そのアントニオ猪木のプロレスラー最後の試合の日を振り返る。
ファイナルカウントダウン
1993年、アントニオ猪木は報道陣を前に「近い将来の引退」を表明。これから行われる猪木の試合は「ファイナルカウントダウン」と銘打たれ、翌年のグレート・ムタ戦からスタートしてビックバン・ベイダーなどの強豪と激闘を繰り広げた。
引退試合は4月4日4時
1998年に猪木の引退試合が発表となる。日時は4月4日4時に東京ドームで開催。4が3つ並んだ日時は「猪木がプロレスラーとして死を迎える」という意味だと報道され、話題を呼んだ。引退試合のチケットは前売りで完売。7万人ものプロレスファンが東京ドームに集結した。
ファイナルイノキトーナメント
猪木の引退試合の対戦相手は試合開始まで不明。トーナメントで勝ち抜いた者が猪木最後の対戦相手となる。トーナメントには最後の愛弟子小川直也、UFCチャンピオンのドン・フライなどの強豪が参加。決勝戦は小川直也とドン・フライとなり、激闘の末にドン・フライが小川をKO。猪木最後の相手はドン・フライとなった。
引退試合に激勝
猪木の引退試合前にはモハメド・アリも現れた。かつて異種格闘技戦で激闘を繰り広げた「世界のアリ」が猪木の引退試合に駆けつけ、聖火台に火をともしたのだった。
その後、猪木の入場テーマが流れ、7万人の大猪木コールの中、猪木が入場。
午後8時26分、最後のゴングが鳴り、猪木とフライが対峙。
序盤、フライがパンチを繰り出すため、猪木はフライから離れて浴びせ蹴りをし、ペースを掴む。グランド戦に持ち込むと猪木はフライを圧倒。立ち上がった後は、猪木がフライのバックを取ってスリーパーホールド。フライはこれを何とか返し、マウントパンチを繰り出す。猪木はこのマウントパンチを凌いで、フライからマウントを取ると、延髄斬りから猪木の代名詞であるコブラツイスト、そこからグランドコブラに持ち込んだ。これにフライは堪らずギブアップ。猪木は見事に勝利を飾った。
引退セレモニーでのあの言葉
試合後に引退セレモニーが行われ、新日本プロレスを共に立ち上げた山本小鉄、坂口征二や新日本プロレスの選手、前妻だった倍賞美津子も参加。愛弟子の藤原喜明や高田延彦、前田日明もセレモニーに駆けつけた。猪木は表情を崩して花束を受け取る。
最後に花束を渡したのはモハメド・アリ。アリが花束を渡すと、2人は握手をして抱き合った。
猪木は最後のあいさつで「この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けば分かるさ」という有名な言葉を残し、最後は7万人と一緒に「1・2・3ダー!」を終え笑顔でリングを去る。
プロレスラーとして、最後までアントニオ猪木はアントニオ猪木だったのだ。
猪木の付け人をかつて務めてた蝶野正洋は「アントニオ猪木は24時間アントニオ猪木だった」と述べたことがあるが、リングを降りて政治家としてもアントニオ猪木はアントニオ猪木なのだろう。
アントニオ猪木という英雄に続く者がこれから先現れるのか? 新たな英雄の誕生を猪木自身も望んでいるに違いない。
(篁五郎)