「人間として見てもらえない」死を考えるほどの絶望の先に…全身が動かなくなる難病「脊髄性筋萎縮症」を患う青年が描く未来
「人間として見てもらえない」死を考えるほどの絶望の先に…全身が動かなくなる難病「脊髄性筋萎縮症」を患う青年が描く未来

成長とともにできることが増え、世界が広がっていく。成人後は仕事に忙殺されながらも、家族をつくったり、ささやかなセカンドライフを夢みてひと頑張りする。

そんな「当たり前」から遠く離れた人生を生きるのは、どんな気持ちなのだろうか。青木敬也さん(29)は、遺伝性の難病「脊髄性筋萎縮症」を抱えている。かつては自死も考えたという青木さんに話を聞いた。

地域で暮らす重度障がい者のリアル

「休みの日は、洋服が好きなので新宿や渋谷に買い物に行ったり、ネットで知り合った友達と飲みに行ったり。この前は神宮球場に野球を見に行きました。ヤクルトスワローズのファンなんです」(青木敬也さん、以下同)

東京都内のアパートで一人暮らしをする青木さんの休日は、多くの若者と変わらない。しかし外出までのルーティンはかなり異なる。

「朝起きたらまず、ヘルパーさんに人工呼吸器を外してもらいます。その後は朝食を摂ったり入浴したり。入浴後は体力を消耗するので少し休憩します。自分で寝返りがうてないので、夜もヘルパーさんに待機してもらいます。1Kのアパートですから、すぐ隣にいるような感覚です」

青木さんが患う脊髄性筋萎縮症は、全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病だ。現在動くのは指先などわずかな部位だけで、食事にも排泄にも介助を要する。

訪問介護の契約先は13社に及び、青木さん自身がすべてを把握・管理している。

「一人暮らしは初めてなので怖かったですけど、意外と何とかなりました。親元から自立できて、人より劣っていると感じていた部分がなくなったような気がして嬉しかったですね」

24時間の訪問介護を実現するには20人以上のヘルパーが必要で、行政手続きも含めて準備に3年以上を要した。車椅子による室内の破損や孤独死を心配され、不動産業者には断られ続けた。しかし青木さんは諦めなかった。

「昔から『元気な子と同じことをしたい』という思いがずっとあり、施設はどうしても嫌だった。家にたくさんの他人が出入りする訪問介護は、人間関係もいろいろですが、実家で暮らす以上にのびのび生活しています」

この日も元気に外出してきたように見える青木さんだが、苦痛や不快感が絶えることはない。体重30kgで皮下脂肪がほとんどないため寒さがこたえる。同じ姿勢で車椅子に固定されている状態で、身じろぎができないことから身体も痛む。呼吸のしづらさを感じる日もあるという。

「死にたくても身体が動かない」と悩んだ10代

 一人暮らしの準備と並行して研修講師や講演活動を始めた青木さん。「たかや」の活動名で発信するSNSには前向きな感謝の言葉が並ぶ。しかし最初からそうだったわけではない。

1歳半で病気が判明し、一時期はつかまり立ちができたものの、すぐに車椅子生活となった。

「小さい頃は外に出るたび、ジロジロ見られるのを感じていました。学校に行っても元気に動ける友達がうらやましかった。こういう障がいで、こういう見た目だから、人は自分を人間として見てもらえないだろうという思いがありました」

成長とともに病気が進行し、登校できなくなったり側弯(背骨の湾曲)で見た目が変わったりした。死を考えたことがあるか問うと、青木さんは「毎日思ってました」と即答する。

「思春期の頃までは、どうやっても人生がいい方向に行かなかったので。でも、死のうにも身体が動かないから自分では死ねない。外にも出たくなかったし、ずっと落ち込んで、よく一人で泣いていました。そうやって十年も二十年も悩んでいたら、人間、耐性がつくのかわからないですけど、悩んでいる時間がもったいなくなったんですよ」

高校時代にありのままの自分を肯定してくれる女性と出会ったことも転機となった。もっと理解者に出会いたいと積極的に外に出るようになり、ITパスポートなどの資格も取得した。とはいえ進行性の病気だ。過去には医師から「中学生まで生きられるかわからない」と言われた。

「たぶん考え出したらきりがないくらい恐怖はあると思います。でも、今できるのは進行を遅らせることだけ。しっかり食べて休んで、なるべく悩まずに、どんな楽しいことができるかなって考えるようにしています。

人って元気な時間が続くと、永遠に生きていられるような気になるんですよね。でも事故に遭ったり体調を崩したりしたら、絶対に過去の自分をうらやましく感じるはず。今という時間は“今”しかないから、その瞬間を大事にしたいなとはいつも思います」

ヘルパーが働きやすい世の中へ

青木さんには長年温めてきた起業プランがある。発想の原点は、ヘルパーが働きやすく、また自分のような患者が重度訪問介護を受けやすい世の中にしたいという思いだ。

「誰かにお願いしないと自分の生活は成り立たない。ただでさえヘルパーさんが不足しているのに、訪問介護や難病支援となるとさらに少ない。ヘルパーさんも仕事に悩んで辞めてしまう人が多く、彼ら自身にもメンタルケアが必要だと思いました」

ヘルパーにも経験の差や、得意・不得意があり理想通りの介護が受けられないこともあるが、青木さんはこだわらない。

「基本的に生活の中で何かストレスがあるのは、自分が原因だと思っているので解決策を考えます。たとえば料理が苦手なヘルパーさんがいたら僕がレシピを伝えたり、料理の得意なヘルパーさんに多めに作ってもらって冷凍しておいたり。

細かく指示されるのが嫌だと感じるヘルパーさんもいると思うので、バランスは難しいですけど」

青木さんは約二年前に同病の兄を亡くしている。兄は青木さんよりも病状が重く、施設入所も経験していたという。

「兄にもやりたいことがたくさんあったと思う。もっと楽しいことをさせてあげたかったな、もっと一緒にいたかったなと思います。兄に誇れるような社会貢献ができる人間になって、満足する人生を送って、天国で再会できたらいいなと思っています」

介護従事者との適度な距離感をつかみ、信頼関係を構築するために試行錯誤してきた自分の経験を、社会に還元したいと考えている青木さん。数年がかりで暮らしを安定させ、やりたいことを行動に移す環境が整ったと感じている。実現の日は近い。

取材・文/尾形さやか

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