2月4日は「ぷよの日」。セガの人気ゲームシリーズ『ぷよぷよ』の記念日だった。
『テトリス』の大ブレイク以降、星の数ほど登場した落ち物パズルゲームのジャンル。その中でもっとも成功したのは『ぷよぷよ』シリーズで間違いないだろう。
ゲームセンター、家庭用ゲーム機、ケータイ&スマホアプリと、ありとあらゆるプラットフォームに登場し、四半世紀を超えて愛され続けてきた不動の人気シリーズだ。
『ぷよぷよ』ブレイクの3大要因とは?
ゲーム初心者にもとっつきやすく、それでいて奥が深いゲーム性の『ぷよぷよ』。
シンプルかつ明快なゲームルール。
それを盛り上げるコミカルで愛らしいキャラクター。
そして、落ち物パズルゲームのジャンルで初となった対戦プレイの熱さ。
ブレイクのポイントを簡単にまとめると、この3つになるのではないか。
92年10月にセガより登場したアーケード版、間髪入れずに移植されたメガドライブ版でブレイクした『ぷよぷよ』だが、この時点ですでに基本は確立。
その完成されたゲームシステムに、様々なアレンジを加えることで進化を遂げてきたわけだ。
製作陣もブレイクは予想外!?知る人ぞ知る存在だった元祖『ぷよぷよ』
その前年、今に続くシリーズの原点に当たる、いわゆる「旧世代ぷよぷよ」が登場している。
それが、91年10月25日に発売されたファミコンのディスクシステム版(MSX2版も同時発売)だ。
発売元の徳間書店は、ファミコン専門誌の最古参『ファミリーコンピュータマガジン』の発行元であり、このゲームは「ファミマガディスク」という読者参加企画の第5弾という位置づけだった。
読者のアイデアをゲームにするという夢の企画だったが、このディスク版『ぷよぷよ』は正規メーカー・コンパイルとのタイアップ作品という特別枠になる。
コンパイルの開発者によると、『ぷよぷよ』はメインの仕事というよりも、仕事が終わった後に放課後感覚で作っていたゲームだったという。
当事者さえも後の大ブレイクはまったくの想定外。肩の力を抜いて作ったゲームが思わぬ大ブレイクをしたわけだ。
しかし、この時点で対戦プレイの熱い駆け引きも健在で、キャラクターの彩りをのぞけば、後にブレイクしたアーケード版やメガドライブ版と比べても遜色がないクオリティに仕上がっていた。
ただし、リリース時期はディスクシステムの歴史の中でも末期であり、しかもディスクライターでの書き換え専用とあって認知はイマイチ。
この時点では、知る人ぞ知る名作止まりだったのである。
「ぷよぷよ」は「ヒトヒト」だった!?
『ぷよぷよ』がゲームセンターで大ブレイクした後の93年7月23日、ディスク版はROMカセット版で復刻を果たしている。
しかし、当時はファミコンブームがすでに下火どころか、ファミコン自体が時代遅れのハード状態。
前年末のメガドライブ版が大ヒットしたのに比べ、誰も注目しない中での切ない復活劇だったように思う。
この「旧世代版」の最大の特徴は、ヒト型(ヒューマン)のキャラクターが選べることだろう。
同じ色のヒト型が隣り合うと肩を組み、上下になると肩車をするユニークさ。見た目のインパクトは絶大で、ゲームのイメージがまったく変わってしまうのが面白い。
子どもの頃、縁日なんかで目にした「ゼリコ」のオマケにこんなおもちゃがあったなぁ…。
このモードは初期構想の名残のようだ。
そもそも、『ぷよぷよ』の開発当初のタイトルは『ヒトヒト』であり、ヒト型のキャラクターが手をつないだり、肩車したりしながらつながっていく、「人類愛」をテーマにした内容だったという。
しかし、あるときスタッフが「同じ肌の色のヒト同士でしか手を繋がないこと」に違和感を覚え、現在のスタイルにシフトしたそうだ。
「人類愛」がテーマゆえのジレンマといったところか。
もっとも、『ヒトヒト』のままでは現在に続くブレイクはなかったに違いないが…。
ちなみに、筆者の家ではヒト型モードがちびっこたちに大人気です!
(バーグマン田形)