
多くの人が「学歴なんて関係ない」と思っているかもしれないが、実際のところ、現代の日本においては無関係でいられる人間は少ないだろう。そんな「学歴」に取り憑かれてしまったひとり、小説家の佐川恭一氏だ。
『学歴狂の詩』より、一部を抜粋・再構成してお届けする。
滋賀の田舎のハナタレ小僧が学歴に取り憑かれてしまった
「佐川恭一」という名前を聞いてピンとくる方はよほどの物好きだろうから、簡単に自己紹介しておくと、私は京都大学を出ている。滋賀出身で、小説を書くこともある。とりあえずそれだけ知っておいてもらえれば十分である。
まずは本書を楽しんでいただく下準備として、私が学歴に取り憑かれてしまった経緯について紹介しておきたい。
さて、京大を卒業している私だが、そもそもは京大などというワードすら出てこない世界(滋賀の田舎町)でハナタレ小僧をやっていただけだった。
父は高卒、母は短大卒。父はかなり貧しい母子家庭で育っており、その流れでうちも貧乏だったのだが、父が会社の仕事でメキメキ頭角を現してだんだんマシになっていった。
父は大卒をブチ抜いて出世していたからか「大学なんて出ても社会では役に立たん」みたいなことをよく言っていた。
一方で母は、父が大卒を攻撃するのはコンプレックスの裏返しだと考えていたようで、私に何とか大学は出てほしいと思っていたらしい。
父の実際の心理はわからないが、この母の漠然とした思いのおかげで、私と妹は大学に行くことができた。私の一族で、少なくとも冠婚葬祭で集まる近しい範囲で大学を出ているのは、私と妹だけである。
家がその程度の感覚なので、小学生の時はすでに廃刊された「学習と科学」という学研の雑誌を購読していたのと、あとはそろばん塾に通っていたぐらいで、中学受験なんて考えもしなかった。
家族の誰にもそんな発想はなかったし、私の小学校から私立中学に進んだ人間は一人もいなかったと思う。小学校のテストの点数は良かったが、テストのレベル自体が低いので周りも高得点を取っていた。
事態が変わり始めたのは小六になる直前、友達に誘われる形で地元のそこそこ大きな学習塾に入り、算数と国語のテストをはじめて受けた時のことだった。
そのテストの成績が小四からずっと塾に通っている生徒たちよりも良かったとかで、先生が「この子はものすごい逸材です」みたいなことを母に言ったらしいのである。
私の住んでいた滋賀の田舎町で「ものすごい逸材」と言えば、公立の「彦根東高校」に行くものと相場が決まっていた。滋賀の公立ナンバーワンと言えば「膳所高校」なのだが、私の時代にはまだ学区制があり、私のエリアから膳所の普通科を受けることはできなかった。
私はまず彦根東高校を目指すという目標を立てられ、真面目に塾に通った。とはいえ、小学校時代にはドラクエやFFやダビスタをやりまくっていたし、彦根東の価値もよくわかっていなかった。なんかまあ、塾行ってこのままやってりゃ入れそうやな、という感じだった。
「僕は天才なのでは…?」
そのまま公立の中学に入ると、定期テストや実力テストというものが始まる。
私はそこで五教科480~495点ぐらいを取りまくり、それが結構ヤバイということになった。私は「天才」ということになり、私も「僕は天才なのでは…?」と思うようになった。
一方、塾の方でも小学校時代より大規模な全国テスト(と言ってもせいぜい近畿地方が塾の勢力圏なのだが)が行われ、そこで1~4位ぐらいをコンスタントに取り、やっぱり天才ということになった。
天才ということになると、やる気が出る。私は誰に言われるでもなく異常に勉強するようになった。
そこで塾は私に、某R高校や東大寺学園高校、ラ・サール高校を目標にやっていこうと言った(ちなみに、灘は某R高校と受験日が一緒なので受けられないと言われたが、そもそもその塾で全国1位を取っても灘の合格率は20~40パーセントだった。塾自体が灘に対応していなかったのだ)。
いや、近くの彦根東でいいです、とはもはや思わなかった。私はより高い目標を目指して自分に過剰な負荷をかけることに、そしてそれが成果として表れる現実に、快感さえ覚えるようになっていった。
塾の同じ教室には私以外にも二人ほど全国ベスト30に入るぐらい優秀な生徒がおり、塾は「田舎に奇跡的に集ったこの三人の宝を育てなければならない」みたいになって、なんと私のいたいわゆる特進クラスが特進A、特進Bに分割された。
わざわざ塾が私たちのために編成を変えたのである(これは記憶違いの可能性もあるのだが、私の通っていた教室には最高レベルのクラスが設置されておらず、たぶんそれを勝手に作ることもできなかったので、上から二番目のクラスを二つに割り、片方を疑似最高クラスとして扱ったみたいな感じだったと思う)。
私はこのVIP待遇を見て自分を完全に天才だと確信した。
これは田舎特有の現象だろう。東京や大阪ならもっとレベルの高い塾が乱立しているし、周りに自分より出来る人間はいくらでも見つかったはずだが、私のいた滋賀の田舎町には、私を超える人間が見当たらなかったのだ。
