「大晦日=格闘技観戦」は猪木がお膳立てした最高のハッピーエンドから始まった
▲筆者私物の「INOKI BOM-BA-YE 2001」案内ハガキ

今年も大晦日にはフジテレビ系で総合格闘技イベント「RIZIN」が中継される。
一時期途切れたこともあったが、大晦日に格闘技を見る文化も今は成熟期といったところか。


その原点は、2001年の大晦日にあった。
TBS系で放送された『最強の格闘王決定戦!猪木軍vsK-1 最強軍全面対抗戦完全決着!』が、紅白歌合戦を向こうに回し、14.9%もの高視聴率を獲得したことがすべての始まりだ。
プロレス引退後、総合格闘技ブームの波に乗り勢いづくアントニオ猪木率いるプロレスラー・格闘家混成軍と、ゴールデンタイムでの中継やCM出演等で一般認知絶大のK-1ファイター軍による夢の対抗戦を中継した番組である。
大会名は「INOKI BOM-BA-YE 2001」。通称、「猪木祭り」。
結果として、紅白に肉薄する大成功イベントだったのだが、そのドタバタぶりも含めてもはや伝説。

大会の、そして番組の要であるメインイベントが直前まで決まらず、対戦カードが二転三転していたのである……。


「K-1の喧嘩番長」ジェロム・レ・バンナと対戦するのは一体誰なんだ!?


すべてのきっかけは、12月10日に「猪木軍の総大将」藤田和之がトレーニング中にアキレス腱を断裂するという悲劇からだった。
全治6カ月という大ケガで、メインイベントに予定されていたvsジェロム・レ・バンナ戦が白紙になってしまったのだ。
猪木軍にはもう1人の主役ともいうべき「柔道王」小川直也が控えていたのだが、ファイトマネー1億円でのピーター・アーツ戦を最後まで譲らず、結局バンナ戦どころか出場自体を見送ることに。
それを受け、猪木自らが現役復帰することまで示唆したが、さすがに現実的ではない。
猪木を慕う総合格闘家のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラやマリオ・スペーヒーがノーギャラでの参戦をぶち上げたが、猪木軍と呼ぶには無理があるし、世間の関心も集めにくい。
「破壊王」橋本真也の参戦も噂されたが、猪木とは絶縁状態にあり、こちらも現実的ではなかった。

結局、大晦日決戦まで1週間の時点で、メインのカードが決まらないままだったのである。


猪木軍最弱!? 中堅プロレスラーの安田忠夫を主役に大抜擢


決戦6日前、ようやくメインイベントのカードが発表された。
主役に選ばれたのは、安田忠夫だった。
大相撲を経て新日本プロレス入りした安田。
体格に恵まれながらも、プロレス界では中堅止まりだったが、素質を猪木に見いだされる形で、この年3月に開催された「PRIDE13」に参戦し総合格闘家デビューを果たす。
K-1で一時代を築いた佐竹雅昭に勝利するも、8月には「猪木祭り」の前哨戦となる3対3対抗戦で、レネ・ローゼのハイキックにより白目をむいて失神KO負け。
当初はローゼへのリベンジマッチが組まれていたのだが、猪木のプッシュもあり、まさかのメインイベントに大抜擢されることになったのである。


全身で強さを体現する藤田に対し、安田はその辺にいそうな、ただ身体のデカいおっさんといった風体。人のよさそうな顔つきも迫力に欠ける。
しかも、精鋭ぞろいの猪木軍の中で自他ともに認める最弱キャラだ。絵面や世間の関心も含め、大晦日のトリを飾るにふさわしいかは正直「?」だったのである。


興行&番組の鍵を握るのは、安田のリアルな人間ドラマにあり


しかし、TBS撮影班が安田のリベンジロードを追っていたドキュメントが、それらすべてをひっくり返す起爆剤となった。
このドキュメントには、プライベートも含めてすべてをさらけ出した安田のリアルな姿があった。
ギャンブル中毒で1億円以上の借金を抱えてしまい、妻子にも逃げられてしまったダメ男。

元小結・孝乃富士時代の名声も、プロレス時代の栄光も、冴えない現状をより際立たせるためのフリでしかない。
くすぶっている現状を打破すべく、必死に練習に励み、もがきながら人生を掛けた大一番に挑む人間ドラマに、TBSはすべてをかけたのである。

