
定年後の人生を楽しくすごすには、趣味や特技を仕事にしたほうがいいと、ライフシフトを研究する河野純子氏は指摘する。実際に、趣味だった編み物と、副業だったシルバージュエリーを仕事にした人たちのキャリアを追いながらその心構えを分析すると……。
『60歳の迎え方 定年後の仕事と暮らし』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち1回目〉
長年続けている趣味や、特技を仕事に
もし長年、続けている趣味があるなら、それを仕事にすることを検討してみましょう。人に教えられるレベルにまで極めて、自宅で教室を開くというのは代表的な起業パターンです。
20年ほど前に「サロネーゼ」という言葉が雑誌「VERY」で生まれてから、ひそかに憧れていた人もいるかもしれませんね。
自宅を教室にすればコストも抑えられますし、子どもが独立するタイミングは自宅をリフォームして教室スペースをつくるチャンスです。自宅が難しくて、いまはレンタルスペースが各所にありますし、「料理+お花」など友人とチームを組んでオリジナリティを発揮しつつ、教室スペースも融通し合うという手もあります。
教室以外にも、趣味を活かした仕事を立ち上げた人はたくさんいます。例えば、犬が好きでしつけも得意だった人が、散歩中に近所の人から愛犬のお行儀を褒められて、犬の散歩で起業したというケースも。
自分では好きで続けていただけなので当たり前と思っていたことが、他の人から見れば特別だったということもあるのです。自分の趣味なんてたいしたことないなどと卑下せずに、周囲の人からの誉め言葉や頼まれごとも素直に聞いて、可能性を検討してみるとよいと思います。
90歳になっても「編み物外交」を続ける
例えば私の母も、周囲からの誉め言葉や頼まれごとがきっかけで、編み物が仕事になりました。
母は子どものころから編み物が好きでした。結婚後は家族にはもちろん、親戚やご近所さんなどに、お祝いやちょっとしたお礼代わりに、セーターやマフラーなどを編んでプレゼントしていました。センスもよく、やがてお金を払うから編んでほしい、編み方を教えてほしいと頼まれるようになります。
子育ての手が離れた50代になって、母はチャレンジを始めます。人に教えるからには資格があったほうがいいだろうと考えて編み物教室に通い、師範資格と講師免状を取得したのです。自宅で教室を開くようになったのは60歳を過ぎてから。当時はまだそんな言葉はありませんでしたが、いわゆるサロネーゼデビューです。
父が70歳で引退してからは夫婦で団体旅行に参加するようになったのですが、シニアモデルばりに2人で手作りニットを着ていくので、一緒に旅をしたお仲間からも注文が入るようになり、顧客は全国規模に広がっていったのでした。
90歳になったいまはもうお教室は閉じていますが、「編み物外交」(父が命名)は続いていて、全国各地の友人の誕生日などにプレゼントをしてはお米や果物などの返礼品が届くというビジネスモデル(?)が定着。
編み物は製図をする際に頭も使うし、手も使うし、ボケ防止に最適なのでしょう。いまだすこぶる元気で、母の才能を受け継いでニット作家として活動している三女(私の妹)から新しい編み方を習ったりもしています。
「お友達の顔を思い浮かべながら、デザインを考えるのが楽しい」と語る母は、まさに好きな仕事を長く続けている、人生100年時代のロールモデルだなあと感心しています。
副業でしていたシルバージュエリーの輸入販売を本業に
外資系企業の経理部門で働いてきたK.Nさんが、副業として続けていたシルバージュエリーの販売を本業にしたのは52歳のとき。リスクのない形で趣味を仕事にできた理想的なパターンですが、そのプロセスを伺ってみると、K.Nさんの一歩踏み出す勇気がチャンスを呼び込んだように思います。
K.Nさんが「この先どうしようかな」と思い始めたのは50歳を迎えたときです。やりがいも感じて楽しく働いてきたものの、優秀な後輩もいる中で、少しずつ自分がお荷物になっているんじゃないかと思う場面が出てきたのです。
定年まであと10年、この先もっとつらくなるかもしれないと思ったときに考えたのが、副業のシルバージュエリーの販売を本業にできないかということでした。
シルバージュエリーに出会ったのは、29歳のとき。新卒入社した大手建設会社で事務職をしていましたが、結婚の予定もなく、キャリアに展望もなく、単調な毎日を変えたくて単身シンガポールに渡ったことがきっかけでした。
現地で素敵なセレクトショップを見つけ、そのお店が扱っていた天然石を施した美しいシルバージュエリーに心惹かれたのです。足しげくお店に通うようになり、オーナーとも懇意に。K.Nさんは33歳のときに帰国して外資系企業に転職しますが、交流は続きます。
帰国から10年後、そのショップオーナーが日本で展示会をやるというので、有給休暇をとってお手伝いをします。しかし残念ながら全く売れず、なんとスーツケース2個分のシルバージュエリーを「あとはよろしく」と託されてしまうのです。
困りましたが、毎週のように友人を自宅に招いてアクセサリーパーティを開くことに。友人たちも楽しんでくれて、K.Nさんも自分がよいと思うものが売れる喜びを実感したのです。
この経験を経て、K.Nさんはまた一歩踏み出します。年に一度、旅行も兼ねてインドのデザイナーを訪ね、自ら仕入れをして販売するという副業を始めたのです。
それから7年、友人のオンラインショップに出品するなどして、多いときで月10万円ほどの収入を得られるようになっていました。独立する下地はできていたのです。
とはいえ会社を辞める踏ん切りはなかなかつかず、2年悩みます。最後は「えいやっ!」と辞表を出しましたが、実際辞めてみると、好きなことが仕事になり、四六時中自然体の自分でいられることに、この上ない心地よさを感じるとのこと。また定年のない働き方を手に入れた心強さも実感しているそうです。
シルバージュエリーショップを運営しながら、100歳になってもみんなとおしゃれを楽しみたいと笑顔で語っていました。
文/河野純子 写真/Shutterstock
60歳の迎え方 定年後の仕事と暮らし
河野 純子
60歳は人生の転換点。これからの40年は、楽しく働く、自由に生きる。
「とらばーゆ」元編集長にしてライフシフト・ジャパン取締役CMO、
人生100年時代のライフシフトを研究する著者がひもとく、60歳からの仕事と暮らしのリアル。
健康寿命が延びる時代、お金の不安を解決する唯一の方法は「働き続けること」。
65歳までを「待ち時間」とせず、「雇われる働き方」から「雇われない働き方」へとシフトする準備を始めよう。
目標は好きな分野で小さな仕事を立ち上げて、90歳まで続けていくこと。
そして住まいや家族、人とのつながりを見直して、幸福度をアップさせること。
60歳からの人生は自由で楽しい。
会社や家族のためではなく、自分の人生へ。ライフシフトの旅を始めよう。