
滋賀県出身の小説家・佐川恭一氏は、子どもの頃から神童と呼ばれ、自身のことを「天才」と思い込み、進学校に入学した。だがそこには、彼と同じく、あるいはそれ以上の「学歴」への異様なこだわりを見せる猛者たちがいた。
『学歴狂の詩』より、一部を抜粋・再構成してお届けする。
東大・京大・国公立医学部の三種以外は高校の進学実績として完全に無
私の通っていた某R高校の特進コースでは多くの者が京都大学を目指していたが、当時は学校として東大合格者も増やしていこうと模索している最中だった。
その時はまだ奈良の西大和学園の躍進も(京大医学部保健学科を除けば)なく、東大寺学園は母数の差で抑え込めそうで、大阪の北野高校もそこまでデカイ脅威ではなかったため、京大合格者数で他校に負けるということはあまり想定されていなかった。
京大合格者数ナンバーワンを保持しつつ東大の数も増やしていき国公立医学部もバンバン受かって最強になろう!というのが、おそらく当時の我が校の目指すところであった。
裏を返せば東大・京大・国公立医学部の三種以外は高校の進学実績として完全に無ということであり、それらを目指さない者はその時点で「己に負けている」のだった。
私は格闘技の試合を結構観るのだが、2023年5月に行われたRIZINで斎藤裕という選手と平本蓮という選手が戦った。何かと有名な選手なので知っている方も多いかもしれないが、判定負けした平本選手はその後「自分に負けた」と語っていた。
平本選手はK–1出身で打撃が得意なのだが、斎藤選手のテイクダウン(寝技に持ち込むために寝かせること)を切ることに何度も成功したものの、それを警戒するあまり有効な打撃をつなげることができなかったようだった。
この場合、リスクを冒して打撃にいくことは某R高で言えば「東大・京大・国公立医学部」を受けることに相当する。そしてテイクダウンを恐れて負けない戦い、KOされない戦いをすることは、某R高で言えば「阪大・神大受験」に相当する。平本蓮は、いわば阪大を受けたのである(注・筆者の主観です)。
私の勝手な思い込みという面もあっただろうが、とにかく私は高校の雰囲気をそういう風に感じていたし、「できない己を恥じよ!」とつねに自らを叱咤しながら机に向かっていた。
人間に可能と思われる努力量の限界を超え、シン・エヴァンゲリオンでたとえるとヒトを捨てた碇ゲンドウみたいになろうと机に向かっていたので、オカンに本気で精神状態を心配され「阪大でええやないの」と言われたのは、拙著『シン・サークルクラッシャー麻紀』にも書いた通りである。
だが、東大・京大・国公立医学部を目指す猛者だらけの環境の中では、勉強に対する私程度の狂気は珍しいものではなかった。私が見た中でもっとも危険かつ強烈な狂気を発していたのは、内山という隣のクラスの男である。
「東大文一に現役合格できなければ自殺する」
内山はとにかく日本という国を心から愛していて、日本を良くすることに全人生を捧げたいと考えていた。そのためには官僚になり、さらにはその頂点である事務次官になり、自らの影響力を最大化することが必須だと本気で思っていた。
当時の彼にとってそれ以外の人生には何の意味もなかった、つまり事務次官になれるかなれないかこそがそのまま生き死にの問題だったのだ。
あまりに文一文一と言うので、別に東大文一じゃなくても事務次官になることはできるのではないか、と聞いてみたこともあるが、彼が調べたところ、当時知ることのできた各省庁の事務次官の出身はほとんど全員が東大法学部卒で、ちょっとだけ東大経済学部卒がいて、法務省のみ京大法学部卒だったらしい。
彼の学歴へのこだわりは凄まじかった。
特進コースの生徒が某R高の他にどの高校に合格していたかを聞いて回り、エクセルの表にまとめたりもしていた(内山自身は大阪星光蹴りだった)。そしてその表には三年後、もしくは四、五年後、最終的に進学した大学が付け加えられた。
特進コースには東大寺学園蹴りが私以外にもいて、総数は覚えていないが、後年聞かされた内山の分析結果によれば、「東大寺学園に合格していた者は、現役で阪大以下に逃げた敗残兵を除けば、全員が一浪以内で東大・京大・国公立医学部のいずれかに合格した」らしかった。
一体どういう方法でリサーチしたのかはわからないが、内山は不合格間違いなしの沈鬱な表情をした人間にも平気で結果を聞ける男だった。