視野が狭すぎる、と言われればその通りなのだが、まだインターネットも発達していなかったし、SNSなんて影も形もなかった。私には遠くにいる強豪の姿が見えていなかったのである。
しかし、この視野の狭さが私の勢いを加速させた。「自分は天才だ」という思い込みは、私を勉強にドハマリさせたのである。
私は神に与えられたこの才能を腐らせてはならないと思い込み、勉強に勉強を重ねた。勉強していない時間をいかに減らすかということにこだわり、風呂に入る前には間違えた問題を紙に書き、風呂の壁に水分で貼り付けた。頭を洗っている時以外はそれを睨んだ。記憶術の本を読み、夜眠る前には必ず暗記物をやるようにした。
人生で最高に調子に乗っていた…
通っていた公立中学の授業はもはや完全に無駄だった。簡単なワークを終えて余った時間で、隠れて塾のテキストをやった。
同じ塾の特進Aの菅井君などは、なんと授業中に某R高校の赤本を机に丸出しで解きまくり、先生からベランダに呼び出されて激怒されていた。
私はさすがにそこまであからさまにやる度胸がなかったので、「菅井、やるな」と思っていた。
そんなこんなで、私は勉強に明け暮れる中学時代を過ごした。
しかしヤンキーたちですら私を天才と認め、温かく応援してくれた。普通にガリ勉と言われていじめられても良さそうなものだったが、私のガリ勉ぶりとそこから叩き出す偏差値は──自分で言うのもなんだが──町内では常軌を逸しており、ほとんど神の領域に達していた(あくまでも町内では)。
ヤンキーたちもおそらく私のことを、国の未来を担う逸材だと考えてくれていたのだ。
こうして田舎町の公立中学を制圧した私は、東京や大阪や別の塾や私立中学にどれほどの猛者が潜んでいるかも知らず、自分の頭脳を日本有数の宝と思い込み、受験に向けて飽くなき努力を続けた。
この頃、私は人生で最高に調子に乗っていた。もうあれほど調子に乗ることは二度とないだろう。
たとえこれから芥川賞やら直木賞を獲っても、100万部売れても1千万部売れても、メチャカワアイドルから告白されてもノーベル文学賞を獲っても、中三の頃以上に調子に乗ることはありえない。
当時の私を見ていた公立中学の先生たちは、私が決定的に勘違いしていることを見抜いていたと思う。実際、ある先生から「いくらいい高校に行ってもお前みたいな奴はダメだ」と言われたこともあった。
私は、その先生が大した高校を出ていないからやっかんでいるのだろうと本気で思っていた。だが、今考えれば、先生の言葉は正しかったのだ。
もし私が東京に生まれ、もっとすごい人間がたくさんいるということを肌で感じていたら、それほど調子に乗ることもなく、裏を返せば限界を超えるような努力をすることもなく、学歴にこだわることもなかったかもしれない。
少なくとも東大や京大には入っていなかったと思う。その場合、今よりも良い人生になっていたのか悪い人生になっていたのかわからない。わからないが、田舎町に生まれ勘違いして調子に乗ったこの人生を変えることはもうできない。
最終的に、私は某R高校と東大寺学園高校とラ・サール高校に合格し、母を狂喜させ、塾の先生たちを狂喜させ、クラスメイトたちに祝福された。
友人たちは、当時サッカー界で大活躍していた中田英寿を引き合いに出しながら、「佐川君は日本におさまる器じゃない」と言った。「世界のナカータを超えられるのは恭ちゃんしかいない!」
私は度外れたアホだったので、「確かにな」と思っていた。というか、小学校時代にサッカー部を即やめた経験からサッカーが嫌いになっていたので、「中田とか球蹴ってるだけやん」と本気で思っていた。
私の脳内では、セリエAで活躍することより、東大寺に合格することの方がはるかに上だったのだ。
私はそのまま、家から通える某R高校に進学することになる。特進コースだったとはいえ合格した中では当時もっともレベルの低い高校だったので、私はそこで軽くトップを取り、大学は最低でも東大、もしそれが簡単すぎるようなら海外の大学も視野に入れようと思っていた。
そんな調子だったので、私はまさか自分が地獄の高校・浪人生活を経て、命からがら京大文学部に滑り込むことになろうとは、夢にも思っていなかった。
文/佐川恭一
『学歴狂の詩』 (集英社ノンフィクション)
佐川恭一
あまりの面白さに一気読み!
受験生も、かつて受験生だった人も、
みんな読むべき異形の青春記。
――森見登美彦さん(京大卒小説家)
ものすごくキモくて、ありえないほど懐かしい。
――ベテランちさん(東大医学部YouTuber)
なぜ我々は〈学歴〉に囚われるのか?
京大卒エリートから転落した奇才が放つ、笑いと狂気の学歴ノンフィクション!
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がくれき-きょう【学歴狂】
〔名〕東大文一原理主義者、数学ブンブン丸、極限坊主、非リア王など、
偏差値や大学名に異様な執念を持つ人間たち。
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