2016年の正月。YOSHIKIが自身のニコニコ生放送のチャンネルにて、小室哲哉との対談を放送したことで話題を呼びました。

この2人の交友関係が始まったのは、古く、1990年春ごろまで遡ります。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったX Japan(当時は「X」)。そのリーダー・YOSHIKIに一目置いていた小室が、自らアプローチをかけて飲み友達になるところからスタートしたのです。

1996年にも小室哲哉の番組で共演した2人


ちょうど、ニコ生での共演から20年前、1996年の年明け。この時は小室がYOSHIKIを招き、彼がMCを務めていた音楽番組『TK MUSIC CLAMP』でも会談を実現させています。
ここでTKは「なんで渋谷にいるような若者は、あのファッションで、あの(古い)音楽をカラオケ歌うのって感じ」「ロサンゼルスで流行っているような(最先端の)音楽を、提案してあげないと可哀想」などと発言。それにYOSHIKIは激しく同意。

海外志向、新しい音に貪欲な姿勢、時代を先読みして仕掛けていく戦略家の一面……。なるほど。確かに2人は、感情的に共有する部分が多そうです。そして、やわらかい口調ではっきりズバズバ言うところもすごく似ています。

「とりあえず、CD1枚作ってみよう」と結成に至ったV2


そんなTKとYOSHIKIですから、恐らく、ファーストコンタクトの時点でも意気投合したのでしょう。「何かやれたらいいよね」と、酒席でのトークに花が咲いたといいます。
1年後、その曖昧な“何か”は「とりあえず、CD1枚作ってみよう」と具体性を帯び始め、かくして1991年10月31日。
2人は記者会見を行い、ユニット結成を正式に発表するのです。その名も「V2」。第2次世界大戦中にドイツが開発したV2ロケットにちなんで付けられました。

活動期間はわずか数ヶ月だったV2


「どんな編成で演奏するんだ?」「ボーカルは誰がやるの?」など、当時、大いに盛り上がったこのタッグでしたが、後年、あまり語られなくなったのには理由があります。端的に言うと、活動内容が薄いのです。
1991年12月5日に東京ベイNKホールでのライブ、1992年1月18日にシングル『背徳の瞳〜Eyes of Venus〜』の発売、同年3月25日に1度きりのライブを収めたビデオの発売、以上なのです。その間、わずか4ヶ月あまり。実質的には、コンサートをして曲出して終わり。これでは忘れ去られても、仕方ありません。

加えてこの頃は、2人がちょうど新しい試みに興味を持ち始めた時期。YOSHIKIはXでの本格的な海外進出、TKはプロデュース業への専念。そのビジョンを実現させ、かつ、YOSHIKIのこだわりで「たったシングル1枚に、アルバム1曲分の費用と労力を遣った」というV2での楽曲制作を両立させることなど不可能。
こうして、最初は「アルフィーの高見沢も加えてV3」計画もあったのに、ユニットは自然消滅していくこととなったのです。


TKの不安定なボーカルも…『背徳の瞳〜Eyes of Venus〜』


今ではすっかり過去のユニットとなったV2。とはいえ、全く個性の違うミュージシャン2人によってつくられた上記のシングルは、なかなか興味深い佳曲。
何せ、どのパートがYOSHIKI作で、どこかTK作なのか、丸分かりなほどに分離しているのです。もう少し融和させる工夫をしたらいいのに……というのは蛇足。互いに認め合いながらも、自身のセンスに絶対的自信をもつ者同士。バチバチぶつかり合いながら生み出された1曲は、何とも刺激的で不安定。
その不安感は、TKの甲高い声なのに起伏がない、のっぺりとしたボーカルでさらに増長されます。興味のある方は、ぜひ聞いてみてください。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりDigitalian is eating breakfast Original recording remastered
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