昔、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』で「廻って笑って顔面にらめっこ」という企画が放送されていました。
これは「何でこの人がガキ使に?」という芸能人をガキ使レギュラー陣がキャスティングし、その意外性を競うというもの。
中華テーブルのような円形卓中央にそのタレントを登場&360度回転させ、座っている他のメンバーが笑うかどうかで勝敗を決します。

登場した面子を挙げると、例えば、伊吹吾郎、ヒデとロザンナのロザンナ、AV男優の加藤鷹など。何とも絶妙な人選に皆、笑いをこらえ切れません。
そのラストを飾るトリとして松本がセレクトし、見事、全員を爆笑の渦に巻き込み、浜田から「きたないわー!!」と罵られていたのが、当時、女優の沢田亜矢子と離婚協議真っ只中の松野行秀こと、ゴージャス松野でした。

彼のことを覚えている人はいまや数少ないでしょう。一時期、TBSの情報番組『サンデージャポン』で突撃取材を敢行する、自称「スーパーフリージャーナリスト」として出演していたことが、最後の定期的なメディア出演でした。

元々は、一人の名も無き芸能マネージャーだったゴージャス松野。それが、「ガキ使」や「サンジャポ」で笑いものにされる天下のイロモノとなった経緯をたどると、先述の沢田亜矢子と結婚したことが発端だと分かります。

ゴージャス松野「地獄の底までお付き合いさせてください」


1993年から1995年にかけて、東宝芸能に勤めていた松野は、沢田から事務所移籍の相談を持ちかけられます。当時の沢田は正式な結婚を経ずに出産、つまり未婚の母となったことで世間から白眼視されていました。所属していた事務所からもお荷物扱いされ、今後の活動に不安を抱いていたのです。

根は優しい男なのでしょう。松野は無報酬で沢田のマネージメントを買って出ます。
10歳以上年上の不遇なベテラン女優にかけた同情は、いつしか愛情へと変わり、1995年に2人は結婚。
「もしよろしければ、いつまでもそばにいて、地獄の底までお付き合いさせてください」。これが松野の捧げたプロポーズの言葉でした。さらに彼は、10年近く勤務した東宝芸能を退社し、沢田と共に個人事務所を立ち上げるのです。

連日のようにテレビで報道 松野と沢田の離婚騒動


しかしその僅か2年後。沢田が突如として「離婚したい」と申し出たことにより、状況は一変します。
理由は松野のDV。
髪の毛を掴んで引っ張りまわすなどの、日常的な暴力に耐えかねての決断でした。そんな妻の主張を「事実無根」とした松野。断固として離別を受け入れない構えを示したのです。

そこから約3年にわたり、沢田にとってはまさに「地獄の底まで」付きまわれるような、泥沼の法廷闘争を繰り広げることとなります。民放各局のワイドショーは連日のように、この泥仕合を報道。裁判の中で「セックスビデオ」の存在が語られたことなど、夫婦の性生活にも立ち入った内容を取り上げ、お茶の間の話題をさらいました。

『ガキ使』に出演したのは、まさにこの時期。「出てる場合か!」というところですが、この時からある種、身を切り売りする商魂のようなものを見せ付けていたのだと、今振り返ると思います。

ホスト、AV男優、プロレスラー…様々な職を転々としたゴージャス松野


そして2001年3月、ついに離婚が成立。「これで、解放されるのね……」。目を潤ませながら、万感の想いで語った沢田。この数年間が、彼女にとってどれほどの苦行だったのかを物語ります。


普通ならば、妻を酷い目に遭わせた暴力男として、松野の命運は尽きていたはずです。しかし、彼は『ガキ使』で垣間見せた商魂を芸の域まで昇華させ、何とか芸能界で生き残って見せます。
目をパッチリ二重に整形してホストクラブに勤務したかと思えば、司法試験を受験してみたり、演歌歌手兼霊媒師と再婚したり、挙句の果てにはAV男優になったり……。そのキャリアはまさに無茶苦茶。突拍子もないことをしてはメディアに取り上げられる“晒し者芸能人”という特異な地位を築いたのです。

今では、2002年から始めたプロレスラーの職に落ち着いているゴージャス松野。
彼のようにある意味、サービス精神旺盛なタレントはもう現れないでしょう。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりおまえのバラード Single, Maxi