錦織圭のニュースまとめ ウィンブルドンでベスト8に入った実力とは?

錦織圭のニュースまとめ ウィンブルドンでベスト8に入った実力とは?

2018年、世界4大大会のウィンブルドンで、自身最高のベスト8に輝いた錦織選手。日本人男子では、23年ぶりとなる快挙だった。今や日本だけでなく、海外でも注目されるようになった錦織選手はどれほどすごいのか。これまでの大会出場成績を中心にまとめたた。

錦織圭はどんなテニスプレーヤーなのか?

さまざまな大会で好成績を収めてきた錦織圭。その活躍は、日本男子テニス界に大きな光をもたらした。類いまれな実力の持ち主として、日本に限らず世界でも評価されている。それではどのくらいすごい選手なのか、錦織選手の大会成績や特徴を振り返ってみたい。

錦織圭のプロフィール


錦織圭(ニシコリ ケイ)
生年月日:1989年12月29日
出身地:島根県松江市
身長:178cm
体重:70kg
所属:日清食品(2018年7月時点)
拠点:アメリカ合衆国 フロリダ州 ブラデントン(2018年7月時点)

わずか5歳でテニスをはじめる、根っからのテニスプレーヤー。テニスの才能は幼いころよりのぞかせていた。

全国にその名をとどろかせたのは小学生のころ。錦織選手、当時11歳の2001年5月には、全国選抜ジュニア選手権で優勝を手にした。同じ2001年には、ほか全国大会2大会で優勝し、史上5人目の全国制覇3冠の栄光を手にする。


錦織圭の過去の受賞歴


主に成長してからの、過去の世界大会の成績をみていきたい。

過去グランドスラム大会出場成績
グランドスラムとは、ウィンブルドン、全米オープン、全仏オープン、全豪オープンの、テニス世界4大大会のこと。一握りのテニスプレーヤーしか参加できない、世界でも最高峰の大会である。2010年以降の、錦織選手のグランドスラムの成績は以下の通りだ。

2010年 ウィンブルドン(予選ラウンド1)、全米(予選ラウンド3)、全仏(予選ラウンド2)、全豪(-)
2011年 ウィンブルドン(予選ラウンド1)、全米(予選ラウンド1)、全仏(予選ラウンド2)、全豪(予選ラウンド3)
2012年 ウィンブルドン(予選ラウンド3)、全米(予選ラウンド3)、全仏(-)、全豪(準々決勝)
2013年 ウィンブルドン(予選ラウンド3)、全米(予選ラウンド1)、全仏(決勝ラウンド4)、全豪(決勝ラウンド4)
2014年 ウィンブルドン(決勝ラウンド4)、全米(決勝)、全仏(予選ラウンド1)、全豪(決勝ラウンド4) 
2015年 ウィンブルドン(予選ラウンド2)、全米(予選ラウンド1)、全仏(準々決勝)、全豪(準々決勝)
2016年 ウィンブルドン(決勝ラウンド4)、全米(準決勝)、全仏(決勝ラウンド4)、全豪(準々決勝)
2017年 ウィンブルドン(予選ラウンド3)、全米(-)、全仏(準々決勝)、全豪(決勝ラウンド4)

年を重ねるごとに、予選ラウンドから決勝ラウンドへ、徐々に上位に残るようになってきているのがわかる。

世界ランキング
現在の世界ランキング:20位(2018年7月23日時点)
世界ランキング自己ベスト:4位

テニスの世界ランキングはポイント制で、大会で好成績、とりわけ上位の大会で好成績を収めると高ポイントが加算される。錦織選手は、過去4位にまでランキングをあげたこともあった。

なお、2018年7月30日時点での錦織選手のランキングは、1800ポイントで20位である。ちなみに、2018年の世界ランキング1位は、ラファエル・ナダル選手。2018年7月30日時点のポイントは9,310だ。

そのほかの大会成績
2008年 デルレイビーチ国際テニス選手権 優勝
    バミューダ・オープン 優勝

2010年 サバンナ・チャレンジャー 優勝
    サラソタ・オープン 優勝
    ビンガムトン・チャレンジャー 優勝
    ノックスビル・チャレンジャー 優勝

2011年 全米クレーコート選手権 準優勝

2012年 ロンドン・オリンピック 3回戦
    楽天ジャパンオープンテニス 優勝

2013年 USナショナル・インドア・テニス選手権 優勝

2014年 USナショナル・インドア・テニス選手権 優勝
    バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル 優勝
    ムトゥア・マドリッド・オープン 準優勝
    マレーシア・オープン 優勝
    楽天ジャパンオープンテニス 優勝

