2016年6月9日午後3時。衝撃的なニュースが列島を駆け巡りました。
小林麻央が乳がんを発病。夫・市川海老蔵が記者会見の場を設け、「進行性のがん」「比較的深刻な病状」だと発表したのは、記憶に新しいところでしょう。
まだ33歳。幼い子供も2人いて、人生これからという時に訪れた悲劇。彼女は今後どうなってしまうのか。未だ、日本中が固唾を飲んで見守っています。


こういうとき、タレントというのは不憫なもの。心安く療養生活を送りたいのに、マスコミが放っておいてくれません。海老蔵が何度も「そっとしておいて欲しい」と釘を指したにも関わらず、自宅周辺を記者と思しき不審者がうろついているそうです。

初主演映画撮影中、大病を患った渡辺謙


今から27年前の渡辺謙も、メディアスターとして責務を全うしながら、命に関わる病魔と闘った一人。1990年1月11日。渡辺はゲッソリとやせ細った青白い顔をして、会見場にやってきました。抗がん剤の副作用からか、帽子をとった頭はツルツルのスキンヘッドです。

急性骨髄性白血病であることを公表してから、約5ヶ月ぶりの公の場。NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で見せていた逞しい姿とは程遠いやつれた佇まいは、この数ヶ月間が彼にとってどれほど過酷なものだったのかを如実に物語っていました。

発症したのは1989年8月。渡辺にとって初主演映画となる予定だった『天と地と』の撮影期間中でした。ロケで訪れていたカナダのカルガリーで、ものもらいに掛かった時のことです。治療に際しての血液検査を行ったところ、白血球の数が異常に多いことが発覚し、急性骨髄性白血病だと判明。

診断した医師からは「このまま仕事を続けるのなら、保証できる命は1ヶ月」と宣告されます。渡辺謙、30歳の夏でした。

自殺まで考えたほどの苦しい闘病生活


人気若手俳優の身に突如襲い掛かった病魔。今回の小林麻央同様、センセーショナルにこの事実は報じられ、一躍世間の関心事になります。そこからは我先に動向をキャッチしようと、自宅や入院先の病院にマスコミが大挙して押し寄せる事態へ発展。メディアの基本姿勢は、27年前も今も変わっていないのです。
そこからの5ヶ月間はマスコミを遮断しながら、準無菌室で何十冊も医学書を読み漁る日々。
どうしようもなく押し寄せてくる不安に苛まれながらも、役者として復帰するその日のため、必死に活路を見出そうとしていたのです。

そんな経緯を辿って迎えたのが、前述した1990年1月11日の会見。渡辺によると、一時はあまりの辛さで自殺も考えたといいます。それでも希望を捨てずに病気と闘い、何とか一時退院するまでの状態に回復。「この病気と一生付き合っていくと思う」と、報道陣の前で決意を述べました。

渡辺謙の屈強な精神力 その後の活躍の源に


その後も入退院を繰り返し、仕事復帰が叶ったのは、発症から1年1ヶ月後の1990年9月。
TBS東芝日曜劇場『息子のご帰還』への出演が決まり、制作発表の場に姿を現したのです。この時期になっても、まだ万全の状態とは言えず、病院と撮影現場を行ったり来たりする毎日。それでもプロとして仕事を全うしました。

4年後の94年夏にも白血病を再発した渡辺謙が、2度目の復帰を果たすのは95年5月。最初の発症から、都合約6年が経過していました。30代という、役者として一番脂が乗る時期のほとんどを、闘病生活で棒に振ってしまったのは、彼にとって痛恨の極みだったことでしょう。

その鬱憤を晴らすためか、もしくは、一度は彼岸を彷徨った男の居直りか、40代からの活躍はご存知の通り。壮絶な経験によって養われた人間的な厚みこそが、ハリウッドスター、ケン・ワタナベを誕生させた要因なのかも知れません。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより誰?-WHO AM I?