高校何年生の時だったか、内山は「東大文一に現役合格できなければ自殺する」と高らかに宣言した。
周りはハイハイという感じで聞き流していたが、私は内山が本気で言っているのだということがわかった。おそらく私以外の者もわかっていたと思う。冗談でそんなことを言う人間ではないのだ。彼は発言こそナチュラルに過激だが、目立ちたがりでも何でもない素直で正直な人間だった。
後に聞いたところ、彼は自分の家族にも「東大文一に落ちたら死にます。ここまで育てていただきましたが、その時はすみません」と話していたらしい。
彼はそこまで余裕の成績ではなかったので、死の可能性というのはそれなりにあった。彼は東大文一に受かるためにどうすればいいかという戦略を細かく立てており、その形相はつねに鬼気迫りまくっていた。
そのうちどうやら「内山メソッド」とも言うべきものが彼の中で完成したようで、そこには高校からの東大文一対策だけでなく、そこから逆算して、自分に子供ができた時にどうすれば東大文一に入れられるかという計画も含まれていた。
まず神戸大学以上の大学出身者と結婚するところから始まり(彼は、国公立出身者でかつ社会を受験で2科目使っている相手としか結婚しないと言っていた。大学を出てからはそんな話はしなくなったし、見ていてもその条件は取り払われたようだが)小学校一年生から公文式に入り、そこで四年生までにどれだけやって──みたいなことを聞いたが、詳細は忘れた。
ざっくりまとめれば「自学自習できる力をどれだけ早期に身につけるか」ということを言っていたので、もしかすると今で言う武田塾の方向性に近かったのかもしれない。
とにかく内山メソッドの完成によって彼はさらに自信を持ち、「計画を立てて然るべき時間を費やせば、猿でない限り必ず東大文一に合格できる」と豪語するようになっていった。
これまた普通にそう言うので、ちゃんと計画を立ててやっているつもりなのになかなか成績が上がらない人にしてみれば「俺は猿ってことかよ!」という話になるのだが、まあ、猿ということなのだった。
こうして順調に東大文一への階梯を上っているかに見えた内山だが、センター試験が終わると明らかに様子がおかしくなった。
予想外の低得点で命のかかった試験に突撃
彼が何点だったのかも3千回ぐらい聞いたのに忘れたが、とにかく彼にとっては予想外の低得点で、東大文一現役合格に黄信号が灯ったようだった。
私もまたセンター大爆死だったので他人の点数どころではなかったのだが、内山はとにかく「東大文一か、文二か」という選択に悩みまくっていた。
そして「東大経済学部出身の成功者」を探しまくり始めた。別にそんな人はたくさんいるだろうと私は思ったのだが、彼の考える方向性に合った成功者というのはなかなか見つからなかったらしく、唯一彼が「発見した!」と私に伝えてきたのは「亀井静香」だった。
亀井静香は東大文一なのだが進振り(東大独自の学科選択制度)で経済学部を選び、その後わずかな民間勤めを経て、きわめて優秀な成績で官僚になっていたようだ。
内山はこの「亀井モデル」を目指す前提で東大文二に出願するか、やはり当初の予定通り文一に突撃するのかということでかなり頭を悩ませており、京大志望者など眼中になかったはずの彼が、センター爆死後の私に「お前は法学部にするのか、経済か文にするのか?」と聞いてきた。
さんざん内山の気合いがヤバかったという話をしてきてなんだが、私も特進コースで上位を争うキマり具合になっていたので、センターでボーダーの点数を30点以上下回っていたにもかかわらず「ハァ? 法学部に決まってるやろ」と即答した。
私は私で『私の京大合格作戦』という本を読みまくり、E判定やセンター爆死からの逆転合格の例を集めていたのである(この経験は小説誌「ジャーロ」に掲載された『京大生黒ギャル交際事件』に活かされている。小説家のもっともすばらしいところは、人生において活かせない経験がなくなるということである)。
私はもともと練習で同志社法を受ける気だったが、京大二次以外のことを考える時間を一秒でも減らすために受けるのをやめた。
私に影響されたということはないだろうが、内山は最終的に東大文一への突撃を決めた。そして命のかかった試験に挑み、見事に現役合格を勝ち取ったのである(ちなみに内山はこの時の経験を「東大受験記」という3万字ほどの文章にまとめている。もしネットで売れば大ヒット間違いなしの名文なのだが、今のところ販売予定はないそうである)。
