自身の経験を活かしてひきこもりの支援をやってみたいと熱く語る。
「ひきこもりらしき方の家に、現場として行ったこともあります。病院にも行っていないから、どのくらいの病気がどれくらい進行しているのかもわからなくて。病状がかなり進行していたようで、救急隊として出来ることは限られました。
不慮の事故もあるし、人の命のはかなさを実感します。今、無事に生きていられるのは当然ではないと思わされることは多いですね。誰か1人でもいいので、ひきこもりの人が立ち直る手伝いをできないかなって。自分がある程度の年齢になって、人生の折り返し点を意識するようになってから、ずっと考えています」
公務員であるためボランティアとしての範囲だが、情報を集める過程で知ったひきこもり支援のイベントに思い切って参加してみたそうだ。
カウンセリングが主体の現在の支援とは少し違うアプローチの支援を考えている。
「人間も本来、ただの動物なので、ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと運動して。『早く就職して自立しないと』みたいな社会人としてのハードルを一旦忘れて、まず動物として健全に生きるための支援をする居場所を作れないかなと。
自分1人だけで考えていても、同じところをグルグル回っちゃって、ほんと良くないですよ。まだ何も具体的な活動には繋がっていないので偉そうなこと言えないですけど」
ひきこもりと救急隊員という対極の世界を経験してきた高田さんだからこそ、伝えられることがあるはずだ。
〈前編はこちら『勉強もスポーツもできた高3生がある日突然、自転車で自宅玄関に突っ込み、そのままひきこもりに…』〉
取材・文/萩原絹代 サムネイル/Shutterstock