2015年 メンフィス・オープン 優勝
    アビエルト・メキシカーノ・テルセル 準優勝
    バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル 優勝
    シティ・オープン 優勝

2016年 メンフィス・オープン 優勝
    マイアミ・オープン 準優勝
    バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル 準優勝
    ロジャーズ・カップ 準優勝
    リオデジャネイロオリンピック 3位
    スイス・インドアーズ・バーゼル 準優勝

2017年 ブリスベン国際 準優勝
    アルゼンチン・オープン 準優勝

2018年 ATPチャレンジャーダラス 優勝
    モンテカルロ・ロレックス・マスターズ 準優勝

錦織選手は、テニスプレーヤーの最高峰、グランドスラム以外にもさまざまな世界ツアーで好成績を収めている。リオデジャネイロオリンピックでは、男子テニス界BIG4の一角・ナダル選手を下し、銅メダルを手にした。日本男子テニスでは96年ぶりの快挙だった。

得意のプレースタイルや特徴は?


錦織選手の長所が多彩で力強いショットだ。まず、特徴的なのが両手バックハンド。肩を大きくひねることにより繰り出されるショットは、大きくスピンがかかり力強い。海外の専門誌でも取り上げられるほどの、技術力の詰ったショットだ。

さらに、ショットといえば「エアケイ」といわれる特徴的なショットもよく知られている。高い球をジャンピングフォアハンドで打ち返すという錦織選手の作り出した技だ。世界のテニスプレーヤーとしては不利な身長の低さを補うために編み出した技である。ジャンプすることで繰り出されるショットは予測不可能。錦織選手の必殺技ともいわれてきた。

「いつかは覚えてないですけど、僕は小学校の頃から背が小さかったので高いボールを打つのがすごい苦手で、出てきた策が飛んでより打点を自分の胸元にするようにして打ったのがきっかけだった。」

「フォアでもバックでも飛んで、より自分のスイートスポットで打てるようにやってましたね。」と、エア・ケイが誕生した経緯を語った。
tennis365.net | 錦織 エアケイ誕生のきっかけ



さらに、こうした技術力のある多彩なショットに加え、錦織選手にはスピードがある。サーブやショット後に機敏に動ける速さは、攻めに転じた際の大きな強みだ。

錦織圭に関する人気のニュース

錦織選手の特徴は、世界でもトップクラスの技術力に、ポテンシャルの高さ。2018年のウィンブルドンでは、元テニスプレーヤーの松岡修三氏以来、23年ぶりのベスト8に錦織選手が残った。数々の躍進劇をみていると、今後さらに活躍してくれるのでは、いつか世界ランキング1位に迫る日が来るのではと期待してしまう。そんな錦織選手の注目されるニュースをチェックしていこう。

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錦織圭の主な大会成績を振り返る

ここで錦織選手の華麗な大会成績を一部、詳しく振り返ってみよう。

当時18歳、デルレイビーチ国際テニス選手権でATPツアー初優勝


錦織選手が、世界で注目されるようになったのは、2008年に開催されたデルレイビーチ国際テニス選手権のこと。この、デルレイビーチ国際テニス選手権は、最高峰のグランドスラムに次ぐレベルといわれる大会だ。

当時錦織選手は、18歳のプロになりたての選手ながらも、1回戦、2回戦と勝ち進んでいった。2回戦では12本のブレークポイントの危機を迎えるも、すべて阻止し逆転して勝利している。ブレークまで持っていかれてもなお諦めない、勝負強さが生きた大会だった。

しっかりと勝ち進み、決勝戦の相手となったのがジェームス・ブレーク選手。当時世界ランキング12位の強豪だ。そんな大きな壁を目の前に臆することなく錦織は自分のプレーを展開。試合中、自身の代名詞ともいわれるエアケイが光った。

しかし、第1セットはブレーク選手が先取してしまう。第2セットもブレーク選手に持っていかれると思われたが、一転、第2セット、第3セットを錦織選手が勝ち取りみごと優勝を果たした。日本人選手としては、松岡修三氏以来16年ぶり、史上2人目、さらにデルレイビーチ国際テニス選手権でも当時最年少の優勝となった。当時、錦織選手は世界ランキング244位の蚊帳の外状態だったが、この大会により世界ランキング131位に浮上。世界ランキング100位以内まであとわずか、海外メディアも無視できない存在になった。