一方、背水の陣で京大法学部に挑んだ私の方は、アッサリ落ちた。成績開示の結果、センターで離された30点差は、自分で得意だと思っていた二次でもほとんど詰まっていなかった。単純に実力が足りなかったのだ。
真の学歴厨が経験する「スーパー学歴タイム」
私は一浪で再度京大法学部を、と考えていたが、浪人の春、私はちょうど最終回が終わったばかりの、親が録画していた唐沢版『白い巨塔』を観た。そこで激しい法廷闘争を目の当たりにした私は、物語を楽しむと同時に「あ、俺、弁護士無理かな」と思った。
高校時代の私は、京大法学部に入って司法試験を受け、弁護士になる気でいた。私はマジで手のつけられないアホだったので、京大に受かる力があれば司法試験には楽に受かるだろうと考えていた。司法試験なんて東大・京大以下の大学からもバンバン受かるし、京大に受かって司法試験に落ちる奴は勉強の仕方がヌルいだけだと思っていたのだ。
だが、私は自分が本気で弁護士になりたいと思っていないということを、『白い巨塔』の上川隆也と及川光博に気づかされた。
私は京大にだけは絶対に合格しなければ気が済まなかったが、はっきり言うと、その先の人生はどうでもよくなっていたのである。
これは真面目に聞いてほしいのだが、真の学歴厨は「学歴さえ高ければあとはどうでもいい」という謎の期間、「スーパー学歴タイム」を経験する。
内山が偉いのは、彼が単なる学歴厨なのではなく、将来の目的に向けたステップとして東大を捉えていたところである(なお、彼が現在何の仕事に就いているのかは、身バレ防止のため伏せさせていただきたい)。
他の医学部を志望していた友人はもちろん医者を目指していたし、中には絶対公認会計士になると決めて京大経済学部を目指していた友人もいた。
私は当時自分のことを彼らと横並びで考えていたのだが、今思えばその姿勢において決定的な差があった。そして、その差はそのまま現在の社会的地位や年収の差に直結している。
私はまだ半ば「スーパー学歴タイム」の最中にいるのか、そのへんのことがまったく気にならないのだが、かつての仲間とそうした差がついたことが気になって同窓会などに出づらいという人もいるだろう。とにかく結構な割合の人が後悔する状態になっていることは間違いない。
学歴以外のことが考えられなくなっている受験生のみなさんは、学歴のその先があるということを自分に言い聞かせ、少しでも将来をイメージする時間を作っておくべきだろう。
そして受験生の子供を持つ親御さんは、自分が社会でどんな風に生きているか、そして学校を出た後の世界はどんなものなのか、具体的にイメージしやすくなるような話を時々でいいからしてあげると、子供の側も視野を広げやすくなるだろう。
私のような重症の学歴厨は「大学を手段として扱わず、つねに目的自体として扱え」という謎の格率に従って行動しているため、なかなかまともに話を聞かないかもしれないが、当時「うっせぇうっせぇ」と思いながら聞き流していた話でも不思議とまだ思い出すことができる。
私個人は大人の忠告を素直に聞き入れることができず、客観的には手遅れ&手遅れの人生を送っているわけだが、子供の反応にかかわらず、ただただ大学以後の世界の話をしてみるということは、きっと無意味ではないはずである。
文/佐川恭一 サムネイル/PhotoACより
『学歴狂の詩』 (集英社ノンフィクション)
佐川恭一
あまりの面白さに一気読み!
受験生も、かつて受験生だった人も、
みんな読むべき異形の青春記。
――森見登美彦さん(京大卒小説家)
ものすごくキモくて、ありえないほど懐かしい。
――ベテランちさん(東大医学部YouTuber)
なぜ我々は〈学歴〉に囚われるのか?
京大卒エリートから転落した奇才が放つ、笑いと狂気の学歴ノンフィクション!
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がくれき-きょう【学歴狂】
〔名〕東大文一原理主義者、数学ブンブン丸、極限坊主、非リア王など、
偏差値や大学名に異様な執念を持つ人間たち。
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