番宣スポットや事前番組、当日の中継でも「安田劇場」をあおりまくった。
特に、愛娘との再会は「安田劇場」の軸だった。
娘に自身の試合のチケットを渡すも、ためらいがちな態度が見てとれる。その微妙な距離感があまりに切ない……。

大相撲では結びの一番を取ることがなかった安田に「今回の猪木祭りの結びの一番を取らせてみたい」と、粋な激を飛ばす猪木。
「この拳で骨を砕く感触を味わいたい」と、ヒール的コメントであおるバンナ。
役者もそろってお膳立ては完璧だ。
お茶の間の視聴者の興味はどちらの軍が勝つかではない。「安田劇場」のエンディングにあったのである。


実は、バンナのことをよく知らなかった安田


vsバンナ戦でのメインイベントが電撃決定した安田だったが、本人は周囲の過剰な期待に気負うことなく、いつも通りのマイペースぶり。
「レモネード(レネ・ローゼ)がバナナ(バンナ)に変わったようなもの」と、猪木ゆずりのジョークも冴える。

実のところ、ローゼはK-1でも2軍であり、バンナとは「格」が圧倒的に違うのだが、安田は対戦直前になってもバンナのことをよく知らなかったというから恐れ入る。
それどころか、「自分よりデカく手足が長いローゼよりも、同じぐらいの身長のバンナの方がやりやすい」と、きっぱり。
大会2日前の記者会見には、『男はつらいよ』シリーズの主人公・寅さんのコスプレで臨み、張り詰めた会場の空気を和ませるどころか、バンナの怒りに火を点けてしまうのだから、役回りとしても完璧であった。


そして、感涙のハッピーエンドへ


メインの安田vsバンナ戦までの成績は、4連続ドローの後に1勝1敗。
「大晦日=格闘技観戦」は猪木がお膳立てした最高のハッピーエンドから始まった
▲筆者私物の猪木軍5人衆のフィギュア
左より、ミルコ・クロコップにわずか21秒で敗れた永田裕志(新日本プロレス)
マイク・ベルナルドとの消極的な試合展開に大ブーイングを受けた高田延彦(高田道場)
「INOKI BOM-BA-YE 2001」の主役、安田忠夫(フリー)
シリル・アビディとの「米仏ケンカ屋対決」を制したドン・フライ(フリー)
終始試合をリードするも子安慎吾に逃げ切られてしまった石沢常光(新日本プロレス)

最高の盛り上がりを見せるなかで運命のときを迎えることになった。
慣れないルールながらも、ほぼ本能のまま闘うバンナ。
ケサ固めの状態から、コーナーに詰めた状態からパンチを連打。まさかのマウントポジション奪取など、1ラウンドはバンナ優勢だ。
続く2ラウンド、安田は終始冷静さを失わずにテイクダウンを奪うと、体重を活かした縦四方固めへ。それをブリッジで返したバンナにギロチンチョークがズバッと決まり、バンナはたまらずタップ!
2ラウンド2分10秒、安田の見事な勝利に観客は総立ち状態だ。
凄まじい歓声のなか、リングに上がった猪木が祝福のビンタを飛ばし、涙にくれる安田を抱き寄せる。そして、猪木の目にも光るものが……。
「彩美! お父さん勝ったぞーッ!」と、涙を流しながらマイクで愛娘をリングに呼び込むと、肩車してコーナーに駆け上がり堂々の勝利アピールだ。
あまりに劇的なフィナーレ、絵に描いたようなハッピーエンド。
その後、大晦日の格闘技中継がこの番組の視聴率を越えたことはあったが、その満足度や感情移入の度合いは比べるまでもない。
それほどに、幸せに包まれたエンディングだった。
「大晦日=格闘技観戦」は猪木がお膳立てした最高のハッピーエンドから始まった
▲筆者私物の『SRS DX』No.62
男泣きする安田と笑顔でねぎらう猪木。試合直後のワンショットだ。

ただ、娘さんもバンナを知らないうえに、格闘技自体に興味がなかったとか。間近でお父さんの一世一代の大勝負を観ていながらも、その凄さを分かっていなかったようである。
元旦に行われたKinKi Kidsのライブに足を運んだ娘さんが、堂本剛が「昨日の猪木祭り凄かったね」と振ると、堂本光一が「安田さんが勝ってよかったよね」と返したという会話で、ようやくお父さんの偉業に気付いたという。
ほほえましい後日談を含めて、完璧な「安田劇場」であった。
(バーグマン田形)