全米オープンで準優勝


プロデビューから少しずつ世界ランキングをあげてきた錦織選手は、2014年、世界最高峰のグランドスラムのうち、全米オープンでの準優勝を果たす。

決勝は198cmの長身、当時世界ランキング16位のマリン・チリッチ選手にストレート負けを喫したが、準決勝で当時世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチを下すなど、充実した内容だった。

全米オープンでの日本人のベスト4入りは熊谷一弥氏以来96年ぶり、決勝は日本人としては初だった。観客や世界からも注目を集めた錦織選手だったが、それ以上に日本男子テニス界をゆるがす大きな歴史を刻むこととなる。

ちなみに、錦織選手の全米オープン準優勝の影の立役者となったのが、2014年のシーズンより錦織選手のコーチを務めることになったマイケル・チャン氏だ。錦織選手とプレースタイルや身長が似ており、世界ランキング最高2位にまで登りつめた実力者・チャン氏との出会いと厳しい指導は、錦織選手の技術面や精神面を大きく伸ばすきっかけとなった。







同年のATPツアーファイナルでベスト4入り


さらに2014年、世界ランキングを5位に上げた錦織選手は、男子テニスで年間成績、世界8位以上のものだけが参加を許されるATPツアーファイナルでベスト4に輝く。同大会において、アジアの選手が初のベスト4に入った瞬間だった。

準決勝ノバク・ジョコビッチ選手に敗れ決勝には及ばなかったものの、1次リーグでは世界ランキング10位(8位の選手負傷による棄権で出場)、ダビド・フェレール選手に逆転するなどその強さを示した。




リオ五輪で銅メダル獲得


数々の世界大会で、日本男子テニス選手として記録を更新してきた錦織選手は、2016年のリオデジャネイロオリンピックでも快挙を果たす。ラファエル・ナダル選手を下し、銅メダルに輝いたのだ。

1920年のアントワープオリンピックで、熊谷一弥氏が男子シングルスで銀メダルを獲得した以来、96年ぶりの日本人選手のメダル獲得だった。錦織選手が日本人男子テニスの選手で100年に1人の逸材だと称されるのも納得できる。

ナダル選手との試合内容は、第2セットでは6-7の接戦となるなど苦しい場面もあったが、3セットストレート勝ち。文句なしの試合結果となった。これまでナダル選手とは11試合で対戦してきた錦織選手。まだ1試合しか勝利したことがなかったので、ここぞという場面で力を発揮した試合だったといえる。

オリンピックという、多くの日本人も注目する舞台での勝利で、日本中を熱狂させたのは言うまでもないだろう。

2018年のウィンブルドンで松岡修造以来のベスト8


直近の男子テニス4大大会でも錦織選手は、その強さを発揮する。元世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ選手に準々決勝で敗退するも、ベスト8に入る快挙を見せたのである。日本人男子がウィンブルドンでベスト8になるのは、松岡修三氏以来、23年ぶりのこと。

特にジョコビッチ選手と対戦する前の第4試合は接戦となった。4回戦の錦織選手の対戦者は、世界ランキング138位のエルネスツ・ガルビス選手。第1セットを落とした後の、第2、第3セットはタイブレークにもつれ込む厳しいセットだった。しかしそんな厳しい局面を戦い抜き、見事、錦織選手は第2、第3のタイブレークを制して、続く第4セットも勝利を収め、逆転勝利を見せる。

これまでも数々の逆転劇によって観衆をわかせてきた錦織選手。このウィンブル大会でもその精神力の強さと底力はいかんなく発揮された。


元プロテニスプレーヤー松岡修造との関係は?

日本はもちろん、世界でもその名をとどろかせるようになった錦織選手。日本男子テニスといえば、そんな錦織選手以前にも偉業を成し遂げた人物がいた。錦織選手が活躍する20~30年前に現役のテニスプレーヤーだった松岡修造氏だ。

錦織選手が数々のレコードをたたき出すたびに、松岡修造氏以来などと比較されることも多々ある。実は、そんな松岡修造氏と錦織選手の関係をご存じだろうか。

それは、錦織選手がまだ小学校のころにさかのぼる。2018年に20年を迎える、次世代のテニスプレーヤーを育成するための「修三チャレンジ」に、錦織選手も参加していたのだ。熱い指導で、ときには選手にとって厳しい言葉を投げかける松岡氏の指導は、将来の錦織圭を作り上げるベースとなった。後に、錦織選手はイベントで、修三チャレンジの経験があったから今の自分がいるのだと、修三チャレンジでのできごとが自身のテニス人生に大きな影響を与えたことを語っている。

