【ルーキーながら大活躍だった上原浩治と松坂大輔】
1999年の「雑草魂」と「リベンジ」をそれぞれ受賞した選手は、今も現役でプレーする上原浩治と松坂大輔だ。この1999年は、両者ともルーキーだったが、大活躍! 松坂は高卒ルーキーながら16勝を挙げて最多勝を獲得し、大卒ルーキーだった上原は20勝を挙げて最多勝を獲得したに留まらず、投手タイトルを総なめにした。
【「雑草魂」と「リベンジ」の誕生の経緯】
では、「雑草魂」と「リベンジ」が誕生した経緯はなんだったのだろうか。それぞれ見ていきたい。
まずは、上原から生まれた「雑草魂」。上原は大学卒業後、すぐに巨人にドラフト1位で入団したこともあり、「雑草」とは無縁であるようにも思える。
しかし、上原は大学入学に失敗し、1年の厳しい浪人生活を送っていたのだ。学費を稼ぐために夜間バイトをしつつ、予備校に通い、運動能力を落とさぬようにジムでトレーニングをする毎日。そんな厳しい生活を送っていた上原が座右の銘にしていた言葉こそ、踏まれても立ち上がるという意味の「雑草魂」だったのだ。
松坂が発した「リベンジ」という言葉は、1999年のある試合がきっかけだった。松坂は4月のロッテ戦で、ロッテのエースだった黒木知宏と投げ合って惜敗してしまう。
この試合後に「リベンジします」と宣言した松坂は、次のロッテ戦でも再び黒木と投げ合い、見事にプロ初完封を記録して1―0で勝利! 言葉通りの「リベンジ」を果たしたのだった。
【差がついた上原浩治と松坂大輔】
そして時は経ち2015年、両者の野球選手としての明暗はくっきりと分かれている。
共に先発投手として海外に渡ったが、メジャーで長く先発として活躍することは出来なかった。しかし、上原はクローザーに転向して名門・レッドソックスを世界一に導くなど数年に渡って活躍している。
その一方で松坂は先発に拘ったことも災いして、メジャーではほとんど期待通りの活躍が出来なかった。それに留まらず、日本復帰後もケガなどが原因で登板なしという惨状だ。
2人の明暗が分かれた理由は多々あるだろうが、松坂が上原と違ってコントロールに難があったこと、高校時代からかなりの球数を投げていたことによる肘・肩への大きな負担。そしてイチローから「深いところで野球を舐めてるだろ」と言われたようなメンタル的な脆さが原因だったのではないだろうか。
今年は登板ゼロに終わってしまった松坂であるが、来年こそは流行語大賞を受賞した1999年のような活躍を期待したい。
「オーナーズリーグ22弾/OL22 C002H松坂大輔ST」