歴史の転換点というか、新しい時代の「始まった」感、「キターー」感を感じる瞬間って、ある。
1990年4月。
当時フジテレビで放送されていた人気深夜番組『冗談画報』に、ラップグループ・スチャダラパーが出演した。この番組、毎週注目のアーティストやお笑い芸人などをゲストにむかえ、ライブを放送するスタイルで、それまでにも米米CLUBやWAHAHA本舗、聖飢魔IIなどが出演し、話題を集めたりしていた。

アニメ主題歌をサンプリングしたスチャダラパー


3曲が収録された当時の動画を見つけ、一気に懐かしい気分になり、さっそく見てみた。1曲目に披露したのは、「オーバーなボーズ・トーク~OBQ~」。BOSEとANIの軽快なラップを繰り出す曲の中盤、思わず我が耳を疑った。
<♪だけどカッコいい~つ~もりな~んだってさぁ>
アニメ『新オバケのQ太郎』の主題歌のフレーズがそのままサンプリングされ、流れてきたのである。そしてそのまま、<♪チャッチャッチャラチャチャチャチャッチャッチャチャ~>といった、印象的な同曲のイントロのフレーズに、DJのSHINCOが繰り出すスクラッチノイズが重なる。


続いては、「スチャダラカウント10」。
<♪テレッテンテテ、テレッテンテテ……>
今度は『サザエさん』のエンディングのイントロである。それをバックトラックにして、ラップ。
「これでいいんだ!」
そして、「そんな手があったのか!」と、とにかくびっくりした。そして、痛快だった。笑いまくった。

このとき、何にびっくりしたのか。それは、昔のアニメやお笑い、彼らが(そして多くのファンも)子どものころに影響を受けたものを、ヒップホップに持ち込んでくれたというところ。ファーストアルバムでも歌われた、「バック・トゥ・ルーツ・イン・マイ・ルーム」、このフレーズにすべてが集約されている。

スチャダラパーの「主張」


80年代にラップ/ヒップホップというものがある、と知ったころのイメージというのは、黒人がちょっとコワモテ風に、「YO!」とやって、アジテーション要素強めのメッセージを送るもの、というイメージがあった。そこにはアメリカの人種問題が根っこにある。そういうもんだと思っていた。だから、日本では本質は理解できない部分もあるかな、とも思っていた。

そこにスチャダラパーである。オモロラップである。歌詞(ライム)も、当時のチャラい奴らやミーハーな流行をちょっと皮肉るようなものに、植木等の「オイース」などをからめてくる。
パンク歌手とも、尾崎豊らメッセージシンガーとも違う、スチャダラな主張。とても、心地よかった。痛快だった。


『冗談画報』に戻る。いよいよパフォーマンスもクライマックスになったところで、
<♪テンテンテーンテテーン、テンテンテーンテテーン>
『太陽にほえろ』のテーマのイントロが流れ始めた。のちで言うところの、「キターーーーー」状態である(当時はネット掲示板もまだなかったが)。
そしてそのまま、
<♪テレテーーテテテーーテレテーーテテレテーレテー>
本当にそのまま『太陽にほえろ』のテーマを流しながら、そのままラップするメンバーたち。この曲が、「スチャダラパーのテーマ」。
パンク歌手とも、尾崎豊らメッセージシンガーとも違う、スチャダラな主張。
自由、軽快、とても、心地よかった。痛快だった。

その後、5月にファーストアルバム『スチャダラ大作戦』をリリース。「スチャダラパーのテーマ」は、権利とかあるのかわからないが、「太陽にほえろ」じゃないトラックの、「スチャダラパーのテーマPT.2」という曲名になっていた。
ゴダイゴ、ステインアライブ、左とん平、トニー谷……昭和40年代生まれ世代がが涙するサンプリングされたネタを探すのもまた、楽しい。

その後のスチャダラパー


この分かりやすすぎる感じは、諸刃の剣でもあったかもしれない。
爆発的に人気を獲得し、翌91年にはメジャーデビューを果たすが、そこでいきなり歌われるのは、「スチャダラっぽく」を求められることに少しお疲れぎみな3人の様子。
そんな時代を経て、94年に小沢健二とのコラボシングル「今夜はブギー・バック」の大ヒットや、BOSEの「ポンキッキーズ」への出演などを経て、現在も活動は続く。「太陽にほえろ」のラップが流れた夜、それは日本のラップの転換点になった夜だったはずだ。
(太田サトル)

※イメージ画像はamazonより※イメージ画像はamazonより偶然のアルバム