現在はCDがまったく売れないが、90年代はミリオンヒット曲が当たり前だった時代。ミリオン曲の中にはTVの企画から生まれた曲やユニットも多数あり、日本テレビ系『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(通称 ウリナリ!!)から生まれたポケットビスケッツ、ブラックビスケッツもその一つ。

メンバーはプロの歌手ではないものの、かなりの人気を誇っていた。

ポケットビスケッツ結成のきっかけ


『ウリナリ!!』企画で女性ユニットを結成してCDデビューというものがあり、これに番組レギュラーだった千秋も参加するもあえなく落選。
落選して泣いていた千秋を見た内村光良が、「第二マモーミモーを作ってやるダニ」と言ったことで、ポケットビスケッツの結成へと繋がったそう。

ブラックビスケッツとポケットビスケッツの対決


その後、ポケットビスケッツの悪役だった南原とビビアン・スーが天野ひろゆきをメンバーに向い入れ、ブラックビスケッツを結成。ポケットビスケッツとの対決は『ウリナリ!!』の人気コーナーとなる。
勝ったほうが番組エンディングで自らの曲を流せるというものや、メンバー引き抜きをかけた「ミニ四駆対決」などを行っていた。

ブラックビスケッツはヒール的存在だったが、デビュー曲を出すとオリコン初登場2位を記録するなど人気に。ブラックビスケッツとポケットビスケッツの対立は盛り上がっていった。


ブラックビスケッツのデビュー以降も、自らCDを売ったお金でゴールまでの旅費を稼ぐ「CD手売り対決」や、すごろくの数字でガソリンの給油量を決めて旅する「ガソリンすごろく対決」などが行われており、勝ったチームが負けた側の新曲のマスターテープは破壊するなどの演出も人気の要因に。

紅白歌合戦に出場


1998年には、日本テレビ系の番組から誕生したにも関わらず、両ユニットとも紅白出場を果たす。
しかし1999年ごろになると、ビビアン・スーが他国でも注目されて多忙になり、ブラックビスケッツの活動は自然消滅に。特に同年の9月21日に起きた台湾大地震以降、ビビアン・スーは台湾国内での芸能活動に主軸を移した。

TV番組からヒット曲が生まれるというのは昨今あまり聞かれなくなった。番組から人気を集めるユニットが誕生するのは、テレビが今よりも大きな力を持っていた90年代だからこそ可能であり、両ユニットはテレビの力を表わす象徴にも思える。


(篁五郎)