
建築費高騰により、日本の都市部で繰り返し行われてきた「駅前再開発」が苦境だ。駅前再開発は、行政にとって老朽化した都市機能の更新、防災性の向上、賑わいの創出といった公共利益の実現に繋がる。
建物を造りたくても、造れない時代に
インフレが社会問題となる中、建築費の高騰を理由に再開発プロジェクトが白紙になったり、計画を見直したりする例が全国で相次いでいる。中でも大きな話題となったのが、JR中野駅前で計画されていた中野サンプラザの開発計画見直しだ。
交通利便性が高い中野駅前ですら再開発が難しいという事実は、日本社会に大きな衝撃を与えた。
野村不動産という日本有数の不動産デベロッパーが下した苦渋の決断の背景には、ゼネコンと不動産デべロッパーの力関係の逆転に加え、圧倒的な資金力で株式市場を荒らす「黒船」の存在もある。
「中野サンプラザは特殊な例ではなく、終わりの始まりだ。今後の日本では、これまでのような大型再開発はかなり難しくなる」
ある大手ゼネコンの社員は、野村不動産が主体となって進めてきたJR中野駅前再開発事業が白紙撤回されたことについて、こう語る。
「100年に1度の再開発」とも言われ、各地で大型再開発プロジェクトが立ち上がっている東京だが、足元の建築コストの高騰により、再開発の停止や見直しが相次いでいる。
京王電鉄とJR東日本が計画していた新宿駅南口の再開発は工事を請け負うゼネコンが見つからず、2028年度としていた完成時期を「未定」とした。
渋谷駅でも、東急などが進めていた大規模工事の完成が当初計画から7年遅れ、2034年度となることが明らかになっている。
中野や新宿、渋谷といった超一等地でなにが起こっているのか――。取材する中で見えてきたのが、不動産デベロッパーとゼネコンの力関係の逆転だ。
日本では長年、仕事を発注する側である不動産デベロッパーは、仕事を受注する立場であるゼネコンに比べ、明確に力関係が上だった。
「業界の常識を無視した上げ幅で、あまりにも横暴だ」
バブル崩壊後、長い冬の時代を迎えた建設業界は食いつなぐために頭を下げる時代が続いた。「次の仕事をもらうため、どんぶり勘定の発注に対し赤字覚悟で仕事を受注することもあった」と前述のゼネコン社員は語る。
しかし、デフレ経済からインフレ経済への転換が始まり、こうした関係は劇的に変わりつつある。
今回の中野サンプラザでは、工事を請け負う予定だった清水建設が野村不動産側に対し、事業費が900億円上振れすると通告した。総事業費は3500億円となり、計画が立ち上がった21年から実に2倍近い規模になる計算だ。
これでは、どんな建物を建てたとしても、とても採算は合わない。野村不動産の幹部は着工直前の引き上げについて、「業界の常識を無視した上げ幅で、あまりにも横暴だ」と憤る。
そもそも、中野サンプラザのような超高層ビルは手掛けられる企業が「スーパーゼネコン」と呼ばれる鹿島建設、大林組、清水建設、大成建設、竹中工務店の大手5社に限られている。
不動産デベロッパーはスーパーゼネコンに発注せざるを得ず、足元を見られるようになっている。
業界最大手の三井不動産の植田俊社長は24年、日本経済新聞の取材に「建築コストの上昇は10%や20%の程度に収まらない」「10年以上の長期にわたる事業も多く、終盤でコストが上昇する影響は大きい」と赤裸々に語り、業界内で話題となった。
「納期を間に合わせたいならそれなりの金を積むべき」
スーパーゼネコン側にも言い分はある。九州のTSMCや北海道のラピダスなど半導体産業の大型投資も重なり、サブコンと呼ばれる設備業者も奪い合いとなっている。
五輪や万博のような国家事業を除き、ゼネコン側は収益性が高い案件から受ける「選別受注」に取り組むようになった。
こうした状況下、膨大なリソースを必要とする都心部での再開発の難易度は高まっている。
「納期を間に合わせたいのならばそれなりに金を積む必要があり、清水建設の値上げも理屈は通っている」(前述のゼネコン社員)
人手不足も強烈な逆風となる。ピーク時の1997年には685万人もの就業者数を抱え雇用の受け皿として機能していた建設業界だが、現在は3割減の477万人にとどまる。
高齢化した職人の引退や残業規制の強化による「2024年問題」により人繰りが難しくなっており、労務費は高騰。
ゼネコン側も仕事をすべて消化できないため、不動産デベ側が受け入れられないような数字を出して婉曲に断っているという側面もあるようだ。
ゼネコンが最も気にしているのは客ではなく株主
もっとも、ゼネコン側が都心部再開発に後ろ向きな理由はそれだけではない。「いまゼネコンが最も気にしているのは客ではなく、株主だ」と日系証券会社のアナリストは語る。
