「死んで、また再生します」
今年3月31日、12年続けた『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスターとして、最後のスピーチをこう締め括った古舘伊知郎。
7分33秒の「トーキングブルース」の内容は、報道に携わってきた思い、伝えることに対する信念、テレビメディアの行く末、後任の富川悠太アナに向けたエールだった。


そして、何よりも注目すべきは自分の今後について。挨拶の中ではっきりの明言している。
「しゃべりで皆さんを楽しませたいというようなわがままな欲求が募ってまいりました」と。
また、2014年にトーキングブルースを復活させるにあたって受けたインタビューでも、「もうとにかく口にさるぐつわした状態で10年たったわけです」(『AERA』 2014年7月14日号)と、自由にしゃべれない現状への不満を口にしていた古舘。

バラエティ復帰を果たした古舘伊知郎


キャスター退任後はフィリピンでの休養を経て、2カ月ぶりに表舞台に登場した。5月31日にシークレットライブ「微妙な果実~トーキングフルーツ」を都内で開催し「次への、のろし」をあげ、本日10日放送の『ぴったんこカン・カンスペシャル』(TBS系、19:56~)にゲスト出演し、11年ぶりにバラエティ出演を果たす。
これを皮切りに発表済みの番組も含め、テレビ、ラジオ、その他のメディアで古舘による縦横無尽のしゃべりが展開されてゆくことだろう。

 
とはいえ、『報ステ』出演中は他局のレギュラー番組やCMを降板している。「今の若い人たちはキャスターやっている古舘 しか知らない。プロレスとかスポーツ実況とか見ちゃいない世代なんだから。あるスタッフが遠慮がちに言ったって。『古舘伊知郎さんって無口な方ですね』」(※)と、古舘自身も語るように、今となっては報道キャスターのイメージが色濃い。

紅白司会も 古舘伊知郎の90年代


バラエティ番組の司会を中心に活躍した古舘の90年代を振り返ってみるーー。

1977年にアナウンサーとして全国朝日放送(現テレビ朝日)に入社し、同年7月に「長州力vsエル・ゴリアス」戦でプロレス実況デビュー。
以来、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレス黄金期を「古舘節」と呼ばれる独自の実況スタイルで、プロレスファンのみならず、幅広い層から支持を集める。
1984年6月にテレビ朝日を退社し、フリーに転身し、7月1日に仲間数人と『株式会社古舘プロジェクト』を設立。独立翌年の『夜のヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ系)では芳村真理のパートナーに抜擢され、芳村勇退後の1988年2月からはメイン司会に昇格。
また、久米宏も司会を務めた『おしゃれ』(日本テレビ系)の後継番組『オシャレ30・30』を1987年から担当し、『おしゃれカンケイ』とタイトルを変えつつ、『報ステ』開始後も司会を続けた(継続予定だったが、『報ステ』に専念するために2005年に降板)。

1994~1996年には『NHK紅白歌合戦』の白組司会を担当。民放のアナウンサー出身としては史上初の紅白司会者となっている。

そのほかにも『F1グランプリ』(フジテレビ系)の実況を初め、バラエティ・音楽・ドラマ・ラジオ番組・出版とジャンルを横断して活躍。また、単独トークライブ『古舘伊知郎トーキングブルース』も1988年から『報ステ』を担当する前年の2003年まで毎年開催していた。

古舘伊知郎と石橋貴明が共演した『第4学区』


以上のように数多くの番組の司会を務めて来た古舘。30代以上にはやはり「とにかくしゃべりまくる」イメージである。ところが、テレビでは古舘によるトークだけをメインに据えたレギュラー番組は意外にも極めて少ない。
そんな中でとんねるずの石橋貴明を「相方」に1999年および2000年にそれぞれ半年ずつ放送された番組がある。

2人の出身地が東京都の都立高等学校の学区「第4学区」(文京区、豊島区、北区、板橋区)で共通するところから、そのまま番組名に拝借している(古舘は北区、石橋は板橋区)。

元々、飲み仲間でダラダラといろんな話をしていた二人。知り合いたちがその二人の話を聞きたがり、『「チャンスがあったら、やっちゃいましょうか」』と言ったことがきっかけでフジテレビ系の深夜で番組化されることに。

テレビの枠組みを覆した!? やりたい放題だった『第4学区』


「いつものふたりのノリそのまんまでやりたいと思ってたから、オープニング曲もエンディング曲も一切なし」「とにかく視聴者には不親切な番組にしたい」と石橋がのちに書籍化された番組本(『第4学区』集英社インターナショナル)で誕生の経緯を明かしている。

同じく古舘も「いわゆる番組につきものの三種の神器である打ち合わせ、台本、カメラリハーサルみたいなものが一切なくて、酒飲み放題、タバコ吸い放題の番組をやろう」とテレビの枠組みを覆したい意図があったと記述。

その証拠に本に収録されている内容は、古舘が独立直前の時期に母親に自慰行為を見られたときのエピソードや、石橋が滅多に語らない生い立ちを語りつつ、初めての自慰行為や子供ができるプロセスを知ったときの衝撃など幅広い話題でトークが繰り広げられた。
さらに最終回の湯布院では仲良く温泉につかりながら、互いの仮性包茎について語り合った後、視聴者に別れを告げるというものだった。


このように古舘が石橋とがっぷり四つに組んだ名トーク番組。今夜放送の『ぴったんこカン・カン』では、アナウンサー界の後輩・安住紳一郎とどのように対決するのか?
放送の予告CMでは古舘が「エロスと言えば、文化芸術である」と滔々と語り、別のシーンでは安住が古舘に向かって「とりあえず、口を閉じてればいいんですよ!」と強い口調で制す様子が確認できる。さらにテレビ欄にある情報では「安住が寝ずに挑んだ3分32秒の独演会に古舘 まさかの土下座」とまである。

さるぐつわを外した古舘の再生。その一部始終を確認できるのは今夜だ。
(小島研一)

※ORICON STYLE 『古舘伊知郎、2ヶ月ぶり復帰で観客を圧倒「聞いて欲しかった」』より
http://www.oricon.co.jp/news/2072614/
※イメージ画像はamazonよりAERA (アエラ) 2014年 7/14号 [雑誌]