また、松岡氏もまたかつての愛弟子である錦織選手の動向を常に注目していた。松岡氏は自身のブログで、ウィンブルドンという大会への熱い思いと、ウィンブルドンでベスト8となった錦織選手に対して以下のように感謝の気持ちをつづっている。

ウインブルドンベスト8は僕の第2の人生の夢へと繋げてくれた宝物で、その夢とは僕の記録を破る選手を育てる事でした。
日々の思いを本気で伝える!修三コラム|とうとう圭が、ウィンブルドンベスト8達成!


夢どころか、錦織圭選手は世界4位まで到達し、全米オープンでも準優勝。日本人としてはとんでもないことを成し遂げ、僕の夢、そして日本のテニス界に偉業を1つ1つ達成してくれました。そんな錦織選手の夢の旅を、僕は勝手に一緒に歩ませてもらっていました。圭には感謝の思いしかない。

日々の思いを本気で伝える!修三コラム|とうとう圭が、ウィンブルドンベスト8達成!


ここまで錦織選手と松岡修造氏との出会いや関係性を見てきたが、実は修三チャレンジ以降も2人はたびたび顔を合わせることがあった。テレビ番組『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』での共演だ。初共演となったのは、2011年のこと。

とんねるずvs松岡修造&錦織圭ペアという構図で2人は共演することになった。もちろん、元プロ、現役プロ日本人最強選手との試合に勝てるはずもなく、とんねるずは惨敗。その後も、松岡氏と錦織選手のペアはたびたび番組をにぎわせることとなった。

実は、この『スポーツ王は俺だ!!』は松岡修造氏と錦織選手の夢の共演となっただけでなく、後に錦織選手のコーチを務めるマイケル・チャン氏と錦織選手を引き合わせる役目も果たしている。

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錦織圭の現在の彼女・観月あことは?

2015年7月、週刊誌の報道によって、錦織選手とタレントの観月あこが交際していることがキャッチされた。しかし、そんな恋人の観月あこには、良くないうわさも流れているのだという。

観月あこが叩かれている理由


観月あこが錦織選手の恋人とわかって以降、世間では観月あこ叩きがみられるようになった。

観月あこ叩きの理由の1つとなるのが、その観戦中のできごとだ。観戦中にもかかわらず、試合に似つかわしくない格好、そして試合中のスマートフォンいじりなどが話題となった。

ほかにも、どこまで真実かはわからないが、過去に観月あこが週刊誌にリークした疑惑、占い師に傾倒しているという疑惑が観月のイメージを悪化させている。さらに、過去には錦織選手本人の父が「(観月との結婚を)想像したくない」と雑誌の取材に答えており、錦織選手の父やコーチなど周囲が錦織選手と観月あこの交際を反対している構図が明らかとなった。

こうしたこともあり、世間ではスポーツ選手の妻としてふさわしくないとして、たびたびバッシングの対象となっている。また、本人の表に出たい性格も災いしているのだろう。

そしてもう1つ、観月あこが叩かれる原因となっているのが豪遊だ。錦織選手の稼いだお金を使って買ったとみられる高級ブランドバッグやスイートルームへの宿泊、高級寿司店での友人との食事が世間の嫉妬や驚きを買う結果となった。

観月あこは1990年生まれの26歳、一方の錦織選手は28歳(それぞれ2018年7月現在)である。そろそろ結婚を意識してもよい年ごろであるし、テニス選手としてはどこまで現役で活躍できるか、これからが大切な時期である。周囲の理解は得られるか、または破局を迎えるのか、いずれもこの2人が注目されていることに違いはない。







過去には卓球の福原愛と交際報道も


観月あことの交際が発覚する以前、錦織選手18歳のときには、卓球の福原愛選手とデートの様子がスクープされることがあった。当時、福原選手といえば日本女子卓球界を引っ張るエース。錦織選手は、プロテニスとしてデビューしたてだった。

現在、台湾の卓球選手と結婚している福原選手だが、スクープとして過去に熱愛が報じられたのは錦織選手のみ。実際に交際があったかはわからないが、忙しすぎる日々とすれ違いで、すぐに破局したものと思われる。

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ほか、錦織選手に関する気になるニュースを集めてみた。今後が期待される錦織選手について、今のうちにしっかりおさらいしておこう。

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