バブル崩壊で経営危機を経験したゼネコンだったが、その後の経営再建の途上、成長投資に資金を振り向けるのではなく、危機に備えて手元資金を貯め込む方向に動いた。
リーマン・ショックや新型コロナウイルス禍を耐え凌ぐことに成功したものの、「物言う株主」であるアクティビストにとっては、格好の獲物となった。
その代表例が、英国の資産運用会社、シルチェスター・インターナショナル・インベスターズだ。
不祥事で揺れるフジ・メディア・ホールディングスへの提案で名を揚げた米ダルトン・インベストメンツや旧「村上ファンド」なども参戦しており、上場しているゼネコンにとって、株主対策が最大の経営課題となっていた。
「この案件が赤字でも次の案件で黒字にする」は通用しない
ゼネコン経営陣にとっては胃が痛い問題だが、黒船であるアクティビストの登場は、商習慣の見直しという絶好の機会でもあった。日本のゼネコンの経営効率の低さの一因に、発注側である不動産デベロッパーとの力関係の差があると言われていた。
相互に株式を持ち合い、「この案件が赤字でも次の案件で黒字にする」といった調整が可能なことも、規律を失わせていた。
しかし現在、ゼネコン側は「選別受注」という言葉を繰り返し、赤字になるような案件は受注しないと発注側に突きつけるようになっている。その対象は不動産デベロッパーに限らない。
8月下旬、三菱商事が洋上風力発電からの撤退を発表したが、これも建設を請け負う予定だった鹿島建設がプロジェクトから離脱したことが引き金になったとされる。
建設費の増加分の負担を巡る調整で折り合えなかったとみられるが、国家プロジェクトである洋上風力であっても、利益の出ない案件からは手を引くという覚悟の表れだ。
アクティビストの牙が向かうのはゼネコンだけではない。投資会社の英パリサー・キャピタルは24年10月、東京駅八重洲口などで大規模再開発を手掛ける不動産デベロッパー、東京建物の株式を取得したことを明らかにした。
政策保有株の売却や株主還元を主張し、実際に特別配当を勝ち取っている。
「第2六本木ヒルズ」も暗雲漂いつつある
株式市場のルールではあるが、「アクティビストの言う通りに経営していたら、大規模再開発なんてできない」と大手不動産デベロッパー幹部は頭を抱える。
大規模再開発には10年、20年といった単位で取り組むものも少なくないが、アクティビストが求めるのは短期的な株主還元や株価上昇だ。
その象徴となっているのが、米ヘッジファンドのエリオット・インベストメント・マネジメントと住友不動産との衝突だ。エリオットは今年3月に住友不動産の株式取得を明らかにし、不要な不動産の売却や株主還元の充実を求めている。
一方、住友不動産側は一部物件を売却するとしたが、エリオットの求める水準の物件売却には消極的だ。
「再開発に向けて仕込んでいる物件を手放して株主に配当として配ったところで、将来のために残してある種籾に手を付けるようなものだ」と、再開発に詳しい不動産ブローカーは分析する。
しかし、世界的な日本株ブームも手伝い、「黒船」による圧力は強まる一方だ。現在、住友不動産が森ビルと共同で手掛けている「第2六本木ヒルズ」と呼ばれる六本木での大規模再開発も、暗雲が漂いつつある。
現代のバベルの塔だったのかもしれない
建築コストの上昇やゼネコンとの力関係の逆転という前門の虎に加え、再開発を手掛ける不動産デベロッパーも短期的な利益を求めるアクティビストという後門の狼に囲まれており、大型再開発を進めること自体、困難な状況となりつつある。
現に、野村不動産は中野サンプラザに続き、JR津田沼駅南口で計画されていた複合ビルの再開発計画を一時中断、JR岐阜駅(岐阜市)で予定されていた、タワーマンションの階数を34階から10階分ほど減らすことも明らかになっている。
「中野サンプラザのDNAを継承した中野らしい新しいシンボル、拠点の整備、そして中野駅周辺の街づくりを着実に進めることで、皆様が誇りに思えるような街の実現を目指してまいります」
中野区の酒井直人区長は7月の定例記者会見で中野駅前の再開発計画見直しについて語った。言葉こそ前向きだが、その表情は硬いままだった。中野サンプラザの再開発は暗礁に乗り上げた形で、先は見えない。
旧約聖書では、人々が天まで届くような塔を建てようとした傲慢な姿勢が神の怒りを買い、最終的に崩壊したとされる。
中野サンプラザは262メートルという、都庁を超えるような超高層ビルを建てようという計画だった。これは、現代のバベルの塔だったのかもしれない。
文/築地コンフィデンシャル