有森裕子の「自分で自分を褒めたい」、もともとは高石ともやの詩の一部だった
『有森裕子』画像は画像は高石ともやのページ

マラソンの有森裕子といえば、90年代の日本女子陸上界を代表する選手だ。92年のバルセロナオリンピックで銀メダル、96年のアトランタオリンピックでは銅メダルと、いずれも金メダルには届かなかったが2大会連続のオリンピックメダル獲得は日本女子陸上選手として有森が初めて達成した偉業である。


流行語大賞にも選ばれたインタビューのセリフ


「メダルの色は銅かもしれませんけど、終わってからなんでもっと頑張れなかったんだろうって思うレースはしたくなかったし、今回は自分でそう思ってないし、初めて自分で自分を褒めたいと思います」

アトランタオリンピックで銅メダルを決めたゴール直後のインタビューで有森はこう回答した。涙ぐみながらも語った姿が話題となり、「自分で自分を褒めたい」は96年の流行語大賞にも選ばれるほどだった。

このセリフは、それまでのアスリート人生における苦難や苦悩、努力の果てについてきた結果に対して、有森が自身を評価したものだったからこそ多くの人々が感動した。当時中学生だった筆者は、部活動の試合のたびに有森を真似てこの名回答を連呼していた。大人になった今になってそのことを思い出すと申し訳なさしか感じない。


名言の生みの親は高石ともやだった


有森の名言として語られることの多い「自分で自分を褒めたい」という言葉だが、実はこの言葉はフォークシンガーである高石ともやの「自分をほめてやろう」の詩の一節を引用したものであることを後のインタビューなどで語っていた。

高石はフォークシンガーとしての顔以外に、国内外のマラソンやトライアスロン大会にも数多く参加しているランナーとしての顔も持っており、日本初のトライアスロン大会優勝、アメリカ大陸横断レース第二回大会において日本人初の完走者でもある。


都道府県対抗女子駅伝の補欠時代に開会式で高石が参加選手に向けて朗読した詩に心打たれた有森は、“いつかこれを言える選手になろう”とその言葉を心の支えに奮闘したのだそう。あのインタビューはつまり、名言が有森に受け継がれた瞬間だったのかもしれない。

さらに面白いことに、「自分を褒めたい」という言葉は高石が若き頃に渡米した際にボランティア女性から聞いた言葉をもとに生まれた言葉であることを明かしている。つまり、高石もまたバトンを受け継いだといえるのだ。

名言は世の中で成功を収めた人物とセットで語られることが多いが、ルーツを辿ってみると、その言葉が生まれたきっかけは身近な人の何気ない一言なのかもしれない。つまり、筆者が放った何気ない言葉も、テキトウに言った一言も、時を越えて名言となっている可能性を見出したのだった。


(空閑叉京/HEW)