萩本欽一が1999年に刊行した『まだ運はあるか』(大和書房/以下、※1)からの一節。前年に開催された長野オリンピックの閉会式を振り返り、「あの時は(芸能界を)辞めようかと思いましたよ」とまで明言したほどだった。
1941年生まれの萩本は、当時57歳。第一線は退いていたものの、世間的にも芸能界的にも「大物コメディアン」として人気・知名度ともに十分な存在だったはずだ。
故・ナンシー関も「しかし、閉会式は「欽ちゃん的空間」ではなかった。欽ちゃんはただの駒でしかなかった」(『テレビ消灯時間2』)と、「大物コメディアン」であるはずの「欽ちゃん」が演出の浅利慶太の駒選びのセンスのズレを酷評している。
引退まで決意した萩本欽一にとっての90年代とは何だったのだろうかーー。
「視聴率100%男」萩本欽一の全盛期
高校卒業後にコメディアンを志した萩本。浅草の演芸場からストリップ劇場に移り、裸の踊り子が交代する空き時間を埋める存在だった。紆余曲折を経て、1966年に以前から面識があった坂上二郎と1回きりの契約で、「コント55号」を結成し、舞台上を縦横無尽に駆け巡るコントで一気に人気者になる。
以後、70年代後半以降はコンビそれぞれの活動にシフトし、80年代にかけては一般人の出演者や欽ちゃんファミリーへの「素人イジリ」を武器に『欽ドン!良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんの週刊欽曜日』などヒット番組を多く手がけ、出演する番組の合計から「視聴率100%男」との異名をほしいままにする。
新たな世代の台頭 萩本欽一は休養に
ところが、時代は新たな笑いを求め始めていた。1980年1月20日に放送された『激突!漫才新幹線』が人気を博すと、4月1日には『THE MANZAI』の記念すべき第一回が放送される。
ツービート、島田紳助・松本竜介、B&Bといったパワーみなぎる若手たちが自分の言葉で語る新しい漫才が全国に届けられ、新時代の到来を予感させた。
1981年5月からは漫才ブームで頭角を表したビートたけしを筆頭に、島田紳助、明石家さんま、片岡鶴太郎などが出演する『オレたちひょうきん族』が放送をスタート。
一方、萩本はいうと1985年3月にレギュラー番組を降板し、半年間ほど休養することを宣言。「でも歴史って、いつも他の人に倒されて新しい幕府ができるんだよね。でも誰かに倒されるのはイヤだから、自分で倒そうと思ったの」(※1)と語っている。
萩本欽一の看板番組 次々と打ち切りに
「次のテレビに行くための準備」として予備校に通うものの、半年後の復帰以降は看板番組である『欽ドン!』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『欽ちゃんの週刊欽曜日』が短期間に次々と打ち切られてゆく。
「運がない時にやってもダメなんですよ」と萩本が語る通り、タイトルや出演者をリニューアルした後継番組もヒットすることはなかった。時代は萩本の笑いを求めなくなっていたのだ。
折しもフジテレビによる「楽しくなければテレビじゃない」というバラエティ中心の編成が大成功。その結果、たけし、タモリ、さんまによるお笑いBIG3が国民的スターの座を盤石にした。さらにはとんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンが自らがメインを務める番組をそれぞれ持ち、頂点に駆け上がってゆく。
その反面、萩本の影はますます薄くなるのは必然。80年代末から90年代にかけては、帯の生放送、深夜番組、NHK番組など、さまざまな試みにチャレンジするものの、かつて何度も獲得してきた「視聴率30%」を記録することはなかった。
そして、バラエティに活路を見出したSMAPの香取慎吾をレギュラーに迎え入れた『よ!大将みっけ』(1994年10月~1995年3月)を最後にテレビのレギュラーをしばらくは持つことはなかった。
90年代以降の萩本欽一
そして、冒頭に引用した長野オリンピック閉会式での「引退の決意」である。萩本にとっての90年代は翻って、テレビバラエティでの世代交代に他ならない。
こんなことを書いておきながら、欽ちゃんの凋落の歴史を記述したいのではない。引き際を意識せざるを得ない心境になるのは、頂点を極めた人間にしかわからないのだろう。
「だから六十過ぎて、本当に受験してみようかなと思ってます」(※1)と語っていた通り、2015年に萩本は駒沢大学仏教学部に社会人入試を受験し見事合格。現在、75歳のキャンパスライフを満喫している。
もちろん、タレントとしても現役。『ライオンのごきげんようゴールデン!大物だらけのサイコロSP』では堺正章とともに小堺一機を激しく追いつめ、『ダウンタウンなう』でも萩本の「ニラを2束買ったの。料理には1束しか使わない。残った1束、これどうする?」など無軌道なムチャぶりに、松本は「引退してもらっていいですか?」と困り果てるなかなか見られない姿を引き出すなど、まだまだ現役だ。
「でも、それからやってないんですよ、勉強した成果を生かす番組は」(※1)と、かつての休養中の受験勉強を振り返っていた萩本。
(小島研一)
※イメージ画像はamazonより欽ちゃんの人生コントだよ!!