居酒屋のテレビから、懐メロが流れてきた。

広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』である。
2016年の今、冷静に聴くと意味不明なタイトルだが、もう19年前のヒット曲になるらしい。97年当時の10代の広末と言えば、現代の広瀬すずクラスの超高校級アイドルだった。
ポケベルのCMで日本を席巻、『20世紀ノスタルジア』というタイトルそのものにノスタルジアを感じる映画にも主演。アイドル界の絶対的エースとして君臨していたみんなの広末涼子。そんな1997年のリアル。

居酒屋にいる30代の男同士で当時のヒロスエの可愛さを語っていたら、誰かがふとこう口にした。
「この年のプロ野球って何があったんだっけ?」と。
実は97年の球界は一部野球ファンの間で「空白の1997年」と呼ばれているシーズンなのである。

1997年前後のプロ野球


まだ地上波放送も多く国民的娯楽として機能していた90年代プロ野球。97年前後の出来事を見てみると、例えば94年は国民的行事とミスターが名付けた巨人中日の同率優勝決定戦10.8が行われ、神戸では天才イチローが颯爽とデビュー。
95年は野茂英雄がメジャーリーグでトルネード旋風を巻き起こし、96年は長嶋巨人が11.5ケーム差をひっくり返す「メークドラマ」で逆転優勝、日本シリーズではオリックスがその巨人を下し初の日本一に輝いた。
98年は横浜ベイスターズが日本一でハマスタ熱狂、99年は怪物・松坂大輔と雑草魂・上原浩治の両ルーキーが大活躍……といった具合に毎年「社会的ニュース」と言っても過言ではない現象が起こっていたわけだ。

1997年のプロ野球で起きた出来事


だが、みなさんは97年の球界で何があったか覚えているだろうか? 
野村ヤクルトと東尾西武が優勝して、イチローが前人未到の「216打席連続無三振」の日本新記録を達成したシーズン。
3月にはナゴヤドームと大阪ドーム(現京セラドーム大阪)が開場。
開幕後は、アメリカから派遣されたディミュロ審判員がストライク判定を巡り打席の中日・大豊に小突かれ「身の危険を感じた。もう日本ではやっていけない」と失意の帰国。
ロッテから巨人へ移籍した左腕ヒルマンが「左肩に小錦が乗っているようだ」と謎の名言を残して戦線離脱。終わってみれば長嶋巨人はBクラスへと転落した。
 

悩める清原、衝撃の井口デビュー


この年、世間の注目を集めたのは巨人1年目の清原和博。ポジションの被る師匠の落合博満を日本ハムへ追い出す形でFA移籍するも、ファンからは応援ボイコットを受け、マスコミからは叩かれる失意の日々。

今、冷静に巨人移籍初年度の清原の成績を振り返ると打率こそ2割4分9厘だが、32本塁打、95打点はそこまで叩かれるような数字ではない。もしもあの時、巨人ではなく阪神を選んでいたら、いや西武に残留していたら、その後の清原の人生はどうなっていただろうか?
  
個人的に97年で最も鮮明に覚えているのはダイエーホークスのスーパールーキー井口忠仁(現ロッテの井口資仁)のデビュー戦だ。5月3日、近鉄戦の第3打席で福岡ドームのレフトスタンドへ飛び込む満塁アーチ。新人選手のデビュー戦満塁弾は史上初の快挙。
この井口の活躍はフジテレビ日曜夜10時から放送の『Grade-A』というスポーツ番組でも大々的に取り上げられた。番組司会者はとんねるずの2人。
スタジオにはゲストでパリーグの助っ人選手たちが呼ばれる豪華仕様。まさにキャスティングにも勢いを感じさせるフジテレビ黄金期の頃のスポーツ番組である。

こうして振り返ると社会的ニュースこそなかったものの、印象深いシーンがいくつも思い出される1997年のプロ野球。19年前、22歳の新人だった井口はのちにメジャーリーグでも活躍し、41歳になった今もロッテで現役を続けている。

ちなみに35歳の広末涼子はマジで3児の母である。
(死亡遊戯)